2021年12月5日礼拝 音声有 説教「ガリラヤで会います」

*会堂礼拝およびZOOMのライブ配信での礼拝です。This service will be held in person and via ZOOM.

(For those interested in an English summary of the sermon each week, please contact us.)

 

礼拝式順 10:45〜12:00

前 奏 

神の招き

司会者  主イエス・キリストの恵みがあなたがたすべてとともにありますように。

会衆     主の恵みがありますように。

司会者  さあ、主に向かって喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。

会衆     感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。

一同     主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。

 

教会福音讃美歌 146番 「輝きのこの日」

開会の祈り

罪の告白の招き イザヤ書55章6-7節

      を求めよ。お会いできる間に。  呼び求めよ、近くおられるうちに。

悪しき者は自分の道を、 不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。

に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。

       私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」

罪の告白の祈り 

会衆  あわれみ深い神よ。私たちはあなたに対して罪を犯したことを告白します。思いと言葉と行いにおいて、禁じられたことを行い、すべきことを怠りました。私たちは心と知性と力を尽くしてあなたを愛しませんでした。自分自身のように隣人を愛することもできませんでした。あわれみのゆえに、これまでの私たちをお赦しください。今ある私たちを造り変え、私たちのこれからの歩みを導いてください。そうすれば、あなたのみ心を喜び、あなたの道を歩むことができます。あなたの聖なる御名の栄光が現われますように。

アーメン。

個人的な告白                           ( 黙祷のうちに )

赦しの確証  詩篇32篇1-2節

「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。
幸いなことよ 主が咎をお認めにならず その霊に欺きがない人は。」

会衆   アーメン。

平和のあいさつ

司会者    神はキリストによって私たちを赦してくださいましたから、私たちも互いに赦しの恵みを分かち合いましょう。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平和があなた方の上にありますように。

会衆  主の平和が、あなたとともにありますように。

教会福音讃美歌 141番 「よろこびたたえよ」

みことばの宣教

聖書朗読 マタイの福音書 28章1−10節

聖書の話 「ガリラヤで会います」                        廣橋嘉信牧師

教会福音讃美歌 415番 「目を上げて主の御顔を」

聖晩餐式      司式 廣橋嘉信牧師

[制定のことば] コリント人への手紙 第一11章23-29節

[式 辞][祈 り][分 餐] 配餐者 大場清文長老 那須宗泰長老 青木宏太長老

一同  私たちの贖い主イエス・キリストの父なる神よ。私たちは、主の聖晩餐にあずかることができた恵みを心から感謝いたします。この主との親しい交わりにおいて与えられた祝福によって、神の子、光の子らしく歩む誓いに生き、各々の十字架を負いつつ御国で祝うその日まで、この聖礼典を重んじ、守らせてくださいますように。

私たちの贖い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

献 金

報 告  

頌栄(教会福音讃美歌)272番 「みつにましてひとつの神」

祝 祷         廣橋嘉信牧師

後 奏      讃美歌567番[V] 「アーメン・アーメン・アアアアーメン」

 

説教(聖書の話)  「ガリラヤで会います」

序)

主イエス様が十字架の上で死に、墓に葬られたとき、安息日が巡ってきました。「わたしが安息日の主です」、と言われていたお方が、墓の中に葬られていたのです。地上においでになって、成人し、天父の使命に費やされた3年間は、休む間もない日々だったのです。その主が使命を全うして私たちの身代わりの死を遂げられたときに、本当の休息が訪れました。人の死をよく「墓の中に休む」と表現しますが、主イエス様にとっては、まことの休息でした。

また沈黙の日でもありました。そして主イエス様の弟子たちにとっては実に憂鬱な安息日でした。希望はついえ去り、涙を流しつづけ、次は自分たちも捕まって殺されるかもしれないと、恐怖にうち沈んだ安息日でもありました。

しかしこの安息日が終わったのです。「さて、安息日が終わって週の初めの明け方」(マタイ28:1)のことでした。

 

Ⅰ 日曜日の明け方に起こったこと 28章1〜4節

「マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。」(1節)他のマリヤとは、ヤコブとヨセフの母親のマリヤ(27:56)です。腰の抜けた男たちを放っておいて、彼女たちは、マルコ福音書によれば、単に墓を見に来たのではなく、それ以上の動機をもって来ました。それは、葬りのときにヨセフとニコデモが、没薬、沈香とをまぜたものを百斤ほど持って来て、イエス様の体を香料を入れた布で巻いたのでした。それでは不十分だと彼女たちは考えました。丁寧に香料を塗ろうと考えたのでした。なみなみならない愛を示そうとしたのでした。

ところが実際には、彼女たちは自分たちが期待したことをかなえられませんでした。それはちょうどその時に「大きな地震が起こった」からでした。それは「主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである」(マタイ28:2)。マタイは、彼女たちがイエス様の復活するところを見たのではないこと、さらにイエスが復活するために墓の石を自分で取りのける必要があったと言うつもりはなかったこと、ただ、すでに復活してしまったイエス様についてのニュースを天使から聞くことが必要だったことを示しています。それで石が転がされたのは、彼女たちのためであったことがわかります。イエス様がすでに復活したという事実を確かめるために、彼女たちが墓の中に入るために石は転がされたのでした。

天使の「姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった」(マタイ28:3)とは、旧約聖書ダニエル書7:9〜10の部分的引用です。「『年を経た方』が座に着かれた。その衣は雪のように白く、 頭髪は混じりけのない羊の毛のよう。 御座は火の炎、 その車輪は燃える火で」にあるように、それは神様であることの表現です。天使は神様の現れとそれほど変わらない現れであった。だから墓に立てられていた番兵たちは、恐ろしさのあまりに、死人のようになった。

 

Ⅱ 天使のメッセージ 28章5〜8節

天使のメッセージは、彼女たちのために告げられた。「あなたがたは、恐れることはありません。」まず、彼女たちを安心させました。メッセージを間違いなく聞いてもらう必要がありました。大きい地震で驚いたままであっては、落ち着いて聞くことができない。また普段は見えない天使が、見える形で現れたことも驚き恐れるような出来事だったのです。それで、まず平安な心を持つように。その上で、みことばを聞くように。

1 「十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」(28:5-6)

重大なメッセージでした。単純なメッセージでした。最も本質的なメッセージでした。それは「イエスはよみがえられた」というのです。墓の中を改めてご覧、と天使は言いました。イエスの遺体はなかったのです。いつ、どのようにして、証拠は、理由は、などと、くどくどと説明はしないのです。「イエスはよみがえられた」この真理だけで十分である。単純、明快なのです。それほどに圧倒的な事実だったのです。イエスはご自身で死に打ち勝ち、よみがえられました。それは人間性の死に対する圧倒的勝利を示します。この事実が、信じる者たちにもたらした結果は驚くべきことです。死に葬られた贖い主の、死に対する決定的な勝利は、人の人生は死だけで終わるのではないこと、体のよみがえりがあるという事実です。さらに、復活の事実は弟子たちと信じる者たちの内に信仰を呼び起こしました。また、人が新しく生まれ変わることができることを示しました。さらに、現在の世界は新しい世界に変わることができ、その新世界創造の土台と主のからだの復活はなりました。

2 「あなた方より先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます。」(28:7)

復活のイエスは散らされた弟子たち「羊」を、ガリラヤに導き返すことについて、十字架にかかる前の晩、晩餐の席上で預言しておられたのでした。「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。『あなたがたはみな、今夜、わたしにつまずきます。「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる」と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」(マタイ26:31~32)

ガリラヤはイエスの福音宣教によって暗闇に住む者たちに光が輝いた異邦人の地でした。そこに再び復活の主イエスの大いなる光が輝くのです。ガリラヤで救い主は、霊的な選びの民を集め直すのです。救い主の御国を立て直し始められるのです。復活を通じて、主は復活の主を信じてバプテスマを受ける新しい神の民を持つに至りました。現代においても、暗闇に住む者たちの上に、復活の主の光が輝くのです。

彼女たちは、恐ろしくはあったが、大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走っていった。恐れと喜びが混じり合った感情、それは相当混乱していたと想像できます。それでも使命を伝えられた者は、それを果たすためにじっととどまっていてはならない。直ちに行動に移った。それは喜びの知らせを伝える光栄ある使命だからです。

 

Ⅲ 復活の主 彼女たちに出会う 28章9〜10節

マグダラのマリヤともう一人のマリヤは、最初に復活の主に会いました。おそらくは相当混乱していたであろう彼女たちが、使命をさらにはっきりとさせるための出来事は、主が直接に出会ってくださったことで明確になりました。

主は彼女たちに「おはよう」と言われた。「カイレテ」(ギリシャ語)これは普通の挨拶、英語で「ハロー」と言うのと同じです。天使の恐ろしい現れ方に対して、恐怖を覚えた彼女たちに、日常的に普通に主は現れて声をかけられました。どんなにか喜び、安心を覚えたことでしょうか。「彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。」

喜びと敬虔な尊敬の心の現れとして、御足を抱いた。身体的な接触は、イエスの復活が体の復活であったことを言外に示している。多くの不信仰者が、イエスの復活の肉体的であったことを否定していますが、ここははっきりと「御足を抱いた」と記している。

イエス様は、その時「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます」(10節)と言われた。これは天使の言葉と同じであるというよりは、最後の晩餐の席上の言葉を確認するとともに、ガリラヤに「行くように」言いなさいと明白な進言があります。天使は「ガリラヤでお会いできる」といっただけで、弟子たちが信じなければ、行かないし、会えない。イエス様ははっきりと「行くように」と命じられた。主は弟子たちのことを「わたしの兄弟たち」と呼ばれた。天使と違うところである。

ところで、あなたのガリラヤはどこでしょうか。最初に主に出会ったところはどこでしょうか。信仰を持って従いはじめたところはどこでしょう。そして今はどこにいるのでしょうか。弟子たちと同じような落胆、恐れ、いろいろの失望の生活に舞い戻っていないでしょうか。今その渦中にいるかもしれません。しかし、よみがえられた主は、ガリラヤで会いましょうと言われました、弟子たちの再献身、再出発を願われました。それは復活の大いなるいのちに溢れて、再スタートを切らせるためでした。

今から、信仰の歩みのために、ガリラヤでこの復活の主のリアリティーに触れて再出発しましょう。聖霊様のお助けを祈ります。

 

結び)

かくしてマタイ福音書は、空の墓と、主イエス様の体の復活と、弟子たちの信仰の再興と、再使命のために、ガリラヤを再出発の地と定めて、そこで会うと言われた記事を記しました。それは、主イエス様の成し遂げられた救いのみわざを、世界に伝えさせようとされる豊かな愛のお心を反映しています。

信じる私たちにとっては、主のからだの復活は、墓が人生の終点ではないこと、永遠のいのちへの全人の復活があることの決定的な保証となっていることを示しています。

私はそのように信じています。あなたはいかがでしょうか?