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2020年6月21日礼拝 音声


6月21日礼拝音声です。

2020年6月21日礼拝式順

前   奏                    
招きの言葉      マタイの福音書 16章18-19節
さ ん び      あなたの瞳
さ ん び   わがたましいの羊飼い
開会の祈り                 
主 の 祈り
教会福音讃美歌    278番 羊飼いの羊飼いよ
聖 書 朗 読      マタイの福音書 18章12-20節  
聖 書 の 話     「小さい者の一人を得よ」 廣橋嘉信牧師
教会福音讃美歌    462番 主の愛と御恵みに 
献   金            
報   告
とりなしの祈り         
頌栄(教会福音讃美歌) 272番 みつにましてひとつの神
祝   祷  
後   奏      567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」

2020年6月21日 マタイ18:12−20「小さい者の一人を得よ」
序文)今朝の同じ章句が、ルカの福音書15章1-10節に出てきます。同じように見えますが、違いがあります。ルカの方は、罪人の改心を取り扱い、神の愛を伝えています。話している相手がイエス様の敵対者に向かってです。今朝の箇所で主イエスが話している相手は弟子たちです。天の父の愛のお心と、それを受け継いでいる信徒同士の小さい者への愛に焦点があります。 

Ⅰ マタイ18:12−14
1「あなたがたはどう思いますか」
主イエス様の弟子教育の方法は、質問を投げかけて考えさせ、のちに答えを示すという手順で進みます。羊を百匹持っている人が、一匹を失ってしまった。その時、九十九匹を山に残して、失った一匹を探しに行かないだろうか。答えは、その人が良き牧者ならば、必ず「行きます。」この態度は永遠から変わらないのです。良い牧者のイエス様は、必ず探しに行きます。「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)。私たちは、良い牧者である主イエス様が十字架の上で身代わりになって捨ててくださったいのちによって、探し出され(救われ)、神の子(羊)としていただいた仲間たちです。山に残されている九十九匹は、失った一匹を牧者が探しにいっている間に狼などに襲われる危険性があります。しかしどの一匹にも豊かな牧者の愛は注がれているので、失った一匹をおろそかにするわけにはいきませんでした。
良き牧者・主イエスにある信徒同士は、天の父の大きな愛の配慮の中に置かれています。残されたと思われる九十九匹にも豊かな守りがある。一人ももれずに、いつも覚えられている。だから、その中でも小さい者と思われている信徒もかけがえのない存在として探し求めて見つけ出し、元の群れに引き戻そうとしておられる。

2 迷い出たら(原意:正しい道からそれる、横道にそれる、誤った方向に向かう)
 私たちは、よく迷い出る羊であります。弟子として救われた時に主が置いてくださった教会、遣わされている地上の地域教会から、入学や、結婚や、就職、転勤などによって移動するのではなくて、いろいろの自分なりの理由を見つけて、さまよい出てしまうのです。私たちは日常生活で目の前のことにだけ心を奪われて、そうこうしているうちに迷い出てしまっているのです。本来いるべき所から離れてしまっているのにも気づかないのです。もう御国に帰るべき人生の夕闇が迫って来ているのに、なおも、気づかないでいるのです。そのような自分たちを探し求めて御国から来てくださった救い主イエス様の呼び声をきかなければなりません。「あなたはどこにいるのか?」「そこで何をしているのか?」「あなたが育成され、成長するべき場として、わたしが建てた教会にいないで、それているのはなぜか?」神から遠く離れた者、自分で危険と死に直面している者、信仰の破船に直面している者、もう自分に頼ることができない者となっているのに気づかないでいる。天の父なる神が探し求めておられる者です。良き牧者のみ声を聞いて、はっと我に帰り、正しい反応を示す者は、見つけ出されるのです。見つけ出したときの主イエスの喜びは天にも溢れるのです。ここに天の神のみこころがはっきりと示されています。

3「天におられるあなたがたの父のみこころではありません。」
 「みこころ」神が積極的に望まれていることを指します。「小さい者の一人が滅びることは」みこころではないのです。滅びないことをこそ、積極的に望まれているのです。父なる神は喜びで一杯になられます。この愛のみこころを本当に知るとき感謝に溢れます。私たちは互いに主イエスにあって、かけがえのないたった一人、というほどの大切な存在であることを自覚して、父のみこころを実現してゆくように歩みましょう。どの人も滅びないことを願っておられるからです。
私たちの天の神が、主イエスがここで示されました通りに、愛と憐れみと救い出す喜び、見つけ出す喜びに包まれるお方であるなら、このことはあなたにとって何を意味しているでしょうか。私たちは悔い改め、神様にある人生に方向転換させていただきました。天の神の大いなる喜びに与っているのです。主にある信徒として、互いに、かけがえのない小さな者の一人として、仕え合い、父の愛を分かち合って歩みましょう。
続いて15節以降にイエス様は、信徒同士で、迷い出た者をどのように引き戻すかについて、具体的な道を教えられました。日本長老教会は、この箇所から矯正的訓練の原則を定めて、私たちに、主にある愛の奉仕をするようにと勧めています。
 
Ⅱ マタイ18:15-20 「兄弟を得るための道筋」
「また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに言います。何でもあなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、何でもあなたがたが地上で解くことは天でも解かれます。まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」

1 矯正的訓練は、罪を犯している兄弟(姉妹)を悔い改めに導くとともに、罪を悔い改めた兄弟(姉妹)を主にある交わりに回復するためのものである。それは愛をもって互いに仕え合うことの現れであり、お互いの間で福音のみことばにあかしされている主の恵みを確かめる機会ともなる。主は、18節から、罪を犯している兄弟(姉妹)を回復するための道筋を示してくださっている。それで、ここに記されている主の教えに沿って罪を犯している兄弟(姉妹)の回復を求めなければならない。
この教えに先立って主はご自身が失われた羊を捜し出される牧者であられることを示しておられた。また、主は、兄弟(姉妹)の回復のために二人または三人が集うところにご自身がご臨在してくださることを約束してくださっている。矯正的訓練は、このまことの牧者であられる主のご臨在を信じ、主に信頼してなされる。
              
2 また、この教えに続いて主は、21節から、罪を犯した兄弟(姉妹)を限りなく赦すべきことを強調しておられる。矯正的訓練は、ご自身の十字架の死による罪の贖いによって私たちの罪をすべて赦してくださっている主のご臨在の御許で、兄弟(姉妹)に対する忍耐と愛をもってなされる。                                 
矯正的訓練は、それぞれが主の恵みと御霊の導きによって自らの罪を認めて悔い改めることから始まる。真の悔い改めはイエス・キリストとその贖いの恵みを信じる信仰に至る。そして、この信仰は「愛によって働く信仰」(ガラテヤ5:6)である。主の民は日々に自らを省み、主の約束にしたがって罪を御前に告白し、主が備えてくださる罪の赦しときよめにあずかるとともに、福音のみことばと御霊に導かれて、愛のうちに聖化の道を歩む。

Ⅲ 道筋
1 兄弟(姉妹)が罪を犯していることが分かった場合には、その兄弟(姉妹)を福音の恵みによって回復するために、主の御名に よって遣わされていることを心に留める。自らも罪の性質を宿し罪を犯す者であり、主の恵みによって赦されている者であることをわきまえ、主の御前にへりくだりつつ、兄弟(姉妹)への愛をもって、二人だけのところでその罪を取り上げる。これは忍耐深いとりなしの祈りをもって継続的になされるものである。兄弟(姉妹)が罪を悔い改めた場合には、主が約束によってその罪を赦してくださっていることをみことばに基づいて告げる。さらに、必要があれば、その兄弟(姉妹)の罪によって損なわれた交わりの回復のための助言と支えを与える。この問題はこれで終結しているので、兄弟(姉妹)の名誉を守り、罪の事実については口外してはならない。最初に兄弟(姉妹)を回復するための重荷を与えられた者は、最後まで兄弟(姉妹)の回復のために労する。                                    
これは罪を犯している兄弟(姉妹)の罪が放置された場合に、主の愛と恵みを侮るようになり、その兄弟(姉妹)が主のさばきを受けて滅びに至る危険や、キリストのからだである教会に重大な傷を与えることになる危険がある時などに、主の恵みに信頼して、兄弟(姉妹)を回復するためのことである(ヤコブ5:20)。自分がその罪を赦せばすむと考えられる場合や、すでに兄弟(姉妹)が罪を離れて新しい歩みをしている場合など、そのような危険がないときには、その罪を取り上げる必要はない。「愛は多くの罪をおおう」(1ペテロ4:8)というみことばの教えに沿って対処する。

2 忍耐深い説得にもかかわらず、兄弟(姉妹)が罪を悔い改めない場合には、一人または二人の証人を伴って、その兄弟(姉妹)のもとに行く。証人は公正な心をもって双方の言い分に耳を傾けて、罪の事実を確認する。兄弟(姉妹)の罪が確認された場合には、主の御前にへりくだりつつ、兄弟(姉妹)への愛と忍耐をもって、罪を悔い改めて、主の恵みに信頼するように勧める。兄弟(姉妹)が罪を悔い改めた場合には、主が約束によってその罪を赦してくださっていることをみことばに基づいて告げる。さらに、必要があれば、その兄弟(姉妹)の罪によって損なわれた交わりの回復のための助言と支えを与える。この問題はこれで終結しているので、兄弟(姉妹)の名誉を守り、罪の事実については、証人も口外してはならない。                              
一人または二人の証人を立てるのは、兄弟(姉妹)の罪をより客観的に確認し、兄弟(姉妹)を回復するための働きかけを継続するためである。同時に、兄弟(姉妹)を回復するための働きがなされていることを確認し、それでも兄弟(姉妹)がその罪を悔い改めなかった時に、次の段 階に進むための証人となるためである。

3 証人を交えた忍耐深い説得にもかかわらず、兄弟(姉妹)が罪を悔い改めない場合には、証人とともに、教会の法廷としての役割を果たす小会に提訴する。これをもって、この問題は公的な問題となる。長老たちは教会のかしらであるキリストから「鍵の権能」を委ねられている者として、この問題を取り上げる。双方の言い分に耳を傾けつつ、必要な調査をもって慎重に事実を確認し、罪の事実が明確になった場合には、長老たち自身が主の御前にへりくだりつつ、兄弟(姉妹)への愛と忍耐をもって、罪を悔い改めて、主の恵みに信頼するように勧める。兄弟(姉妹)が罪を悔い改めた場合には、主が約束によってその罪を赦してくださっていることをみことばに基づいて告げる。さらに、必要があれば、その兄弟(姉妹)の罪によって損なわれた交わりの回復のための助言と支えを与える。この問題はこれで終結しているので、兄弟(姉妹)の名誉を守り、罪の事実については、長老たちも口外してはならない。

(結び)迷い出した者を主の御元に引き戻すために、「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」との約束を信じて関係者たちは祈りつつ愛の労苦をします。それが、主イエス様のこの章句の文脈です。愛のゆるしの世界は、「天に繋ぐ、解く」という重要な使命の中で果たされていくのです。互いに愛し合うことを実践できるように、聖霊の豊かな助けを求め続けましょう。

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