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2019年12月22日クリスマス礼拝 音声




2019年12月22日クリスマス礼拝 詩篇110篇4節  「とこしえの祭司」
序文)救い主(メシア・キリスト)の誕生をお祝いする目的でクリスマス礼拝を私たち守ります。救い主の誕生と働きは旧約聖書、特に詩篇で預言されていました。詩篇2篇と双璧をなす、詩篇110篇全体は、勝利者イエス・キリスト預言です。時満ちて、敵を足台とし、力強い杖を伸ばして治め、御怒りの日に、王たちを打ち砕き、広い国を治めるかしらを打ち砕く主の威光を宣言する賛歌です。偉大な王イエス・キリストのもう一つの重大な存在と働きの側面が「とこしえの祭司」(4節)なのです。
Ⅰ「主は誓われた。思い直されることはない。」
  詩篇110篇を歌ったダビデは、王であった時に預言者ナタンを通して神が誓われた言葉を覚えていました。それは「彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(第二サムエル7:13)。主が誓われた誓いは、人間の誰も取り消すことができません。
取り消せるとすれば、誓われたお方だけです。真実の神も、真実にかけて取り消すことはありません。思い直されることがないのです。内容は、「わたしは、彼、すなわちメシア・救い主の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」さらに「あなたはとこしえの祭司である」と言われたことです。
 
Ⅱ「あなたはメルキゼデクの例に倣い。」
 メルキゼデクは、創世記14:18〜20に神秘的な存在として登場しています
彼には系図がないのです。父なく母なしなのです。セム人種の間では、系図のないことは異常なのです。大祭司メルキゼデクは、どこからともなく突然に現れます。これは重大なことです。メルキゼデクは、アロン系という先祖から受け継いだ大祭司ではなくて、個人的資格で大祭司になったのでした。これによって、イエス様は、アロン系の大祭司ではなくて、個人的な権威に基づいて大祭司となったことを示しています。 メルキゼデクは正義の王であると同時に、サレムの王、すなわち、「平和」の王でもありました。個人的に正義の祭司であります。平和の祭司であります。王族出身の祭司でした。そして彼は始めなく終わりもない永遠の祭司です。そして、生涯の初めもなく終わりもないように、この祭司制は終わりがないのです。信仰の父アブラハムが、彼に一番よい戦利品の十分の一を与えているのです。メルキゼデクがアブラハムを祝福したのです。逆ではありません。上位のものが、下位の者を祝福するのです
  メルキゼデクの優れている点は、新しい大祭司で、レビ族出身ではないということです。主イエスはユダ族出身でした。このこと自体、旧制度が過去のものとなり、律法よりも偉大な方がでてきて、律法の目的を成就してしまったために、旧祭司制が死文となってしまったことを示します。
  新しい祭司制は永遠までつづきます。新しい祭司制は、朽ちることのないいのちの力によって立てられるべきです。そのため、世々に受け継ぐといった不安定なものではなく、決して朽ちないもので、破壊や、可変性の影響をうけないのです。永遠のいのちの力として、その働きはつづくのです。
 何よりも、新しい祭司制は、神の誓いによってたてられた。メルキゼデクに例に倣う大祭司は神の誓いによって任職しました。イエス・キリストといわれる大祭司は神がたてられた。そして誓われた。これにより主はさらに優れた契約の保証となられた。保証人は保証したことを履行しなければならない。神が、人間を救うために立てられた計画を実行し、間違いなくそれを与えてくださる保証人としてイエス様を立てられました。
 イエス様の働きの永遠性と偉大さとをハッキリと教えられます。
 
Ⅲ「とこしえに祭司である。」
 新しい大祭司イエス様は永遠に生きつづけられる。神の右に座し、聖徒のために執り成しを続けておられる。 キリストはいつも生きておられるのです。復活の主は、永遠に御座の前に生きておられます。かつて死を経験されましたが、葬られて後3日目によみがえられ、今も生きておられるのです。主は生きておられる。このリアリティーが私たちを圧倒します。 キリストの執り成しは、何か危険のあるときだけではない。キリストは四六時中のとりなしをされます。
 言い換えると、私たちはいつも執り成しくださる、とこしえの祭司が必要なのです。それほどに無力です。私たちがそのことに気が付いていなくても、キリストはご存じである故に、いつも執り成していてくださるのです。地上を人として生活された主は弱さを理解し、ペテロの信仰がふるわれて倒れたときにも、前もって、とりなしておられる。その瞬間にも信仰がなくならないようにと支えておられる。そのように主は、今も私たちのためにとりなしつづけておられる。
 御座の右から、地上をごらんになってとりなしておられる。執り成しの範囲は、この教会だけではない。神に近づく人々すべてのためにです。地上に存在するすべての主の教会のために、聖徒たちのためにとりなしておられる。事件が起こっているなら、その中に摂理を働かせようととりなし、伝道が進んでいるなら更に進むようにととりなし、停滞し、教会が死にかかっているなら、再生のために執り成しておられる。私たちが、忠実であるなら更にみわざを担わせて、信仰の訓練と、御国の進展を任せられる。不忠実なら、忠実になるまで追いかけ続けて、立ち返らせようとされる。それぞれの状況にぴったりと合わせて執り成し続けておられる。それゆえに、主は完全に救うことができる。
 
 結び)この方による以外に救いはないのです。今も生きてとりなしておられる救い主を仰ぎましょう。これらの結果、主イエス・キリストによって神に近づくすべての人々は間違いなく完全に救われる。みからだである教会のかしらキリストはこのようにして現在もわたしたち一人一人と深く関わって働いておられる。2000年も前の救いのみわざは、今日もオンラインで一人一人に生きて与えられているのです。
 私たちはキリストの教会の一員として神のこの様な真実に目を開かれて互いに愛し、励まし、勧め、重荷を分かち合いつつ、信仰から信仰へと、恵みに恵みを加えられて、主の栄光の姿に変えられ続けてまいりましょう。
 






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