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2020年3月15日 礼拝音声




2020年3月15日  「組織体としての教会」マタイ16:18-19  エペソ4:11-16
序文)キリストが建てられて今日までも続いている教会の本質的なことについて、先主日「見えない教会」と「見える教会」について学びました。今朝は続きです。組織体としての教会について学びます。天の御国の一員として、今は地上の見える教会に属しているのですから、その本質を正しく理解し、信じ、告白してまいりましょう。
 
Ⅰ 組織体としての教会
 1 ウェストミンスター信仰告白8章三項「キリストは、世の終わりまで、この世にある聖徒らを集めまた全うするために、この公同の見える教会に、教役者とみ言葉と諸規定とを与えられ、また約束にしたがって、ご自身の臨在とみたまとによって、それらをその目的のために効果あるものとされる。」と告白されていることがらは、教会が「組織体」であることを表わしています。
 見えないキリストの体である教会を建てあげてゆくために、見える組織体としての教会が役だっている。そのために主イエスは教会に教役者と聖書と礼典を与えられました。
 あらゆる人間のあつまりは、混乱と分裂を避けるために、また、それが本来の目的を達成するために、その集りや活動を統治する規則をもっています。キリストの教会もその始まりから、この人間社会の一般法則に従っているのです。
 2 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。神はすべての被造物のためにもろもろの定めを設けられた。そして、教会においても、すべてのことが見苦しくなく秩序正しく行なわれるようにされた。Ⅰコリント14:33、40。神は教会を特別な目的のために用いようとされた。教会は神の栄光をあらわし永遠に神を喜ぶために建てられている。しかし、地上に存在するかぎりまだ不完全である。それぞれの肢体が、また、すべての肢体が共に、絶えず、罪と戦って聖潔を追い求めてゆかねばならない。これらの人々は、終始、教導と指導と監督と勧ましと訓戒とこらしめを必要としている。それだけでなく、教会はまた、代々ふえてゆかねばならない。教会はいつも同じメンバーを持ってはいない。教会では、日々、勝利の教会に移される人々が天の御國に去ってゆく。そして、絶えず教会の中で養育され、教会生活に導き入れられねばならない新しい会員が増しくわえられているからである。さらに教会は全世界とすべての造られたものに福音を宜べ伝えよという命令をキリストから受けた。それゆえに、教会は内に対してだけでなく外に対しても、遂行すべき重大な使命を受けている。
 神は、この命令を教会に与えられたとき、同時に、教会にそれを遂行する資格と備えを与えておられる。神は教会に課せられた職務を教会が遂行できるように、もろもろの事物を整え、また、賜物と権能と務めを与えておられる。神は教会に使徒、伝道者、牧師、教師を与えておられる。それは教会のなかで奉仕の業をさせ、キリストのからだを建てさせ、聖徒達を完全な者にするためであった。それゆえに、このような備えはすべて、目的が達成され、すべての者が神を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、キリストの満ちみちた徳の高さに至るまで、なされている(エペソ4:11〜13)。
 
3 言いかえれば、信者の集りである教会は、地上で果たさねばならない使命のために、キリストから特定の制度を、すなわち、もろもろの賜物と権能、職務と奉仕から成る特定の備えを与えられたのである。それによって、教会は使命にこたえることができるのである。このもろもろの法令や規則から成る制度は後から教会に付加されたものではなく、初めから教会にあったものである。あらゆることを同時に論ずることはできないから、まず信者の集まりとしての教会について論じ、その後で教会の生活と働きを規制する規則について語ることにする。しかしこのことから、前者は後者が定められるようになった以前からあったもので後者なしで存在していたというような推論をしてはならない。神は地上の教会を建てられた時ただちに、この世における教会の位置と仕事が要求しているような教会を建てられたのである。
 
Ⅱ 教会制度の変化
しかし、両者の間には、時間的相違はないが、ある相違がある。それは、教会にあたえられた制度が時代の経過と共に著しく変わっていったということから明らかである。
 1 創世記の時代から、地上には信者たちがいた。彼らはまた、疑いもなく共に集っていた。創世記4:26には、エノシュの時代に、「人々は主の名を呼ぶことを始めた」としるされている。これは、疑いもなく、カイン族の時代に、主の御名の告白をめぐって、セツ族が分離し、集会をするために集ったという事実を述べているのである。それゆえに、その時代からずっと公的礼拝が行なわれていた。それは、おもに説教といけにえと祈りから成っていた。しかし、そのほかにも、なお、わずかながら、組織についても述べられている。その時代の教会は、その中心を家庭に持っていた。父祖時代には、父は家族の主であり、また祭司であった。彼は割礼を施し(創世記17:23)、いけにえをささげた(創世記22:2、26:25)。
 
 2 シナイで、律法が与えられ、神がその民と契約を結ばれた時、大きな変化が起こった。その時、祭司制とレビ族の制度が定められた。いけにえをささげる場所と時が指定された。供え物がそれぞれ区別されて、一定の順序で配置された。聖別された人と時と場所と行為に関することがすべて厳密に規定され、詳細に定められた。律法は重いくびきであったが(使徒15:10)その時代には、罪感覚を鋭敏にし、ゆるしの必要を自覚させ、いけにえの意義と必要性を明らかにして、キリストに導くために必要であった。
 
 3 それでも、このような公的律法的規定のもとに、またそれと並んで、ほかにもイスラエルの宗教生活の組織が生じた。イスラエルの民はカナン全土にわたって住み、ある者たちはヨルダン川のかなたにも住んでいたことを覚えなければならない。このことは、この民の比較的少数の者たちだけが大祭のためにエルサレムに上って行くことができたということである。さらに彼らのすべての者は、安息白を厳格に守るように義務づけられていた。そして、彼らはみな、それを自分たちの住んでいる所で祝った。その方が便利であったし、このような日に信者たちが宗教的集会を開いて、共に律法を瞑想し、賛美を歌い、祈りをしたということは十分考えられることである。したがって、使徒15:21「モーセの律法は、昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸会堂で読まれていたからです。」とあり、古い時代から、どの町にも、モーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであったと、しるされている。
 イエスは会堂での集会に出席することを習慣にしておられた(ルカ4:16「それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつでもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。」)。それだけでなくイエスはモーセの律法をすべて守られた。したがって、すべての正しい事を成就された。だが、彼は、このように律法を守ることによって、律法を成就し、弟子たちには律法の厳しいくびきとは異った、軽い荷を負わせるために来られたのである。この異る荷とは、負いやすくて軽く、彼らの魂に休みを与えるようなものであった(マタイ11:29〜30)。彼は、神の国の福音を宣べ伝え、弟子を集められた。彼らは、彼を自分たちの先生として認め徐々に、彼のご人格と御業について、ますます深い知識をもつように導かれていった。
 
Ⅲ 12使徒の選出
1 キリストは、この弟子たちの群れの中から、イスラエルの十二支族にならって(マタイ19:28)、十二人を選び、使徒という名を与えられた(ルカ6:13)。この選出の重要性は、キリストが祈るために山にいかれ、夜を徹して神に祈られた後に、選出がなされたという事実から明らかである(ルカ6:12)。人間的な言い方であるが、神の国の将来に属する非常に多くのことが、この使徒の選出にかかっていたのである。キリストが十二人の弟子のおのおのに与えられた使徒という名は、全権大使とか、使者とか宣教師を意味する言葉であつて、当時では、聞き慣れた言葉であった。この使徒選出の直接の目的は、イエスが彼らをご自分のそばに置かれるためであり、さらに、宣教のために、また、病人を癒すために遣わされるためであつた(マルコ3:14〜15)。イエスはそのようにして、彼らをガリラヤのいろいろの村や町につかわされた。イエスはこの伝道によって、明らかに、ご自分の手の届かないユダセ人たちに福音をもたらそうとされたのですが、同時に、使徒たちに、将来の働きのための準備をさせられたのです。
 
2 そして、その将来の召命とは、イエスの昇天後、彼らが彼の証人として世の中に出ていき、その証言の上にイエスの教会を建てるということにほかならなかった。イエスはこのことのために、彼らを特別な方法で備えられた。すなわち彼らと行動を共にすることによって、また彼らを教えることによって、彼らをご自分の言葉とみわざの証人、ご生涯と受難の証人、死と葬りの証人、そして、また特に復活の証人とすることによって、また、彼らにすべての真理を知らせ、彼らを慰め、永遠に彼らと共におらせられる真理の御霊を彼らにつかわすことを約束されることによって、そなえられたのです。
 
3 彼は、この準備とともに、彼らに独特な特権を、すなわち、宣べ伝え、教える権能、独特な方法であらゆる種類の病人を癒す権能、洗礼を施し、聖餐式を行なう権能、戒規を執行する権能『もし、あなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って、二人だけのところで指摘しなさい。その人が、あなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。もし、聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべての事が立証される用にするためです。それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなた方に言います。何でもあなた方が地上でつなぐことは、天でもつながれ、何でもあなた方が地上で解くことは天でも解かれます』(マタイ18:15-18)。罪を赦したり赦すことを拒否したりすることによって天国を開いたり閉じたりする権能を与えられた。使徒たちはキリストのしもべであり、神の奥義の管理者であった。「人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。」(Ⅰコリント4:1)。
 結び)イエスは教会が地上で組織体として生き生きと機能するために、教職者を任命されました。来主日は講壇交換ですので、その次29日主日には教役者について一特定の職務、長老職、執事職について学びましょう。さらには、小会、中会、大会という統治のシステムについてなどを学びましょう

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