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2021年1月17日 音声有


1月17日礼拝の音声ファイルです。

2021.1.17    「ともにいて助ける主イエス」  イザヤ41:10 

 序文)今日は信徒総会の日ですので、マタイ福音書からではなく、イザヤ書41章10節から、主イエス様の約束・大激励の説教をいたします。イザヤ書は40章から60章まで、メシヤ(救い主)として来られる主のしもべ像が描かれています。41章は主のしもべが登場してきます。神のわざを遂行するしもべです。しもべは「神が起こし」、神が「勝利を収めさせ」、神が「国々を渡し」、神が「踏みにじらせ」るのです(41:2)。2021年度、この教会を導かれる主が背後におられて新しいビジョンを遂行されることを確信しましょう。
約束の言葉で重要なのは「恐れるな」です。8-20節に「恐れるな。わたしがあなたを助ける」が三回(10節、13節、14節)出てきます。私たちの信じる神は、存在しているだけではなく、逆境と不安のさなかで「恐れるな」と、ともにいて助ける主イエス様であることを信じ続ける一年としましょう。

Ⅰ 10節 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
 バビロン捕囚にあっているイスラエルの解放と救済を預言しているイザヤは、主イエスから「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」と言われています。逆境と不安の中で、ともにいるイエス様を忘れ、心の中の不安に不安を煽り立てて、今年はどうなるのだろうと心配ばかりしている者たちに「あなたとともにいる」と宣言してくださる主を見上げましょう。
 神様は元々、アダムを創造されて以来、永遠にともにいるお方なのです。この地上にまでおいでくださった救い主は「インマヌエル」(私たちとともにいます神)です。インマヌエルの主は「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)と言われました。私たちが礼拝するとき、学ぶとき、喜びのとき、悲しみのとき、健やかなとき、病めるとき、手術の床にも、回復の日々も「ともにいます」のです。ご自身の血を流して痛み、苦しみを味わわれた主、誤解にも、あざけりにもともにいます主、十字架を負って歩まれた主は、わたしたちのどんな状態にも対応してくださる、ともにいます主であります。もちろん勝利にもともにおられます。一度死なれた主、墓に葬られた主は、わたしたちの死と葬りにもともにおられます。そして、復活の主はわたしたちを栄光の御国にともなってくださるのです。インヌエルの主こそ、すべてのすべて!「私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21章3−4節)。

Ⅱ  10節 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
 「たじろぐ」の意味は、「相手の勢いに押されて、ひるむ、尻込みする」「引けを取る」などです。自分の周りの情勢に台頭しているキリストの敵対勢力に押されて、宣教の働きや、自分のあかしに尻込みして、一瞬、ひるんでしまう。クリスチャンであることに引け目を感じてしまいます。主イエス様は言われます。「たじろぐな」と。そうしないように。そのようにしない理由は、敵対する彼らの側にはありません。私たちの側にこそあります。なぜなら、「ともにいるわたしは、あなたの神だから」。全能、全知の神だから。救い主によって完全勝利を収められた主です。死にさえも打ち勝って復活されたのですから。「これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ人への手紙 8:31)。
「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。こう書かれています。『あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。』しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ人への手紙 8:35-39)。 

Ⅲ  10節 わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
 完全な守り手です。あなたを強くしてくださり、助けも用意してくださっています。助け手について、新約聖書に明確に記されています。「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです」(ヨハネの福音書 14:16-17)。
三位一体の三位格が全部でてきます。お願いする子なる神、お与えになる父なる神、助け主である聖霊なる神です。助け主(パラクレートス)は「慰め主」とも訳されています。新約聖書で五回しか用いられておらず、一回は「弁護してくださる方」と訳しています。この場合は主イエス・キリストを指しています。ほか四回は聖霊を指しています。聖霊が私たちの申し立てを弁護し、聖徒たちのためにとりなし、祈りと宣教において助けてくださる職務を意味しています。 
 どのようにして助け主として働かれるのでしょうか。それはⅠコリント3:16「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」6:19「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。」とあるとおりです。主イエスを信じたものの心の内に聖霊は住み、神のいのちを賜り、霊の新しい誕生を与え、人間存在のもっとも深い意味で、私のいのちの原則となり、人格の根拠となり、私たちが神の子であるとの自覚を与える真実ないのちとなってくださったのです。御霊は神からの霊として私たちのいのちとなって住んでくださったのです。クリスチャンは主イエスを救い主として信じたときから御霊が心の内に住んでくださっているのです。まごころから信じた者に例外なしに住んでおられるのです。その証拠は私たちが「天の父なる神様(アバ父)」と祈っていることです。
 弟子たちが主イエス様抜きで、主イエスの弟子でありえなかったように、ペンテコステ以後クリスチャンは聖霊様抜きでクリスチャン生活をすることはありえないのです。「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます」(ローマ8:14-15)。「天の父なる神様」と祈るときに、御霊が祈らせてくださっているのです。
 御霊は真理の御霊です。信仰生活を進めるためにみことばの真理を悟らせ、約束の本当であることを経験させるのです。主イエスの教えは弟子たちにとって最初、明確に理解できたかと言えば、必ずしもそうとは言えません。むしろ理解できないことの方が多かったのです。誤解したままでしたし、聞き逃したことも多かったのです。真理の御霊が来られて、それらを思い起こさせ、理解を正し、説明し、実行に移させたのです。私たちの日々において、同様に御霊は働かれるのです。聖書を読んでいるとき、説教を聞いているとき、祈りの中で、真理を明らかにして主イエス・キリストをより鮮やかにお示しになるのです。
 御霊はクリスチャンに対してだけ働かれるのでなく、「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」(ヨハネ16:8)。聖霊は福音の宣教と深く関わって、福音を聞く者の心に働きかけて罪と義とさばきについて目を開き、自覚を与えられるのです。この働きのゆえに、私たちのあかしが実を結ぶことを期待することが出来るのです。福音を伝えるときに未信者が目を開かれて信仰にはいることを確認するのです。
 御霊がこのように主イエスの配慮のもとに、私たちに対して、私たちの内で重要な働きをなさるのですが、この御霊は人格を持っておられることを最後に確認しておきましょう。このことは御霊が「助け主」と言われていることからわかります。働きの一つ一つは御霊が人格でないとできない事柄です。御霊が人格であり神ご自身であることは、クリスチャンたちに重要な真理を語っています。私たちはこの方と交わることができ、この方の所有となることができ、私たちは御霊を愛することができるのです。また御霊に聞き、導かれ、従ってゆく立場に置かれているのです。さらに私たちの心には単なる神の祝福が与えられているのではなくて、全能の神様の臨在が与えられているのですから、私たちの内にあらゆる神の愛と慈しみが溢れており、あらゆる可能性の根元が宿っているのです。果たしてこのことをどれほど真実なこととして毎日の生活で知り気がついているでしょうか。

個人的なあかし。イザヤ41:10はわたしの生涯の重要聖句の一つです。1956年6月25日、高校一年生の時に主イエス様を救い主として信じました。そのとき、私以外の家族は全員日蓮宗創価学会でしたので、信仰の激しい戦いが毎日起こりました。このみことばが一貫してわたしの励ましとなりました。18歳で献身し、勘当されて、日本基督神学校に入学してからも、母教会が無牧状態になり、6年間卒業するまで励ましは続きました。神学生のとき、茨城の荒川沖の奉仕教会で、1961年3月5日に説教をしました。同じ年の8月夏休みの時に母教会で最初の説教をしました。22歳の時でした。それ以来、長い休みの度に帰省して、若いにも関わらず礼拝で説教をしなければならなくなりました。そのときも支えとなったのは、このみことばでした。神は環境を越えるように私たちを強くしてくださいます。私たちは神の力によって環境を霊的に役立たせることができるのです。1999年7月に海浜幕張めぐみ教会を始める時から、20年経った今までもアーメンの聖句です。さらにこれからもアーメンの聖句です。
結び)このようにして助ける聖霊と主イエス様は、私たちに進むべき一年に対して、この世が与えるのとは違う平安を下さいます。ヨハネの福音書 14:27「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」固く立って宣教のわざに邁進しましょう。

January 17, 2021 “The Lord Jesus Who Is with Us and Helps Us” Isaiah 41:10
fear not, for I am with you;
be not dismayed, for I am your God;
I will strengthen you, I will help you,
I will uphold you with my righteous right hand. (ESV)

In the passage of Isaiah 41:8-20, three times the LORD says to His Servant (the key figure of Isa. 40-66),“do not fear” (10, 13, 14). In the context of speaking to and of the LORD’s Servant, we know that this is the message of Jesus Christ, to fear not in this uncertain new year.
I. “Fear not, for I am with you.
Isaiah, prophesying regarding the Babylonian Exile, is comforted with these words from the LORD, who is Christ.
The LORD has been present on earth since its creation, but especially in Christ, He is present.
He is with us always (Matt 28:20)—at our sickbeds, in our struggles, in all of life. Christ is with us understanding when we are insulted and abused. And indeed, He will be with us in glory, at our resurrection (Rev. 21:3-4).
II. “be not dismayed, for I am your God;
We do not need to be dismayed specifically because God is with us (Rom 8:31, 35-39).
III. “I will strengthen you, I will help you,
I will uphold you with my righteous right hand.
God promises to help us. That help comes particularly through the Holy Spirit, who comes alongside to help us (John 14:16-17).
The Spirit is Comforter but also Advocate for us.
The Holy Spirit works in us by giving us new (spiritual) life, grounding our new lives, and reminding us of our new identity (1 Cor 3:16; 6:19). We can know we have the Spirit if we can confess God as Father from the heart. As the Spirit of Truth, He enables us to know the truth from God’s Word.
The Spirit works on nonbelievers, as well (John 16:8).
The Spirit, as the third Person of the Trinity, has fellowship with us. Do we experience and enjoy that fellowship?
Personal testimony: this is one of my personal “life verses” that sustained me through being disowned by my family, beginning to preach, and beyond.
Conclusion: John 14:27 “Peace I leave with you; my peace I give to you. Not as the world gives do I give to you. Let not your hearts be troubled, neither let them be afraid.” May we stand firmly and be witnesses this new year unafraid, for God is with us and gives us His peace.

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