10月4日礼拝の音声ファイルです。
2020年10月4日 聖晩餐式礼拝 式順
前 奏
神の招きと賛美
司会者:主イエス・キリストの恵みがあなたがたすべてとともにありますように。
会 衆:主の恵みがありますように。
司会者:さあ、主に向かって喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、
喜び叫ぼう。
会 衆:感謝の歌をもって,御前に進み行き,賛美の歌をもって,主に喜び叫ぼう。
一同:主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
教会福音讃美歌 156番 輝け主の栄光
開会の祈り
罪の告白の招き イザヤ書55章6-7節
罪の告白の祈り
会 衆:あわれみ深い神よ。私たちはあなたに対して罪を犯したことを告白します。思いと言葉と行いにおいて、禁じられたことを行い、すべきことを怠りました。私たちは心と知性と力を尽くしてあなたを愛しませんでした。自分自身のように隣人を愛することもできませんでした。あわれみのゆえに、これまでの私たちをお赦しください。今ある私たちを造り変え、私たちのこれからの歩みを導いてください。そうすれば、あなたのみ心を喜び、あなたの道を歩むことができます。あなたの聖なる御名の栄光が現われますように。アーメン。
個人的な告白 ( 黙祷のうちに )
赦しの確証
司会者: 詩篇32篇1-2節
会 衆: アーメン
平和のあいさつ
司会者:神はキリストによって私たちを赦してくださいましたから、私たちも
互いに赦しの恵みを分かち合いましょう。私たちの父なる神と主イエス・
キリストから恵みと平和があなた方の上にありますように。
会 衆:主の平和が、あなたとともにありますように。
教会福音讃美歌 155番 すべての力と全ての国は
みことばの宣教
聖 書 朗 読 マタイの福音書21章23-27節
聖 書 の 話 「キリストの権威」
教会福音讃美歌 158番 小羊をばほめたたえよ
聖晩餐式
[制定のことば] コリント人への手紙 第一11章23-29節
[式 辞][祈 り][分 餐]
[一同で祈る]
私たちの贖い主イエス・キリストの父なる神よ。私たちは、主の聖晩餐に
あずかることができた恵みを心から感謝いたします。
この主との親しい交わりにおいて与えられた祝福によって、神の子、光の子らしく歩む誓いに生き、各々の十字架を負いつつ御国で祝うその日まで、この聖礼典を重んじ、守らせてくださいますように。
私たちの贖い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
献 金
教会福音讃美歌 272番 みつにまして ひとつの神
祝 祷
後 奏 567番 アーメン・アーメン・アーメン
2020.10.4 マタイ21:23-27「キリストの権威」
序文)主イエス様が生涯の最後の一週間を過ごされたエルサレムでの出来事を学び始めました。今朝からは火曜日に起こった事柄で、特にユダヤ教の指導者たちとの論争の数々を学びます。それは「キリストの権威」「税金」「復活」「一番大切な戒め」「ダビデの主」を巡る論争でした。順次、学ぶことにします。
Ⅰ 主イエス・キリスト様の権威に関わる論争は、ユダヤ教の最高議会であるサンヒドリンから持ちかけられました。この議会は祭司長、律法学者、長老たちから構成されていました。彼らは、宮の中を歩いておられる主イエスさまに「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」と尋ねました。「これらのこと」とは、エルサレムにロバの子に乗って王様として入城したことや、宮の境内で商売人を追い出し、両替人の台を覆したりしたこと、宮の中で病気の人々を癒したことや、教えたりしていることを指します。誰でもサンヒドリンの許可無くしてそのようなことをする権威は無いので、指導者たちはイエス様にその権威を尋ねることができました。これによってサンヒドリンはイエス様をジレンマに陥れようとしたのです。もしイエス様が「神の権威によって」と答えたら、それは神を汚すことであり、神がご自身の家である神殿に騒ぎを起こすような権威を誰にもさずけられるはずはないと言って逮捕しようと考えていました。また、イエス様がダビデの子としての権威を主張することは、為政者であるローマ帝国に反逆することであり、総督に訴えることができました。またイエス様がご自分の権威によってと答えるなら、それはもう詐欺師か誇大妄想だとして逮捕、排除できるのです。
ところが、イエス様の返事が、彼らを甚だしいジレンマに陥れることとなりました。「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか、それとも人からですか。」この質問が彼らをジレンマに陥れました。もし、バプテスマのヨハネが天からだといえば、イエス様は何故サンヒドリンがヨハネに敵対したのかと聞かれるでしょう。さらに悪いことには、もし天からだと答えると、ヨハネがイエス様をすべての人々の前で指さして「このかたこそ神が遣わされた罪を取り除く子羊である。天からのメシヤである。」と言明したお方だったのです。イエス様の権威の出所が明らかになるのです。イエス様は天からでありそれ以上の権威を必要としなかったのです。一方彼らがヨハネの働きが人間的なものにすぎないと答えると、今や民衆の間でヨハネは殉教者としての栄誉を担い、預言者として受け入れられていたので、これを聞いた群衆がサンヒドリンに向かって騒ぎを起こすことが予想されました。
彼らは「権威は?」と論争をしかけておきながら、実のところ群衆の世論を恐れて身の安全をおもんぱかっているのです。それで答えました。「わかりません。」
Ⅱ 以上の事柄から、私たちは、人間の理性とか、論理というものの実体を教えられます。非常に良く考えられ、とぎすまされた論争であっても、キリスト教の知的な追求、対論、学習であっても、人間の理性は自分の安全と利害関係をかぎつけて都合のいいところで「わからない」と逃げるのです。人間理性の不正直さは、真理に直面したくない人々にとって、神様への反逆あるいは逃避として働くのです。真理から顔を背けるために、彼らが陥る無力さをここに読みます。良く覚えておきましょう。都合が悪くなると、理性も論理もすぐに「わからない」と逃げを打ちます。「科学的に立証できないことは信じられない」と弁解し「真理とは何か?」といって席を立つのです。イエス様を尋問したヘロデ王のようにです。逃げを打つのです。
もし私たちの心が、主イエス・キリスト様が救い主である証拠や権威について疑問が起こり、論じてみたいと思う時に、知的な疑問だから正しい追求だと言ってはならないのです。ただそれは偽装にすぎない。本当は何とはなくイエス様を払いのけたい罪や、イエス様に従いたくない罪、聖書の真理に歩みたくない罪の現れであるかも知れないのです。私たちは理性そのものをキリストに服従させることを覚えなければなりません。
Ⅲ ここで、主の権威を受け入れた初代クリスチャンたちの姿を概観しておきましょう。主は言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書14:6)。「道である」と言われた主イエス様に直面する時、人は自分が間違っていて、さまよっていたことを気づかされます。また真理によって立つことの危険さを持ちます。しかし、その将来は、強く輝かしい。天の父のもとに行くことができるからです。主イエスは、私たちに永遠のいのちをもたらし、天の父のもとに永遠にすまう喜びを保証しているのです。何者も恐れなくてよいのです。ですから初代教会のクリスチャンたちの歩みは、権威に逆らっているパリサイ人、律法学者、ユダヤ教の長老たちとは、全く違ったものになりました。迫害を持ってクリスチャンたちを苦しめているローマ帝国の皇帝や為政者たちとは、全く違ったものでした。
初代教会のクリスチャンたちの歩みを、ヨハネは手紙の中で良く表し、祈っています。ヨハネの手紙第三1−2節「長老から、愛するガイオへ。私はあなたを本当に愛しています。愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」ヨハネは自分のことを「長老」と言っている。手紙の読み手がよく知っている呼称である。ヨハネは使徒であり、長老である。現代では、「教師であり長老」「牧師であり長老」と呼ばれており、長老は長老会議を構成して教会を治め、教会員を教え、導く働きをしている。信徒から選ばれた長老がこれに正議員として加わっています。
ヨハネの手紙は、教会の指導者である人ガイオへの、個人的な手紙の形式をとっている。ガイオはローマ帝国でよく使われていた名前なので、ヨハネの手紙のガイオを誰と特定しない方が良い。ヨハネの言葉遣いから、彼は地区教会の責任ある指導者で、その地方を来訪する伝道者たちは彼のところに宿泊したと考えられる。ヨハネはガイオのことを「愛する」と三回も言って親愛の情を表し、「本当に愛している」と言っている。
「あなたのたましいが幸いを得ているように」ヨハネはガイオが救いを得ていることを知っている。霊的健康が正常である。「あなたが全ての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」ガイオの健康と財産の状況、家族がいれば家族の状況が祝福されていることを祈っている。当時のクリスチャン同士の手紙でよく使われている表現です。
4節「私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。」と書いているので、ガイオの回心がヨハネのおかげであったと考えられる。
ヨハネの手紙第3 3−6節「兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、私は大いに喜んでいます。実際、あなたは真理のうちに歩んでいます。私にとっても、自分の子どもたちが真理のうちを歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。」
ヨハネのところにやってきた兄弟たちが、ガイオが霊的に幸いを得ており、真理のうちに歩んでいることを知らせてくれた。彼らは、教会の集まりでガイオの愛について証ししてくれた(6節)。ガイオはバランスのとれたクリスチャンであることがわかる。彼は愛に根ざした真理を持ち、また真理を愛している。ヨハネは彼らの信仰の親のような気持ちと立場で語っている。だからヨハネの喜びは子供達の霊的幸いと進歩である。続けて真理のうちを歩んでいることが、大きな喜びである。自分の意思と言動に真理を当てはめている。存在と行為に矛盾がない。信条と言動が一致している。
Ⅳ 新型コロナウイルスのもたらす災いの渦中で、死者が100万人を超えました。国内では1500人を超えました。三密を避けよとの世界的な注意喚起により、主の御前に集うことが本質である教会も、制限を受け、礼拝のネット配信を用いて、集えない信徒のために、みことばの配信で、補いつつ歩みを進めています。天においても地においても一切の主権を持っておられる復活の主イエス・キリスト様は、もちろん、コロナウイルスの拡大を止める主権を発揮することができますが、今は、まだ直ちに止めることをなさらないでいます。しかし、同じ主権は、コロナ禍の不安の中にいる信徒一人一人と、その集いである教会の内にも働いて、主の平安を持って支えてくださっています。聖書的な観点から、コロナ禍の教えるところについて、パイパー博士が挙げている6つのことを簡単に記しておきます。「
1 道徳的な恐怖を目に見える形で示す(Picturing Moral Horror)
2 神の特定的なさばきを下す(Sending Specific Divine Judgements)
3キリストの再臨に備えて人々を目覚めさせる(Awakening Us For The Second Coming)
4キリストの無限の尊さを中心として人生を立て直す(Realigning Us with the Infinite Worth of Christ)
5 危険の中で良いわざを行わせる(Creating Good works in Danger)
6国々に福音を届けるためにこれまでのあり方から解き放つ (Loosening Roots to Reach the Nations)
注:『コロナウイルスとキリスト 未曽有の危機に聖書を読む』
原著https://document.desiringgod.org/coronavirus-and-christ-en.pdf?ts=1586278809 」
結び)主イエスに逆らった人生を送る者たちの迷いの歩みに対して、「道であり、真理であり、いのちである」主イエスに従う人生の幸と喜びと愛の交わりは、計り知れません。主の絶対的な主権のもとで、御国に召されるまで、信仰の歩みをまっとうして参りましょう。これこそ、永遠に繋がる生き方なのです。主よ感謝します。