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2020年4月19日礼拝 音声 

本日の礼拝音声です。

2020年4月19日 10:45-12:00 礼拝式順

前   奏                    
招きの言葉   マタイの福音書16章15−19節
教会福音讃美歌  9番 つくりぬしを賛美します
開会の祈り                 
主 の 祈り
教会福音讃美歌 477番 いまだ見ぬ地
聖 書 朗 読     使徒の働き15章1-35節
聖 書 の 話  「日本長老教会・会議について」 廣橋嘉信牧師
教会福音讃美歌  482番 昔 主イエスの
献   金                   
報   告
とりなしの祈り
頌栄(教会福音讃美歌) 272番 みつにましてひとつの神
祝   祷  
後   奏      567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」

2020.4.19 使徒の働き15:1-35 「日本長老教会・会議について」
序文)主が「わたしの教会を建てます」と言われたおことばの中身を順次学んできました。今朝は、日本長老教会の会議について説明をします。日本長老教会は、小会(セッション)・中会(プレスビテリー)・大会(シノッド)という教会会議を積み重ねつつ、代議員制に基づき教会政治を行います。その原型は、使徒の働き15章にあります。


Ⅰ エルサレム教会会議 使徒15:1-35
1 パウロとバルナバがエルサレムに遣わされた。ある人々がユダヤからアンティオキア(アンテオケ)に来て割礼は救いにとって必要であると告げた。異邦人キリスト教の急速な発展はエルサレムの厳格なユダヤ主義キリスト者のある者にとり、心配の種になりました。モーセ律法をおびやかす。キリスト教はユダヤ教から完全に分離することが可能とさえ見えました。この厳格なグループのものたちは元々パリサイ人だった人々を含んでいました。彼らは、異邦人が中心の構成員であったアンティオキア教会で、大胆に信者は割礼がないと救われないと、教えました。後になって、この人々の意見は教会の大多数の意見ではないことが証明されました(15:24)。使徒たちと長老たちは、ユダヤ主義者たちが自分たちを代表したことはない、と否定しました。パウロはガラテヤ2:4で同様のタイプの教師について語っています。ユダヤ主義者たちはクリスチャンが常に告白してきた律法への忠誠を守り抜きたいと願っただけらしいのですが、実際には福音の信仰の原理に不忠実となったのです。この騒ぎの結果パウロとバルナバはエルサレムに遣わされました。

2 このエルサレム会議で何度か集まりが開かれたかについて見解は様々です。しかし、おおよそ三つの部分に分けられます。
 第一 パウロとバルナバが使徒たち、長老たちから公式に受け入れられたこと(出迎え 15:4)。第二 エルサレムにてパウロとバルナバは伝道の働きを説明し、その働きの特別な理由を説明しました(15:4はパウロが飢饉援助に以前来たときより教会政治に進歩があった事をしめしています)。それから、パウロとバルナバは、私的に報告した働きを公式に全教会の前で報告しました。第三 使徒たちと長老たちの特別集会が、この問題を考慮するために開かれました。ペテロは、新しい改心者に完全な自由を与える事を支持する演説をしました(7節)。この演説の効果は聴衆がパウロとバルナバのアンティオケアでの働きを語ったとき、注意深くきこうとしたことにより示されています。割礼を支持する人々は少数、しかし、ユダヤ人の感情と習慣に何らかの譲歩がされるべきとの思いがありました。異邦人らは教会の中に受け入れられるべきであったが、ユダヤ教の背景から全く独立するわけにはいかなかった。異邦人らが、潔さに関する根本的規則を受け入れることは必要であった。エルサレム会議の議長ヤコブは14〜21節で教会の気持ちを要約しました。ヤコブは律法に部分的にしたがうように助言する理由として、潔さに関する規則がローマ帝国の全体の町々に広く広まっている事実を述べています。ヤコブは異邦人がダビデの幕屋に受け入れるべき事が預言されており、ペテロの説明にて確認されたことを思い出させています。ヤコブはアモス9:11、12を用いています(ギリシャ語七十人訳聖書)。

3 決議 
 一方で極端なユダヤ主義が強く否定され、他方律法の一部分の義務的なことが宣言された。演説を聴き状況を知る者は、これが命令というよりも(動詞の命令形を用いていない)、強い推奨であると分かります。
 この決議に、アンティオケアの教会とシリヤやキリキアの教会が服従しました。パウロが使徒として、あるいはペテロやヤコブが使徒としてあやまりなくこの問題について布告を宣言する力は当時与えられていました。それにもかかわらず、このように教会会議を開き、一人一人使徒たちも所信をのべ、長老たちも参加して検討した。なぜこのようにしたのか。

Ⅱ それは、私たちへの同様な事情が起こった場合の指針とするためでした。
1「すなわち、何かの違いが起って、それが発生した会衆の内で解決できない場合、会議の資格における教会統治者たちの解決に照会されなければならない。ここに長老会議に上訴する特権、ならびに長老たちの協同的資格において行使される統治権が見られる」(ウイズロー著『使徒的教会』)

日本長老教会憲法 総則(教会会議)第25条 
長老政治の特徴の一つは、小会(地区教会にある長老会議)、中会(地区教会の集まりである長老会議)、大会(中会の集まりである長老会議)と積み重ねられる教会会議において教会の全体的統治と見える一致を目指すところにある。教会会議の議員である教師と長老は平等の資格を有する。

教会の統治が正規の段階を持った会議によって行われることは長老政治の特徴です。それは日本長老教会の全体的統治と見える一致を目指しているのです。
 「会議」の確立を重んじる。会議は教会の最高機関である。もし会議の権威を重んじないならば、結局は、もとのようにカトリック教会の「司教」の権威が尊ばれるようになる、との反省がある。宗教改革の一つである「司教」の権威が尊ばれると、みことばの権威が軽んじられてしまうと言う危険に対抗しています。これは長老教会の形成にあたって一貫した思想です。小会に類するものは他の政治形態にもあります。しかし、中会、大会システムは長老政治にしかない。長老教会とは中会・大会というシステムを重んじる教会で、各地区教会に長老がいるというだけでは不十分なのです。

2 正議員となりうるものは教職長老(按手を受けた教師をこのように呼ぶ)と信徒長老(信徒総会で選ばれて按手を受けた信徒代表)である。両者は会議において平等の資格を有する。信徒長老は地区教会を代表して教会会議に出席し、教職長老である教師は、教会の主権者であるキリストに対して責任を負い、みことばの務めを背景に教会会議に出席する。そのことにより教会会議と地区教会の自由との調和を目指す。
 日本長老教会の場合、各会議の組織人員は、小会は最低3人(教職長老、信徒長老2人)から組織することができ、中会は最低6人(3地区教会)から組織することができる。大会は二つの中会から組織できる。中会の全正議員は大会の正議員として大会を組織する。また理論上、総会(ジェネラル・アッセンブリ)は二つの大会から組織できるが、現在、日本長老教会は大会は一つだけなので、総会の政治規定はない。すべての段階の教会会議に各地区教会は参加する。それで上の段階の会議で勝手に知らない間に何事かが決められ命令されるということはない。

3 各教会会議には最低、議長と書記が存在する。議長は各会議の規則にしたがって会議を招集し、その秩序を維持し、すべての議事を適正かつ迅速に処理する一切の権能をもっている。書記は会議の議事を注意深く記録し、保存しなければなりません。書記の記録は会議で承認され公的資料となります。記録調査委員会が各地区教会や、中会会議の記録の適性か否かを調査する権限を与えられており、各中会会議、大会会議に報告をします。
  
Ⅲ.教会会議の法治権(会議の権能)
 上記の事柄を別の角度から見ると、法治権は全く霊的、道徳的であって、いかなる時も体刑あるいは社会的制裁を加えることはできません。その範囲は聖書の至上の権威に基づいてのみ代行し宣明することができる。法治権が関与することができるものはキリストの教理と命令、教会の職制、訓練規定・矯正的訓練の執行です。
教会会議は絶対権威を主張して、良心を束縛するような規則を制定することはできません。信条を作成すること、教会の内外における教理の誤謬と生活の不道徳とに対して抗議すること、良心問題を審議することができます。教会会議は教会の政治、訓練、礼拝、伝道のために規定をもうけることができますが、それらの規定は聖書の教理と一致するものでなければなりません。教会会議はキリストの律法に従う事を求める権限を有するゆえに、有資格者に諸式(洗礼、告白、転入、加入、任職、就職)を受けさせ、不従順で、秩序を乱す者の職務を解き、礼典に預かる特権を停止することができます。最大の戒規は、不従順で悔い改めないものを信者の集団から除名することです。教会会議はこれらの法治権を行使するのに必要な一切の執行権を有しています。
 小会はその教会に法治権を有し、中会は一定地域内の教師、小会、および各教会に共通の事項に法治権を有します。大会は、全教会の中会、教師、小会および各教会に共通の事項に法治権を有します。すべての教会会議は、その性質において同一であり、本来同等の権利と権能を有しています。
 小会会議で、教理および秩序に関して紛争が生じたときは、中会・大会の決議に服する事が、中会会議で、教理および秩序に関して紛争が生じたときは大会の決議に服する事が、それぞれに、全教会の純潔と一致のために必要です。各会議は、それぞれ固有の法治権を有しますが、下位の会議は正規の段階をへて上位の会議の議決と管理に服さなければなりません。すなわち各会議は分離独立する機関ではなく相互関係を有し、各会議の議決はそれぞれ適当な機関によって行われる全教会の決議とみなされます。

Ⅳ その他の会議について
1.執事会(日本長老教会 政治基準第一部 第9章執事会)
 執事会は、長老教会においては、小会、中会、大会と同様の教会会議とは考えられてはいない。長老たちは、執事会の構成員になることができるし、ときには執事会議長を務めることもできる。通常、執事は教会員のうちより選ばれ小会より付託された権限において慈善的活動、会計および財物の維持管理に関する教会の任務を常時執行します。キリストの憐れみの部分を担うけれども、小会の独自な働きである教会訓練に関するすべての部分や、霊的支配に関する決定をする権限は与えられていません。教会政治には携わらないのです。しかし個人でするのではなく、選挙により選ばれ、合議制で任務にあたります。時々執事に将来長老に選ばれる可能性のある人を訓練のようにして選ぶ場合があるが、これは本来の趣旨からいっても避けなければならない。
 第9章41条 愛と奉仕「執事はその資質として『深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け』た愛の人であることが要求されます。なお、罪からの救いの福音は、隣人と社会への愛と奉仕をもたらすためのものであるため、教会は執事職を通じて教会の外にも働きかける。」

2.会員総会(日本長老教会 政治基準第二部 第16章会員総会)
「地区教会は、会員総会においてその意思を決定する。」(第94条)と規定されている。これは会衆政治のように、会員総会が全権限をもって政治を行うという意味とは違っています。所定の事項について、会衆の意思は会員総会において協議し、まとめる、決定するという意味である。会員総会は最高の意思決定機関ではありません。小会、中会、大会のような政治的会議体とは考えません。司法・立法・行政に関する正規の会議ではありません。
 会員総会の権限は第98条で次のように規定されている。
 ・教会の行う事業の種類および内容の決定
 ・予算の編成および決算の審査
 ・牧師招聘および退任、長老、執事および教会学校長の選挙
 ・教会財産の取得および処分
 ・教会の合併および解散などに関する事項
 ・教会規則の改正
これらの決議事項中で会員総会が決定的な権能をもつのは、財産の取得および処分とか予算の編成など財務上のことがらです。牧師に関する事項や、教会の合併および解散などは、小会、中会、大会などの裁定をへなければならないのです。

結び)以上で、「わたしの教会を建てます」と言われた主の教会について、聖書から総括的に学びをしました。主の栄光を現し、永遠に喜ぶために、信仰の道を目指して共に歩み続けましょう。次週からは、マタイの福音書の連続講解説教に戻ります。

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