2021年10月31日礼拝 音声有 説教「実を結ぶ者」

*会堂礼拝およびZOOMのライブ配信での礼拝です。Our service is held in person and via ZOOM.

For those interested in an English summary of the sermon each week, please contact us.

 

礼拝式順  Order of Worship

前   奏
招きの言葉       ヨハネの福音書 15章3−5節
さ ん び    「主は我が力 God Is the Strength of My Heart」
さ ん び    「Amazing Love (You Are My King)」
開会の祈り
主の祈り
教会福音賛美歌 188番 「主はわがかいぬし」
聖書朗読     テトスへの手紙 3章8−15節
聖書の話    「実を結ぶ者」 百瀬ジョザイア伝道師
教会福音賛美歌  445番 「こころを一つに」
献   金
報   告
とりなしの祈り   廣橋嘉信牧師
頌   栄    教会福音讃美歌271番 「父・子・御霊の」
祝   祷     廣橋嘉信牧師
後   奏    讃美歌567番[V]「アーメン・アーメン・アアアアーメン」

 

説教 テトスへの手紙3章8−15節 「実を結ぶ者」

 

初めに

妻と私は植物を育てるのが好きです。そして収穫できる野菜や果実があると特に嬉しいです。美浜区へ引っ越す前に住んでいた家には小さな庭があり、オクラの収穫が良かったです。良かったのは、それぐらいです。成功より失敗が多かったと思います。耕して、実りを得るのは簡単なことではありません。

私たち生活は園芸と少し似ていると思います。学生であれば成績・部活・友だちとの関係、結婚しているならば明るい結婚関係や家庭生活、会社員なら業績や上司からの評価を重視しますけど、自分の成果を大事にしますね。また、歳をとるに連れて、自分の人生全体は意味があったのか、実りはあったのか、とよく振り返る、と聞きます。だれもが意味があって実りある人生を送りたいでしょう。

教会としての生活も似ています。私たちも実りある歩みをして、成長を見たいと願います。私たちは5月にめぐみ教会創立記念誌で読んだテーマ箇所のように、「ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ば」すことができているのでしょうか(ピリピ3:13)。それとも、前進できず、だれかを愛することで困ったり、つまらない争いに陥ってしまったりして、悩んでいるでしょうか。毎日、私たちは一進一退し、成長と失敗の両方を経験するかもしれません。

今日の箇所は、クリスチャンが「実り」を結ぶようにと激励する、この手紙の締めくくりです。14節のまとめでも「実を結ばない者にならないように」という警告が出てきますし、有益な道と無益な道は8・9節に登場します。創造主なる神様がこの二つの道があると仰せられますが、何が有益なのか、そしてさらに、私たちが有益で実を結ぶ歩みができるためにどのような「土壌」が必要かをも教えてくださいます。

 

一、私たちが求める実り 8〜11、14節

最初は、8節と14節で私たちの目的を確認して、その目的達成のために神様が下さった力ある福音を確かめましょう。

ア、力ある福音とその結実。 使徒パウロが8節前半で「このことばは真実です。私は、あなたがこれらのことを、確信をもって語るように願っています」と伝えます。彼は前に書いたことば、おそらく特に3章の4〜7節を指しています。すなわち、罪深い人間は行いと関係なく、まことの神様の一方的な働きかけによって救われて、「永遠のいのちの望みを抱く相続人」に変えられたことがテトスの伝えるべき重大な真理でした(7節)。この真実は、有益な実りに導く真実でもあります。それは、「神を信じるようになった人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであり、人々に有益です」(8節)、とパウロが続けます。神様がご自分の真実なことばを用いて、テトスのように教える人と、聴く人とに影響、言い換えれば実を結ばせてくださると約束しています。

①テトスには、神様のことばと救いのみわざを確信して、宣べ伝えるという実りが望まれます。新改訳の「確信をもって語る」に加えて、新共同訳の「力強く主張する」もこれをよく表しています。単純に空気を読み、顔色を伺って語るのではなく、正しいことを誤解されないように、「愛をもって真理を語」る必要があります(エペソ4:15)。

パウロの指示によると、一方で教会を建てあげるために、もう一方でそれを防衛するために、聖書の真理を熱心に伝える訳です。なぜなら、聖書の真実を教える人は自らが真実に変えられて、確信を持つべきからです(8節)。ところが、正しい教えに頑固に反発する人も出るかもしれないので、彼らの道がキリストの道でないことを、愛を持ってはっきりと指摘する責任もあります(9〜11節)。今も、聖書を教える人に同じ責任があります。彼らのために祈ってください。そして聖書を確認しながら、耳を傾けてください。

②さらに、聴く人にも、真実なことばから来る実りがあり、責任があります。クレタ島の信者たちはそのことばの影響によって、「良いわざに励むことを心がける」ことになるはずです。14節にも同じ表現があります。「私たちの仲間も、…良いわざに励むように教えられなければなりません。」私たちが過去に2章と3章前半で見た通り、それは教会や家庭の中、また社会の中で、あらゆる立場のクリスチャンが慎み深く、思慮深く生活し、隣人を愛し良いわざに励むことを意味します。キリストの弟子であるクリスチャンは、お互いに、そしてこの世の人に神様の恵みと慈愛と正しさのお裾分けをする特権と任務を頂いています。これができるのは、有益で実りのある生き方です。

イ、実らせてくださる主。 毎日、常に人を愛し、正しいことを行うのは無理…と私たちは正直に思うかもしれません。自分の力では、この実りは確かに不可能です。だからこそ、パウロは神様の救いの働きかけを私たちに思い起こさせて、それを真実で益をもたらすことばと呼びました。私たちは思い起こさせられるために公の礼拝に出ます。ここでみことばの宣教を聴き、礼典に与るのです。私たちの内に良いわざを可能にするのは、神様が私たちに入ってくださり、清い者として扱って、清め続ける力強い約束と働きかけのゆえです。

福音の真実なことばが私たちクリスチャンの人生の根っこです。「枝」であるクリスチャンは「木」なるイエス・キリストに「接ぎ木」されて、信仰によってつながって生きる中で福音の「実」を経験し、他の人に分け与えることができます。招きのことば(ヨハネ15:3-5)で読まれたように、私たちがイエス様につながっていると、イエス様のいのちが私たちを通り、実を実らせます。別の言い方をすると、有名な「御霊の実」(ガラテヤ5:22-23)は、テトス3章6節によると私たちに豊かに与えられた聖霊様によって造られてゆきます。こうして私たちは成長を経験し、実を結ぶことができます。神様が有益な、良いわざの実りの造り主です。

 

二、腐敗に対する警告 9〜11節

ただし、無益で実りのない歩みも可能です。9〜11節に教会内に罪の腐敗の危険があるという警告があります。1章10節以降でも取り上げられた悪質教師、教会に分裂を起こしそうな人に戻る話ですが、それほど深刻な問題です。パウロは手紙の最後に、念押しでテトスとクレタの教会を注意したかったのです。教会の「畑」が健全に存続するために、神様の植物を脅かす問題を取り扱う必要があります。私たちの心が神様から離れないための、心の色々な腐敗と惑わしへの注意です。

ア、避けるべき問題。 まず、9節前半に「愚かな議論、系図、争い、律法についての論争は避けなさい」とあります。「有益」なクリスチャン生活と逆の争いは「無益で、むなしいもの」なです。その内容があまりにもむなしく、パウロは具体的にどういうものだったかさえ取り上げません。系図については、私たちは推測しかできません。系図を見て、だれがだれの子孫であるかについて競い合っていたかもしれません。結局、聖書のメッセージからだいぶ離れた争いがされていたのは確かです。

イ、頑固な分派者への対処。 ここで、最も大きな問題は高慢と分派です。お互いへの愛より自己主張、自己中心が芽を出してしまいます。意味のある議論もあります。パウロは、教会を守り真実なことばを教えるためにすべき議論を行うために多くの手紙を書きました。しかし、聖書が取り扱わないことでもめること、また、争いや論争を好むのも、教会にとって非常に不健康です。神様は、真理にあって教会が一致することを重んじておられます。聖書から離れて、仲違いを促す人に教え、注意していく必要があります。イエス様がマタイの福音書18章15節以降で下さった手順のように、まず一回、二回と注意をします。それで実を結ぶようになるかもしれない、とパウロも第二テモテ2章25〜26節で期待しました。「反対する人たちを柔和に教え導きなさい。神は、彼らに悔い改めの心を与えて、真理を悟らせてくださるかもしれません。悪魔に捕らえられて思いのままにされている人々でも、目を覚まして、その罠を逃れるかもしれません。」しかし、もし訓戒に応じず、頑なに教会に「分派を作る」のを止めなければ、教会(特に指導者)はその人を教会の外の人として扱う必要があります。

注意して聞いて頂きたいことは、クリスチャンは何でも三振でアウトということではない、ということです。しかし、パウロはここで、そもそもクリスチャンでないような、頑なに教会の一致と聖書に立つ姿勢を乱れさせようとする人に対する注意です。対象となる人は、11節にある通り、悪いと知りながら、キリストの恵みにより頼み変わろうとするのを拒みます。ただ、同時に、だれにでも似た自己中心の危険があることも覚えていたいです。そして、私たち皆は、教会を引き裂こうとする分派と戦って、愛と喜びと平和の歩みを求めるためのヒントとして、続く最後の数節を頂いています。

 

三、教会の実り:神様から来る聖徒の交わり 12〜15節

最後に、12節以降の締め括りは、9〜11節の困難を乗り越えて8節の有益な行いに戻る、地道だが具体的な話です。

世界中の教会は使徒信条をもって告白します。「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり…を信ず。」(『教会福音讃美歌』「使徒信条」II) 私たちは聖霊の働きかけによって主イエス・キリストを信じると、神の民である教会、すなわち聖徒の共同体に加えられます。交わり、つまり、共有する歩みが生まれました。テトス書の最後の数節でパウロが間接的に、神様の家族の共同生活の美しさを教えてくれます。パウロとテトスの模範を通して、クリスチャンの隣人愛、特に兄弟愛を学べます。

ア、聖徒の交わりの実践。 パウロは12〜13節で具体的な交わりと教会内の愛を求めます。テトスがニコポリスという町(恐らく、現代のギリシャの西海岸にあった)へ来て、時間を共に過ごすように望んでいました。また、13節では、「律法学者ゼナスとアポロが何も不足することがないように、その旅立ちをしっかりと支えてあげ」るようにとテトスが指示を受けます。言い換えると、教会の指導者は、真実なことばのゆえに、支え合います。

さらに、彼らの有益な助け合いが教会にとって模範となります。14節で「私たちの仲間も」、つまり教会員も、「実を結ばない者にならないように、差し迫った必要に備えて、良いわざに励むように」と指示を受けます。1章12節で見た「いつも噓つき、悪い獣、怠け者の大食漢」と言われたクレタ人の評判を覆して、愛をもって、人、特にクリスチャンを愛し、もてなす人になるようにと教えられます。

イ、手紙のまとめ。 この14節でパウロが手紙をまとめます。テトスが導いている教会の中で、真実なことばに生きることがパウロの最初からの目的でした(1:1参照)。そして具体的な目標とは、教会の共同体の一人一人が心身ともの必要を見て、支え合うことという実りです。

さらに、15節でパウロの挨拶も愛の実りを表現しています。「信仰を同じくし、私たちを愛してくださっている人たちに、よろしく伝えてください。恵みがあなたがたすべてとともにありますように」は9〜11節で自己中心的な心が生み出す「無益」な争い好きと真逆の表現です。ユダヤ人のパウロと異邦人のテトス、さらに変えられつつあるクレタ人クリスチャンを結び合わせるのは、神様の御力による共通の信仰と愛です。

そしてもちろん、パウロは決まり文句の「恵み」の祝福で終わります。聖書の「恵み」は、受けるに値しない罪人なる人間に、完全な神様がご自分を表してくださり、愛に満ちた関係を持てるようにしてくださる祝福のことです。イエス・キリストが私たちの無益と腐敗を変えるために来て、愛を示して、身代わりとして死んでから復活なさったのは、恵みのゆえです。聖霊様が今、私たちを変えて実りを与えるのは、神様が私たちとともにいたいと思ってくださった恵みのゆえです。

 

適用と結び

今日の箇所のテーマは本当の実り、有益で意義ある歩みでした。 SNSでの「いいね」の数、人からの感謝のことば、実績、また、教会出席、献金、あるいは何人の人に伝道したかは、いいことかもしれませんが、本当の益は神様から来る愛によって神と人を愛し、仕えることです。

では、あなたは有益な、実りのある人生を送っていますか。これは簡単なことではありません。教会がこれについて、何度も失敗します。一人一人が心の腐敗、罪によって歩もうとしてしまうからです。「信仰が弱い」「あまり実りが見えない」と罪悪感を感じるかもしれません。しかし、イエス様にあって安心してください。実りのある、有益な愛の歩みを神様が用意してくださいました。

みことばとその誠実な解き明かしを信じることです。8節のことばが私たちにそれを強く教えています。「このことばは真実です。私は、あなたがこれらのことを、確信をもって語るように願っています。神を信じるようになった人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであり、人々に有益です。」この世の中では、私たちは、世界が変わってほしければ、まず自分の行動と考え方を変えるように教えられます。しかし、聖書によると、まず、無力で腐敗した心の私たちのために神様が何を約束して、成し遂げられたかを聞いて、信じる他には、永続的な変化がないのです。この福音こそが神の力であり、私たちに不可欠な「土壌」です(ローマ1:16)。

テトスへの手紙の終わりの挨拶で見える、神様が起こさせた兄弟愛は奇跡です。神様がたゆまずに下さる恵みのゆえに、教会が真実なことばを信じたことによって起こった奇跡です。イエス様に信頼するだけで、私たちはきよく、有益な者として扱っていただけます。そのため、恵みのみによって意義ある歩みを今日、経験できます。

イエス・キリストにより頼んでいる皆様、あなたの人生は有益です。その愛のわざという実が小さかったり渋かったり硬かったりしても、神様による実り、また、益です。私たちの汗と涙で潤わされた実かもしれません。間違いなく、御子イエス様の愛のわざから芽生えた実です。聖霊様が挿し木してくださった枝の実です。究極的に、神様のみことばによって結ばれる実です。神様が喜んでくださる実です。神様が今週と永遠の実りを約束してくださったのですから、「失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。」(ガラテヤ6:9)