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2020年3月1日 礼拝音声



2020年3月1日 マタイ16:18−20「この岩の上に」その一
 
序文)ペテロの信仰告白「あなたは,生ける神の御子キリストです。」について,永遠に神の子でありながら,キリスト・救い主となるために人となられた,すなわち人の性質を取られたこと,その際に,罪なくして生まれられ,生涯そうであったこと,それで,わたしたちの罪を背負い身代わりとなることができたこと,神の子の性質の上に人の性質を採られた結果どの様な存在となられたのかを学んできました。いよいよ今朝は,ペテロの答えに対する主イエス様の喜びの応答を学びます。
 
「するとイエスは,彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく,天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』」
 
Ⅰ バルヨナ・シモン。あなたは幸いです!
1 ペテロの短いけれども意味深く,真実で,的をえた告白を主イエス様は大層喜んでくださいました。実はペテロの答えは一個人というよりも,12使徒たちを代表し、また後に来る私たち信徒を代表して,答えたと考えられます「バルヨナ・シモン。」と呼びかけられました。「シモン」は彼の生まれた時につけられた名前です。「バルヨナ」は「ヨナの子」とう意味です。彼がイエス様から「ペテロ」と名付けられる前から持っていた名前です。姓名の中で姓はユダヤ人たちの親の姓を用いてその子であると名乗りました。マタイの福音書の1章の書き出しを見ると分かります。名が「シモン」です。イエス様があえてこのように彼を呼ばれたのは,シモンが自分の生まれ来た過去を思い起こし,その上で,このような素晴らしい告白をできたのは何故かを考えさせるためでした。主は彼を祝福し「あなたは幸いです」と言われました。ただ神の恵みによってこの告白ができた。真の信徒は,神の目から「幸い」な存在であります。イエスの母親「マリヤ」は「あなたは祝福された方」と天使から言われました。キリストにあって全ての信徒・神の民は「幸い」な存在です。なぜなら,「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく,天にいますわたしの父です」から。
 
2 「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく,天にいますわたしの父です」
 生まれながらのシモンだったら,「あなたは,生ける神の御子キリストです」と告白することはできませんでした。それが見事に告白できたのは,実は「天のわたしの父」が明らかに,あなたに示されたからです。信仰は全て天の父なる神様から与えられる。聖霊が注がれて真理がわかるようになる。天からの啓示なしには信仰は生まれない。キリストがどのような方であるか,自分とどのようないのちの関係があるのか,救いの恵みをどうすれば受け取れるのかを示し,受け入れられるように働かれるのは,真理を解き明かす助け主,聖霊です。このお方が私たちの内に働いて,素晴らしい告白にまで導いてくださるのです。
神がいのちに予定されたすべての人間は,神がよしと定められた一定の時期に,神のみことばと聖霊とで,福音への呼び掛けを受けます。呼び掛けがみことばと聖霊により行なわれる。天上のキリストが救い主として職務を果たされる時に,みことばと聖霊を用いられる。罪人の改心がみことばだけで起きると考えることは間違いです。また同様に,聖霊だけで起きると考えることも間違いである。みことばと聖霊の両方をキリストはお用いになる。それこそ真の幸いの揺るがない基礎なのです。シモンが他の弟子たちに鼻高々になって,どんなもんだい,と言ったりしないように!神があなたにくださった信仰という賜物なのだと認め謙りましょう。
 
Ⅱ「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」
 
1 イエス様はシモンに「あなたはペテロです」と呼び方をかえて言われます。「この岩の上にわたしの教会を建てます。」歴史上,ある意味で一番論争を呼んだおことばです。
間違えないように説明したいと思います。まず呼びかけの名前が「バルヨナ・シモン」から「ペテロ」に変わった。シモンがイエス様に召されて12弟子となった時「こうしてイエスは12人を任命された。シモンにはペテロという名をつけ」(マルコ3:16,マタイ10:2)とある通り,早い段階から「ペテロ」と呼ばれていました。マタイ福音書では「ペテロ」という名を優先的に使っている。「シモン」というときは「ペテロと呼ばれるシモン」と説明付きです。ヨハネの福音書では「イエスは,シモンを見つめて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば,ペテロ)と呼ばれます」(ヨハネ1:42)。「ペテロ」(ケファ)は「岩」を意味します。実際には彼の性格は安定性と確実性を示す「岩」というよりは,相当違っていました。しかし,マタイ福音書では弟子たちの筆頭者のごとく振る舞っているし,そのように他の弟子たちも見ていました。
 
 イエス様はここで,本当の「岩」になってもらいたいと考えておられただろうし,この「岩」によってペテロは弟子グループの指導者であり,初代の成長しつつある教会でも,群れの指導者であった。ペテロはこの信仰告白をもとにして教会の礎石としての役割を担うこととなりました。それはペテロだけではありません。「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて,キリスト・イエスご自身がその要の石です」(エペソ2:20)。キリストが要の石であることはその通りですが,その上に建てられる教会は,使徒たちや預言者たちにより据えられたのです。神が完成される天の都の情景が黙示録に書かれています。「都の城壁には12の土台石があり,それには,子羊の12使徒の,12の名が刻まれていた」(ヨハネ黙示録21:14)。使徒たちは初代教会の基礎を築きました。それだけではなく,その使命をまっとうし,神が再創造される天の都の土台石となっています。
 
2 「わたしの教会を建てます。」教会は「わたしの」であって他の誰のものでもありません。主イエス・キリストのものです。教会のかしらはイエス様です。初めから永遠までそうです。よく誰々牧師の教会とか,誰々宣教師の教会とか言いますが,それは間違いです。開拓のために用いられたことは確かですが,あくまでも教会はかしらである主イエス様のものです。イエスの名によって呼ばれるのです。キリストはかしらですから,天地の支配権を持っておられ,教会の支配権を当然持っておられます。あらゆることの審判の基です。あらゆる権力の基です。この権威に従う者はみ父からの権威をさずかり,選ばれた人々の救いのために参与することが許されるのです。
 
Ⅲ 「ハデスの門もそれには打ち勝てません。」
 ギリシャ語のハデスは,ヘブル語ではシェオール。死者の行くところを一般にさしています。「門」は城門のことです。力を意味することもあります。ハデスの門は,そこに死者を閉じ込めて,外に出られない様にしている死の力をさしています。イエス様は,ハデスの門・力が,「イエスは生ける神の子キリストです」という真理に立つ教会には勝てない,と言われたのです。死に打ち勝つ復活のキリストと,信じる者たちに与えられる復活のいのちと最後の審判における勝利をさしています。最後の審判の時に「死とよみ(ハデス)も,その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。それから死とよみは火の池に投げ込まれた。これが,すなわち火の池が,第二の死である」(黙示録20:13-14)。永遠の滅びに決定づけられる者と,永遠のいのちに決定づけられる者がいます。教会の聖徒たちは死の力から開放され,永遠の復活のいのちの中に共に勝利するのです。
 
結び)現在も教会は,この「あなたは生ける神の子キリストです」という告白の上に立ち続けています。私たちが信じて告白している主イエス・キリスト様が,間違いなく救い主として永遠まで天地と教会のかしらとして存在し続けておられることを感謝し,聖名を褒め称えましょう。次主日は、ウェストミスター信仰告白25章「教会について」を学びます。
 
 

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