海浜幕張めぐみ教会にて どなたも来会歓迎!!
説教者 マーク ボカネグラ牧師
たくさんのクリスマス賛美歌を一同で歌います。
【完成】2020-12-24クリスマス礼拝(キャロルを歌う)聖句入り
聖書の話 ルカの福音書2章 36-38 節 『84 年間も待つアンナ』
聖書の話
ルカの福音書2章36-38節
皆さんは、何かのために84年間も待つことができますか?私は、すごくおいしい料理のためと、ジェットコースターに乗るために、2時間待ったことがあります。小学生のとき、欲しかったゲームのために、おこづかいを一年も貯め続けて、買うのを待ったこともあります。中高生のときは、行きたい大学へ入学するために、5年以上も勉強し続けました。自分がやりたい仕事(例えばお医者さんや弁護士)になるために、高校を卒業してから10年も頑張って待った人もいます。住宅を購入して、30年以上もローンを払い続け、支払いが終わるのを待つ人もいます。または、自分の人生の40-60年を捧げて、幸せな「結婚生活」、充実した「キャリア」、愛にあふれる「家族」を持つ為に、忍耐して待つこともあります。会社の下で働きながら、年金を払い退職後の為に、貯金し続け、幸せな老後生活のために自分の50-70年を犠牲にして、その時が来るまで待ち続ける人もいます。しかし、84年間も待つ価値のあるものがあるでしょうか?逆に、私たちが今「待っている」ものは、私たちの時間と労苦に値するものでしょうか?
クリスマスイブ礼拝で皆さんに紹介したいのは、「アンナ」という人物です。この箇所によると、アンナはやもめとして、84歳までイエス様の誕生を待ち続けた人です。アンナは、イエス様はそれほどの価値があると、信じていました。
現代の私たちには、アンナはどれほど苦労したかは理解できないと思います。
当時、女性が結婚する平均年齢は14歳だったそうですから、その基準で考えると、アンナのご主人は、彼女が21歳前後で亡くなったと思われます。当時の社会では、女性の社会的地位は結婚する相手の社会的地位と子供を産む能力によっていました。21歳でやもめになったアンナは、再婚することもできました。むしろ、それが当時の社会と教会が一番勧めていた選択でした(1テモテ5:14参照)。なぜなら、やもめの道は貧困の道です。女性が働くことができる仕事はあまりなく、孤児と同じように扱われていて、あわれで、みじめな存在でした。家族や親戚以外で、やもめを助ける事が出来る人もいませんでした(1テモテ5:16参照)。それでも、アンナはあえてやもめの道を選んだのです。
アンナがやもめの道を選んだ理由は、自由に生きるためではありません。もちろんそれも可能な道でもありました。(1テモテ5:11-13参照)彼女の部族(アシェル族)は聖書の神様を長く拒み続けた部族(師士記1:32, 1列王記12:25)だったのですが、アンナは、やもめになっとときから、「彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた」とルカの福音書に書いてあるように、自分の自由、自分の快楽、自分の野望、自分の安定、自分の心地よさを全て犠牲にしたのです。
なぜでしょうか?それは、アンナが、全てを犠牲にして「イエス様の誕生」を待ち望んでいたからです。「預言者」の役割は神様の新しい御言葉を民に宣べ伝え、神様の救いについて教えることです。預言者アンナは84年間も待ち続けて、ヨセフとマリアが赤ん坊のイエス様を抱えて神殿に入ってきたとき、アンナはその幼子に近寄って来て、神様に感謝をささげました。全てを犠牲にして、いろんな人が自分より幸せな人生を送っている中、アンナは様々な疑問や不安を抱きながら、84年間も待ち続けてきた事が、ついに、自分の目の前に起こったとき、どういう気持ちだったでしょうか。私だったら、大勢の人がいても、自分の声がかれるまで喜び叫び、泣きながら神様を褒めたたえたと思います。
預言者アンナは、その後、神殿に集まっていた人たちにこう語りました。「エルサレムの贖いを待っていたみなさん!この赤ちゃんが私たちの救い主なんです!ハレルヤ!」と、女預言者として神様の「良い知らせ」、つまり、「福音」を語ったのです。
しかし、21世紀の日本にいる私達にとっては、この「良い知らせ」、「福音」の意味は、分かりにくい事かも知れません。文脈を少し説明しますと、神様は、アンナの時代の700年前のイザヤという預言者を通して、三つの約束をされました。
まず、神様は「裁き」を約束されました。神様は人間が幸せな人生をおくるためにこの世界を創造されました。それにもかかわらず、私とあなたも含めた世の全ての人々は、神様に感謝もせず、無視し、自分勝手な生活をする事によって、悪がはびこり、世界は壊れてしまいました。そこで神様は、いつの日かこの世界を統一し、悪を全滅させ、幸せと祝福に満ち溢れた世界へと造り変えることを約束されたのです。そして、その日には、神様に従わないで自分勝手に生きる人々、つまり、悪に貢献している人々を裁くことを約束されました。その裁きの日は「終わりの日」なのです。
しかし、神様は裁きから逃れる道も一つ約束して下さいました。ルカ2:38に「エルサレムの贖い」と書いてありますが、神様は「エルサレム」という都を「救いの都」として描かれ、そこに逃げ込む人は、神様のさばきから救われると約束して下さったのです。
このエルサレムという都は「義」(つまり、「良い行い」)で建てられた都なのです。そして、そこは人種を問わず完璧に神様の義に従った良い人が入れる都なのです。そして、「終わりの日」にはその都の扉は閉じられて、都の外にいる人は裁かれ、都の内にいる人は救われるのです。
しかし、神様は人間の罪深さ、自己中心さ、かたくなさを理解しておられたので、もう一つの約束をされました。それは、主のしもべである「救い主」です。もし人間の義や良さによって、救いの都を建て上げるなら、誰も救われないと言う事を、神様はご存知でした。ですから、この「救い主」の善い行いによって、救いの都であるエルサレムが建てられ、自分勝手な人々の罪が赦され、義に覆われ、救いの都に入れるようになるとの事でした。
その為の唯一の条件は、その救い主により頼むことです。もし人がより頼むなら、神様のさばきから逃れることができるのです。そして、その救い主がこの世の悪を全滅させ、悪から来る苦しみと涙をぬぐいさって下さるのです。神様は、新しく創造される幸せと祝福にあふれる世界に永遠に住むことができるということを約束してくださったのです。これは紀元前、約700年に預言されたことです。
すこしわかりづらい話かもしれないので、住宅ローンの話が冒頭にあったので、自分の人生を一戸建ての例えにして説明します。例えば、あなたは神様から一戸建ての家を借りたのですが、掃除も手入れもせず、自分の好きなように住んで、その家が取り返しのつかない程ひどい状態になってしまったとします。そして、大家さんである神様は、このようにあなたに宣言します。「終わりの日に、警察を呼び、あなたを告訴し、罰金を要求し、刑務所に送ってホームレスにさせます。」
しかし、神様はもう1つの約束をされます。「救われる道は一つしかありません。私とローンを組むことです。もし勤勉に私のもとで働くなら、その報酬であなたの罰金を帳消しにして、それで、私があなたのために新しく家を建てます。そして、あなたは、永遠の幸せを保証される家を買うことができます。それ以外の方法では、あなたは終わりの日の裁きから逃げることはできません。」また、神様はわたしたちの怠慢さもよくご存知なので、最後にこの約束をされます。「あなたは自分勝手な人なので、私のしもべであるあなたの『救い主』を送ります。この『救い主』はあなたの代わりに私のもとで、あなたの借金と、新しい家のために勤勉に働きます。ですから、この『救い主』を待ち望み、自分の人生をこの方に委ねれば、あなたは私の裁きから逃れ、幸せな生活が保証されます」と神様は約束されます。本当にびっくりするような約束です。
神様はこれをイエス様が誕生される700年前に約束してくださいました。神の民は何年間も待ちましたが、待ちきれない人々も大勢いました。その人々は、神様を無視して、自分勝手な人生を送り続け、自分たちの人生を壊し続けていました。しかし、神様とローンを組んだにもかかわらず、自分たちの善い行いだけで自分たちの借金を払い続けようとする絶望的な道を選んだ宗教的な人もいました。そして、ルカ2章の時代ではで、イスラエルの中でこの「救い主」の存在を期待していた人はたった二人でした。アンナはその一人で、この赤ん坊を指しながら、喜びをもって良い知らせを私たちに語ったのです。「エルサレムの贖いをもたらす『救い主』が来たぞ!」と。
イエス様が結局どのようにその救いを得たかは皆さんご存知だと思います。私たちが「新しいエルサレム」である天国のマイホームに入るために、イエス様は私たちの霊的な借金と住宅ローンを御自分の死で払ってくださったのです。神様に対する私達の借金は0円です。そして、「終わりの日」にイエス様は彼により頼む人を裁きません。クリスチャンにとって、「終わりの日」は「鍵渡し」の日です。そして、その日から神様と共に「新しいエルサレム」で幸せな命を永遠に送るのです。
あなたが今待っているものは、神様が約束されたものでしょうか。そして、もしそうでなければ、待っている者は自分の人生に値するものでしょうか?もしイエス様のような「救い主」と「新しいエルサレム」のようなマイホームが約束されているなら、あなたは全てをかけてイエス様にあなたの人生を委ねたいと思いませんか?イエス様以外には、あなたのために神様の罰の支払いができる人はいません。そして、イエス様以外に、あなたのために天のマイホームを購入できる人はいません。もし委ねたいのなら、アンナと同様にイエス様の再臨を信じて、待ち望みましょう。