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2019年7月7日礼拝音声



2019年7月7日 宣教週間 使徒の働き1:6-8      「宣教の聖霊」
 
序文)今日は、日本長老教会の海外宣教週間に当たります。マタイの連続講解説教は、休みにして、「宣教の聖霊」について話します。
「わたしの証人となる」との主イエス様の言葉は、初代教会にとって、また現在まで続いている教会にとって最大の存在目的・使命です。弟子たちが神の国の福音を携えて、主イエス・キリストをあかしする者となるために、復活の主は40日間を用いて、ご自身の復活の事実と一点の疑いもないように確かな数々の証拠を示して、彼らを整えました。又、同時に弟子たちが。いまだに理解していない、神の国の本当の姿について、彼らの考え方を正されました。
 
Ⅰ 6節「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
 
 1 弟子達は一緒に集まっていました。よみがえられた主イエス様も一緒でした。彼らは尋ねました。質問した事柄は、集まっている者たち一同の一致した考えでした。
 彼らは神の国がイスラエル民族のローマからの独立によって地上に実現するという願いを此処に表明しました。イエス・キリストを王様とした地上の王国が再興される時、自分たちは権威の座につくという考えを持っていたのでした。それで復活の主が、新しい時代が開かれ、聖霊のバプテスマという父の約束をはっきりと口にされたので、弟子たちは「今こそ、その時が来た」と、イスラエル王国再興について尋ねたのでした。
 
 2 彼らは、イエス様が行いと教えによって3年間さし示された神の国が、地上の国を指すのではないこと、また、イスラエル民族だけに限られるものでないこと、霊的な広がりのあるもので、地の果てまでも含めていることについて、悟っていなかったのです。神の国のために福音を携えて、これから出て行くようにと大命令を受けた事柄の意味を悟っていなかったのでした。
 彼らは戦いがこれから始まるというのに、すでに勝利をすることを見ようとしているのです。彼らが命じられた福音を伝えよという働きを着手する前に、もう、その結果を得たいと望んでいるのです。濡れ手に粟、労苦せずに実りをといったことを求めたのです。
 3 わたしたちの教会も、主のみからだを建てあげ、聖霊のお働きを信じて、歩むときに自ら、主イエス様の宣教命令を実行しなければなりません。聖霊の助けと導きと力を求めたら、何もしなくても、すぐに神の国が実現するような錯覚に陥ってはいけません。
 
Ⅱ 7節 イエス様の教え
 
 1 弟子たちの問いかけに対して、イエス様は直接否定するような形ではお答えになりませんでした。ただ、神が、その目的を完成なさる時期は、父なる神の権威の中にあるとされました。「いつとか、どんな時とか」神様がこの世界にかかわるご計画を完成なさり、神の恵みの福音によって、神の国を完成される時期や場合について決めておられるのです。そのような終末の時を予告したり、占ったりすることは、イエスの弟子たちの勤めではありません。異端者たちはこれを答えて人々を真理から遠ざけているのです。
 
 2 神が知らせたいと教えられた事柄について、弟子たちは誤解し知りたがったのでした。このような心が、ここでは戒められています。何事でも、私たちは神様が示された限度を超えて知ろうとする愚かな熱心によって心をかき乱され不信と懐疑に陥ることの多いものであることに気づき、注意しなければ、悪魔の罠に陥ります。
 神様が、起こり来る事柄の一部始終を知らせ、説明してくだされば、どんなにか良いのにと思うことがしばしばあります。しかし、神の権威に属することを人々が犯すことはできません。神の国が名実共に実現する時について、ご自身が留保しておられることを、私たちが自分のものにすることはできません。私たちの理解力を超えることを意のままにしたいと思う心をとどめましょう。
 
Ⅲ 8節 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
 
 1 今 私たちがしなければならない任務へと、心を転じましょう。好奇心、無為、不信をとどめて、神が私たちに委ねられた責任を一人一人が負い、今、何に専念しなければならないか、何に努力を傾けなければならないかに思いをそそぐようにしましょう。
 彼らは、今、聖霊が臨まれるのを、待たなければならないのです。そして宣教の聖霊が臨まれるときに受ける力を得なければならない、主の証人として揺るがないで立つために力を受けなければならないのです。その力は、彼らが今しがたまで求めていたような、地上の権力、政治力などではなく、それよりはるかに偉大で、はるかに尊い力です。聖霊の力が満たされるのです。
 イエスご自身が公の生涯の始まりに洗礼を受けられた時、聖霊がそそがれたように、いま弟子たちが公の宣教の働きに立つにあたって、主のみわざを行う力が天から与えられる。この宣教の聖霊が臨む時、何よりも彼らが、神から遣わされたものであることが表されて、イエス・キリストが共に働いておられることが示される。さらにその証拠として信じる者、救われる者が起こされる。力ある業が行われる。
 
2 主の証人となるために。
 証人とは、既に起こった事柄について証言する人です。旧約聖書時代のイスラエルが、イザヤによって「あなたがたは、わたしの証人。わたしが選んだわたしのしもべである。」(43:10)と言われています。しかし民族としてのイスラエルは神の証人としての役割を果たしえなかったのでした。そこで、まことに主のしもべであるイエスご自身が地上へと父より遣わされて、人となり、神を証言するために、「わたしを見た者は父を見たのです。」と人々に言って、神を見た者として証人となられ、神を見せられたのです。
 そして今や、この証人としての働きを弟子たちに渡されたのです。地の果てまで福音を伝える異邦人の光として立てられたのです。彼らが、目の前で親しく見聞きし、触れ、共に分かち合ったイエス・キリストの十字架と復活のすべてを、証言し続けることが、彼らの任務であり、私たちの任務です。この任務により、神の国は人々の心の中に建てられてゆくものであって、キリストの支配が、全世界の人々に及ぶものです。
 
3 この任務の広がりを考える
エルサレムから始まるこの任務は一日仕事では決してありません。エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、及びます。2000年経ってなお、まだ終了していません。それで、私たちの教会のビジョンは次のように表明しています。
 
『 5.伝道 Witness 使徒1:8,マタイ28:18-20 幕張新都心や美浜区、東関東、日本全体、全世界で私たちが会う人々に、言葉と愛により、イエス・キリストの恵みの福音を伝えます。』
 
 証言することの難しさがあります。証人であり続けることにより、被るかも知れない利害損失、中傷、迫害があります。それにめげずに証人であり続ける信仰の勇気がいります。この働きの長期戦を覚えましょう。つい口をつぐみ、イエス様はよみがえらなかったと言いたくなるような状況に陥ることが起こるでしょう。自分はクリスチャンではないと言ってしまうことが起こるかもしれません。
 神様は弟子たちのこれから始めるこのような戦いの苦難を予測して、正しく伝えられて証言されてゆくようにと、福音の内容を文書として残されました。旧約聖書です。その上で、新約の教会の生み出される過程で、真理の聖霊が新約聖書を生み出されました。教会や弟子たちの証言が途中で変質したり、事実を否定したり、本来の意味を変えてしまわないようにと配慮してくださいました。
 宣教の聖霊は弟子たちに臨み、そのための力を彼らに注いで、証人として支え守り遣わされようとしているのでした。
 
 結び)同じ聖霊は、私たち一人一人の上にも臨み、キリストの証人として力を与え、その任務を必ず全うさせてくださることを信じます。すべての機会に時が良くても悪くても、主の証人として人生を更新していただいた者としてのあかしを続けましょう。

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