2022年3月6日礼拝 音声有 説教「愛するものを、今日また選ぶがよい。」

*会堂で礼拝を持ち、ZOOMで様子をライブ配信 This service: at our regular chapel (Site 1) and shared via ZOOM.

(For those interested in an English summary of the sermon each week, please contact us.)

礼拝式順 10:45〜12:00

前 奏
神の招き
司会者 主イエス・キリストの恵みがあなたがたすべてとともにありますように。
会衆 主の恵みがありますように。
司会者 さあ、主に向かって喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
会衆 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
一同 主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
教会福音讃美歌   460番 「約束の地に」
開会の祈り

罪の告白の招き  イザヤ書55章6〜7節
罪の告白の祈り
会衆 あわれみ深い神よ。私たちはあなたに対して罪を犯したことを告白します。思いと言葉と行いにおいて、禁じられたことを行い、すべきことを怠りました。私たちは心と知性と力を尽くしてあなたを愛しませんでした。自分自身のように隣人を愛することもできませんでした。あわれみのゆえに、これまでの私たちをお赦しください。今ある私たちを造り変え、私たちのこれからの歩みを導いてください。そうすれば、あなたのみ心を喜び、あなたの道を歩むことができます。あなたの聖なる御名の栄光が現われますように。
アーメン。
個人的な告白 ( 黙祷のうちに )
赦しの確証   詩篇32篇1-2節
会衆 アーメン。

平和のあいさつ
司会者 神はキリストによって私たちを赦してくださいましたから、私たちも互いに赦しの恵みを分かち合いましょう。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平和があなた方の上にありますように。
会衆 主の平和が、あなたとともにありますように。
教会福音讃美歌   307番 「イエスの血に洗われ」

みことばの宣教
聖書朗読 ヨシュア記 24章1〜28節
聖書の話  「愛するものを、今日また選ぶがよい。」   マーク・ボカネグラ牧師

教会福音讃美歌  130番 「ひとりの御子さえ」

聖晩餐式
[制定のことば] コリント人への手紙 第一11章23-29節
[式 辞][祈 り][分 餐]
一同 私たちの贖い主イエス・キリストの父なる神よ。私たちは、主の聖晩餐にあずかることができた恵みを心から感謝いたします。この主との親しい交わりにおいて与えられた祝福によって、神の子、光の子らしく歩む誓いに生き、各々の十字架を負いつつ御国で祝うその日まで、この聖礼典を重んじ、守らせてくださいますように。
私たちの贖い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
献 金
報 告
頌栄(教会福音讃美歌)272番 「みつにましてひとつの神」
祝 祷                  マーク・ボカネグラ牧師
後 奏 567番 「アーメン・アーメン・アーメン」

 

聖書の話(説教)「愛するものを、今日また選ぶがよい。」

本日は、ヨシュア記の最後の箇所ではないのですが、場面としては、ヨシュア記の最後です。せっかくなので、今回、ちょっと違った形で説教を始めたいと思います。まず、神様と神の民の歴史を創世記から、今まで振り返ったあとで、本日の箇所を見たいと思います。3年前のバイリンガル礼拝で、出エジプト記を、竜(エジプト)に捕らわれているお姫様(イスラエル)を王子様(神様)が助ける話とたとえたことがありました。そのたとえを使って、創世記からヨシュア記の歴史を、神様である王子様とイスラエルであるお姫様のドラマにしてお話します。(これは私が考えたたとえではなく、聖書が使う比喩の一つです。)そして、その例を頭に入れながら、本日の箇所を見たいと思います。

アメリカのテレビドラマは「シーズン」に分けられていますが、もし創世記からヨシュア記が1つの「ドラマ」であれば、4つのシーズンに分けることができます。シーズン1は、王子様とお姫様の出会いの話(創世記)です。王子様が、何の位もない、庶民の娘だったイスラエルという女を自分の妻にし、自分の「姫」にすることを約束します。しかし、何年もイスラエルは王子様を待たなければなりませんでした。これが創世記の話です。そして、シーズン2は、王子様が竜に捕らわれているイスラエルを救い出し、自分の妻にする話(出エジプト記)です。初めての出会いから何年間か経ち、王子様は遠くにある自分の城(天)から下られ、牢屋(エジプト)まで来てくださって、十の災いを通してイスラエルの奴隷の鎖を外されます。そして、王子様は、イスラエルのために血を流して守って下さり、お姫様を抱っこしながら一緒に脱出するのですが、その時、ラスボス的な竜(ファラオ)が海から現れます。王子様は、イスラエルを浜辺に優しく降ろして、「ここで座って、見ていてくれ。」と言いながら、すごい力でカッコよく竜を倒されます。二人が王国へ向かう間に、王子様とお姫様の関係も深まり、シナイ山の上で、王子様はイスラエルにプロポーズをされます。「もし私を自分の夫として愛し、私の言葉に従うなら、あなたを私の宝、私のいのち、私の妻にします」と宣言されます。そして、イスラエルは、「はい!」とプロポーズを受け入れ、王子様の妻になりました。その後、王子様とお姫様は結婚式を挙げ、誓約をして、祝宴を催し結婚の歩みを始めました。結婚式のすぐ後で、王子様はお姫様に、これからどのような所へ行くのか(約束の地)、どのような王宮を妻のために建てるのか(幕屋)、どのように二人で歩んでいくのか(律法)、どのように夫として妻を愛し守るのか(救いの約束)、どのように幸せな生活を送るのかなどを分かち合いました。夫婦は今後のことをわくわくしながら楽しみにしていました。そして、「約束の地」へ夫婦として向かいます。これがシーズン2です。

しかし、シーズン3(民数記・申命記)は、荒野時代です。ハネムーンが終わったあと、夫婦として最初の試練が始まります。約束の地へ行く道の途中ではいろいろな難しさがあり、夫婦の関係が何回も試されました。彼らを攻撃するような他国の王様たちが来た時は、お姫様は怖がって何回も王子様の力を疑いました。お姫様が期待していた約束の地への道のりが険しすぎたので、何度も王子様の知恵を疑ったのです。また、他国の王子様たちに惹かれて、何度も自分の主人の愛を疑ったこともありました。しかし、王子様は、お姫様を完全に守り、約束通りに導き、無条件に愛し続けました。そして、お姫様は王子様の誠実さを見て、反省し、再び王子様に対する愛を告白し、一緒に約束の地へ向かって行きました。これがシーズン3の終わりです。

そして、シーズン4はヨシュア記です。王子様とお姫様は、やっと約束の地へたどり着きました。しかし、まだまだいろんな試練が待ってました。ヨルダン川という「死」の罠。エリコの高い城壁。カナン人という恐ろしい巨人たち。海辺の砂のように大勢の兵隊たちに囲まれながら、約束の地での「幸せな結婚生活」のために夫婦で戦う必要がありました。しかし、今回、お姫様は、前の過ちから学んだので、恐れず、疑わず、忠実に王子様を信頼し続けました。そして、王子様は前と変わらず、お姫様を無条件に愛して完全に守り、計画通りに導き、2人の「王国」を築きました。そして、彼らの夫婦生活を邪魔するものはなくなり、王子様とお姫様は、平和と繁栄の中で夫婦として過ごすことができました。めでたし、めでたし…と言いたいのですが、数年たったら、お姫様の様子が少しおかしくなります。お姫様は王子様を裏切るようなことはしていませんでしたが、荒野時代と同じように、他国の力を恐れ始めます。そして、他国の王子様に惹かれ始めます。お姫様は自分の夫の知恵を疑い、あまり夫の言うことに従わないようになりました。これは怪しいと思って、王子様は、お姫様との結婚記念日に大事な話をすることにしました。

そして、本日の箇所はシーズン4の最終話で、私たちは「王子様はお姫様にどんな話をするのだろう」と気にしながら、この箇所を読みます。ネタバレになるかもしれませんが、王子様である神様がおっしゃりたいたいのは、「自分が愛するものを、今日選ぶがよい」ということです。どういうことでしょうか?本日の箇所からその内容を簡単に確認しながら、クリスチャンとして覚えていただきたいことを分かち合いたいと思います。

 

まず本日の箇所を見ていきましょう。当時の人たちには、ヨシュア記24章にある儀式について書かれていることがすぐわかります。これは「契約の更新」の儀式です。それは、王様が民との契約の内容を確認し、民が改めて王様に忠誠を誓うという儀式です。そして、この契約更新の儀式の大体の流れは、①王と民の歴史と経緯の確認、②王様の民への約束、③民の王様への誓い、④契約を更新した証人を立てる という流れです。なぜ「契約更新の儀式」があったのでしょうか?それは、もし民がこの「誓い」を破ったなら、契約上、王様はその民との関係を断つことになるからです。そして、もし民がその「誓い」を守れば、契約上、王様はその民を守り、祝福し、導き続ける責任がありました。ですから、お互いが契約を忘れてしまうとかなり大きな問題になってしまうのです。

21世紀の日本に生きている者としては、機械的で心のこもっていないような、なじみのない儀式と感じるかもしれません。しかし、当時の人にとって、また、聖書の神の民にとっては、この儀式は私たちの印象とは ほど遠いものでした。現代に置き換えると、この儀式は「結婚記念日」のようなものです。もちろん、ただの記念日として捉える人もいるかも知れませんが、結婚記念日は、夫婦として誓った誓約(契約)を確認し、これまでの歴史を振り返りながら今日までの歩みを祝い、また新たな一年をともに歩むことを決心する日だとも言えます。ですから、冒頭のたとえをもう1度使うなら、これは、王子様である神様と、お姫様である神の民の結婚記念日のようなことです。しかし、今回の結婚記念日は、ただのお祝いの日ではありません。これは王子様である神様が、お姫様である神の民の怪しい態度をご覧になり、正面から神の民の愛を確かめ、愛の誓いを再び求められる神様の様子でもあり、かなりドラマチックな場面でもあります。

1-13節は、「契約更新」の儀式の最初のステップです。神様は御自分のしもべ、ヨシュアを通して、今までの歩みを神の民とともに確認されます。1-13節には、いろんな人物や地名の名前が出てきますし、様々な出来事について書いてあります。聖書になじみのない人にとっては、あまりインパクトのない話かもしれません。しかし、ここには、歴史を機械的に読み上げるような儀式ではなく、王子様が心を込めて、熱く、お姫様に問いかけるような様子が描かれています。王子様である神様がお姫様であるイスラエルにこう問いかけられます。「姫よ、私たちの今までの歩みを覚えているか。アブラハム時代、あなたがわたしを知らなかったとき、他の神々を慕っていたとき、あなたが何の位もなかったとき、私はあなたを選び、あなたを愛し、あなたに約束し、あなたに想像以上の恵みを与えたことを覚えているか?(1-4節、創世記のまとめ)エジプトであなたが竜の奴隷として仕えていたとき、縛られていたあなたの鎖を切り、あなたを私の妻にするために、海辺で竜を強い力で切り倒したことを覚えているか?(5-7節、エジプト記のまとめ)荒野であなたが他国の力(アモリ人)を恐れ、他国の王子たち(モアブ人)に惹かれてしまい、私の力、私の知恵、私の愛を疑って、私を裏切ったことを覚えているか?そして、その後にわたしは何をした?わたしは、あなたをわたしの愛する姫として、無条件に愛し、赦し、完全に守り、救ったのだ。(8-10節、民数記のまとめ)そして、カナンに入ったとき、あなたが私に忠実についてきたとき、私を信頼して愛したとき、何が起こった?海辺の砂のように大勢の兵隊たちに囲まれても、私たちは2人で私たちの敵を倒し、わたしは、あなたが労して得たのではない地と、あなたが建てたのではない町々をあなたに与え、そこに住まわせ、あなたが自分で植えたのではない、ぶどう畑とオリーブ畑から食させた。(11-13節、ヨシュア記のまとめ)それでも、あなたは幸せではないのか?今まで、わたしがあなたを裏切ったことはあるか?」神様は、このように熱くお姫様である神の民に語られたのです。

 

ヨシュアにいろいろな歴史を確認させたあとで、14-15節で神様は本題に入ります。普通にこの2節を読んでも、これはかなり衝撃的な話です。続けて今までのたとえで言うと、神様はこうおっしゃっているのです。「姫よ、もし私たちの関係に満足しているのなら、誠実と真実をもって、わたしを敬い(=恐れる)、わたしを愛しておくれ(=仕える)(14節)。そして、もう他の王子との関係を切っておくれ。あなたが今まで隠してきた秘密を私は知っている。私がいないときに他の王子たちと会っていること、そして、あなたが私たちの関係が始まった時からそれを隠していたこと、全部わたしは知っているのだ。だから、ここで決断してほしい。誰を敬うか。誰を愛するか。わたしなのか。あなたが慕っている他の王子たちなのか。今日、私たちの結婚記念日に決めてほしい。」何が衝撃的だったかと言うと、神様が最初(創世記)から約束の地に至るまで(ヨシュア記)、お姫様が神様と関係を持ちながらも、神様以外の王子たちと秘密の関係を持っていたことが暴露されたことです。つまり、シーズン4の終わりに、ハッピーエンドになりそうな話が、最悪な終わり方に大逆転するのです。ドラマとしては、面白いですが、これが自分たちの話だったら悲劇です。

お姫様である神の民はどう応えるでしょう。もうこれが絶妙です。神の民らしい答え方です。16-18節を言い換えますと、「そんなことは、絶対にあり得ない話です。私は、私のために竜(エジプト)を倒してくださったこと、私を力強く守ってくださったことを覚えていますし、感謝しています。ですから、私はあなたを愛します。あなたは私の王子様だから」と平気で答えます。つまり、完全に事実を否定するのです。

そして、18-19節の行間に、私はなぜか長い沈黙を想像します。神様はどう応答されたのでしょうか。神様は、19-20節で、はっきりとこうおっしゃいます。「あなたは私を愛することができない。今までのあなたの傾向を知っているからだ。あなたは、わたしたちの誓約(契約)の内容を覚えているか?もしあなたが忠実ならば、わたしはあなたを愛し、守り続け、幸せにすることを約束した。しかし、あなたが不忠実であるなら、あなたにわざわいがくだり、わたしたちの関係は破綻する、とお互い約束したはずだ。今、ここで悔い改めなかったら、契約上、わたしたちの関係はなくなってしまうのだよ!それでもいいのか?!」と神様は熱く問いかけられます。しかし、21節で、お姫様は「何のことをおっしゃっているのですか?私はあなたのこと愛してるのですよ」と言い続けるのです。

そして、21-22節で、契約更新の儀式の最後段階に入ります。それは証人を立てることです。証人を立てることは、非常に重い意味があります。それは、お互い約束を守ることを誓うことと、約束を破った側は罰せられることを確認し、契約に再度「署名」するということです。しかし、ここで、もし神の民がそれを誓うなら、神の民が罰せられることは確実になるということになります。ですから、神の民の絶望的な状況をご存知の神様は、「本当に証人を立てていいのか?このまま署名してしまうと死んでしまうんだよ!あなたが慕っている王子たち(=神々)が家の中にいるんだろ?彼らをまず家から追い出してから、署名しなさい。このままだったら、まずいことになる!」とヨシュアを通して、神様は注意されます。しかし、24-26節では、頑なになったお姫様は悪びれもせず、「わたしはあなたを愛しているので、問題はないです。これからも愛し続けるから問題はないですよ。」と言いながら、契約に署名してしまい、最終的に、契約の更新の儀式が終わります。そして、27節でヨシュアはお互いの誓約を読み上げます。たぶんお姫様は、王子様との幸せな生活を楽しみながら喜んで聞いていたことでしょう。しかし、王子様である神様にとって、それはお姫様への裁きの宣言でした。そして、この切なく悲劇的な場面でヨシュア記が終わり、王子様とお姫様のドラマのシーズン4が終わります。

このヨシュア記の最後の場面は非常に暗い内容なのですが、実は、暗闇の中だからこそ、私たちの揺るがない希望の光がどこにあるかがはっきりと見えてきます。それを明らかにするために、次の3点を覚えていただきたいです。

 

まずは、「私たちの希望は、私たちの神様への愛ではなく、私たちへの神様の愛なのだ」ということです。

この箇所と同様に、神様とイスラエルの歩みや神様と私たちの歩みを見ると、誰の愛によってこの関係が保たれているのかがはっきりわかります。聖書の歴史や自分たちの経験を見れば、どう考えても、私たちが疑わず、変わることなく忠実に、また真心から神様を愛し続けたというような証拠は全くありません。むしろ、本日の箇所のように、私たちは、最初から最後まで、自分たちの生活や心の中の隠れたところで、神様以外の物や人、あるいは他の神々を慕い続けたことが明らかになります。ですから、私たちの神様に対する愛には希望がありません。むしろ、自分の愛には全く期待できないでしょう。自分の心には、ただ自己中心的な愛しかありません。

しかし、そのような私たちを選び、無条件に愛し、誠実に守り、力強く救い、ここまで私たちを導いてくださった神様の愛がキラッと輝きます。そして、ご自分の花嫁である教会に、イエス様はこう熱く語っておられます。「自分たちの歩みを振り返る時、あなたに対する私の愛に満足できているか?わたしが十字架の上で示した愛に不満があるなら、誰を愛するかを今日選ぶがよい。わたしか、あなたが慕っている神々か。しかし、もし、私の十字架の愛に満足しているなら、わたしがどれほどあなたを愛しているかを思い出し、わたしの愛だけに希望を置いて他の神々の愛に希望を置かないでほしい」と。

 

次に覚えていただきたいのは、「私たちの希望は、私たちが神様への愛と信仰を告白するとき、私たちが神様を裏切ると知りながらも私たちを受け入れてくださる」ということです。

神様が下さった恵みを私たちが思い出すとき、感謝の気持ちが溢れ出ます。そして、私たちはその感謝の思いをもって、毎週の礼拝で「神様、あなたを恐れ、あなたに仕えます!花婿であるイエス様、あなたを敬い、あなたを愛します!」と自分たちの愛と信仰を告白し、私たちの誓約を毎週更新するのです。もちろん、神様はそれを喜んで、受け入れてくださいます。

しかし、本日の箇所の神の民のように、私たちは勘違いしてはいけません。私たちの愛と信仰の告白が純粋で聖いものだから、神様が私たちを受け入れてくださる訳ではありません。私たちの生活や心の中で様々な神々を慕い、それを隠し続けて「良い花嫁」のふりをして取り繕っていたとしても、神様は私たちの愛と信仰を受け入れてくださいます。ペテロがイエス様に「あなたはメシヤだ!」と告白した時、イエス様はペテロが3回もイエス様を裏切ることを知っておられたのに、その信仰告白と従順を受け入れてくださいました。同じように、私たちの希望は、私たちの愛の告白の純粋さによって受け入れられるのではなく、神様ご自身の愛の純粋さによって受け入れられるのです。

 

最後に覚えていただきたいのは、「私たちの希望は、頑固で自分自身を欺くような私たちが間違って誓約したとしても、神様が私たちの罰を代わりに受けてくださるということです。」

ヨシュア記では、自分に嘘をつきながら、心の頑なな神の民が偽りの誓約をし自分たちの裁きを決定的なものにしてしまった様子を見ました。残念ながら、これは私たちの日常と同じようです。しかしながら、それは私たちのストーリーの終わりではありません。王子様である神様、私たちの花婿であるイエス様は、私たちとの関係を断つことを望んでおられませんでした。ですから、ご自分の民、ご自分の花嫁による間違った誓約から来る裁きを、イエス様が代わりに受けてくださったのです。「もしわたしの花嫁の罪によってその花嫁が死ぬなら、わたしが彼女の罪の報酬を受けます」とイエス様はおっしゃいました。ですから、私たちの希望は、自分たちの力で罪を減らして、罪の報酬を無くすことではありません。私たちの希望は、私たちの愛するイエス様が頑固な私たちの罪の報酬を受けてくださるほどに、私たちを愛してくださっているということです。ですから、もしヨシュアが「海浜幕張めぐみ教会よ。愛するものを、今日選ぶがよい」と私たちに聞くなら、私たちの応答はこうです。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(1ヨハネ 4:19)イエス様の変わらない、純粋な、力強い愛に感謝しつつ、お祈りしましょう。