2020年1月1日 投稿者: 廣橋 嘉信牧師 カテゴリ:news 2020年1月1日 元旦礼拝 「わたしはアルファαであり、オメガωである。」 「見よ。わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」黙示録 22:12-13 紀元96年ごろ、80歳を超えた使徒ヨハネが、昇天された主イエス様から見せられた世の終わりの黙示の書から、2020年元旦のメッセージを聞きましょう。 1 「見よ。わたしはすぐに来る。」 「すぐに」と訳されている言葉は、「思わぬときに」「突如として」と通常は理解されている。 だから「見よ」である。注意深く、神の歴史に働かれる事柄を、見ていなければならない。主イエス様は地上にいるときに約束された。「わたしが行って、あなた方に場所を用意したら、また来て、あなた方をわたしのもとに迎えます。」(ヨハネ14:3)。再び主イエス・キリスト様がおいでになる。何のために。 2 「わたしは報いを携えて来る。」 「それぞれの行いに応じて報いるために」です。これは優しい警告なのです。ペテロは勧めています。「ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」(第一ペテロ1:13)。本当に終わりが来る。報いがある。善には善の報い。悪には悪の報い。歴史を通して、世界に存在する全ての人々に対する、行いについて、主は報いられます。神の厳正無比な報い、思わぬ時に来られる。「公平にさばかれる」方です。 私たちは神の作品です。良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られました。神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです(エペソ2:10)。今年、一年、あらかじめ備えてくださっている良い行いに歩むことで、突如、主がおいでになっても良い様に進みましょう。救いの恵みの上に、神がさらに加えてくださる恵みを信じて歩みましょう。 3 「わたしはアルファであり、オメガである」から 主はその様になさる根拠に、「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」と言われました。黙示録全体で、この主の属性の宣言は5回出てきます。ここが最後の大宣言です。父なる神と同じ属性の宣言です。三位一体である所以です。 アルファはギリシャ語のAです。オメガはギリシャ語の zです。日本語では「あ」であり「ん」である。このお方は創造者であり、完成者です。歴史を始め、終結させる方です。歴史の外におられるのです。万物の原因であり、目的です。王の王・支配者です。主の主です。 初めたことは、終結させる方です。私たちを創造し、救いを与え、神の子と生まれ変わらせ、救いを完成する方です。主ご自身がそう宣言してくださっているのです。 結び)2020年、海浜幕張めぐみ教会の一同の歩みが始まりました。初めたもうた教会主イエス様は、お一人一人の歩みを、守って、成し遂げさせたいとお考えのことを成し遂げてくださるのです。報いを携えて、突如おいでくださってもいいようにと、信仰を持って祈りつつ歩み初めましょう。