2023年6月11日礼拝 説教「宣教師パウロの希望」

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礼拝式順

前   奏 Prelude  
招きの言葉 Call to Worship コロサイColossians 1:28-2:3
さ ん び Opening Praise 揺るぎない土台~Firm foundation~
さ ん び Praise Still~静まって知れ~
開会の祈り Opening Prayer  
主の祈り Lord’s Prayer  
賛   美 Hymn 教会福音讃美歌番230番 「確かなもとい ただ主に置き」
転入会式 Membership Vows マーク・ボカネグラ牧師
聖書朗読 Scripture Reading ピレモン Philemon 21-25節
聖書の話 Sermon 「宣教師パウロの希望」

マーク・ボカネグラ牧師

賛   美 Hymn of Response 教会福音讃美歌番45番「神の小羊」
献金と祈り Offering & Prayer  
報   告 Announcements  
とりなしの祈り Pastoral Prayer 詩篇27篇より

マーク・ボカネグラ牧師

頌   栄 Doxology 教会福音讃美歌271番 「「父・子・聖霊の」
祝   祷 Benediction マーク・ボカネグラ牧師
後   奏 Amen 讃美歌 567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」

聖書の話(説教)「宣教師パウロの希望」

 

子どもたちへの質問ですが、病院にはどんな部屋があるか知っていますか?いろいろありますよね。受付や事務室、レントゲンを取る部屋、診察室や手術する部屋、患者さんの病室やナースステーションなどがあります。いろんなものがないと、病院は成り立ちません。もし病院が、「私たちの病院には救急車と受付しかありません」と言ったら、どう思いますか?あまりいい病院ではないですよね。いい病院にするためには、一つだけを特別にしてもできないということです。できるだけ多くのことをやらなければならないということです。「宣教」の働きも、同じことが言えます。「宣教」は「神の羊の牧会」だと、私はよく言いますが、教会は「神の羊の病院」のようだと考えて見てください(使徒20:28参照)。伝道は救急車で病人や怪我人を病院へ運ぶように、傷ついたり、迷っている神の羊を捜しに行って、教会に連れてくる働きだと言えます。説教や聖書の学びは、神の羊に栄養のある食事やお薬を与える働きであり、教会内の交わりやセルグループは、神の羊の健康や羊同士の関係を管理するところ。牧師たち、長老たち、執事たちの集まりは、病院の事務所やナースステーションのようです。「宣教」には、それらのすべてが必要で、一つでも欠けていたら、「宣教」または「牧会」は成り立たないと言えます。

一つに特化せずに、神の群れの牧会のためにすべてを成し遂げようとする宣教師パウロの「宣教の仕方」がこの「ピレモンへの手紙」に書かれています。私が学んだ神学校で、新約聖書のパウロ書簡を教えてくださった先生は、まず最初に、この短い「ピレモンへの手紙」を教えてくださいました。それは、この短い手紙から、パウロのバランスの取れた「宣教観」を容易に理解することができるからでした。宣教師パウロは、熱心に伝道していましたが、同じ熱い思いで、教会の成長のためにも働いていました。今日は「ピレモンへの手紙」の最後の部分から、パウロがどのような思い、動機、希望をもって、宣教師として歩んでいたかを一緒に見ていきたいと思います。

 

まず、パウロがこの手紙を書いていたとき、パウロは伝道活動の「最前線」にいました。エルサレムでパウロが伝道活動をしている中で、大勢のユダヤ人たちが、パウロが聖書の神様を冒涜していること、そして、ローマ帝国に反逆しようとしていることを訴え、パウロを処刑しようと考えていました(使徒21:31; 24:1-9)。しかし、ローマ帝国は、パウロがローマ市民であったことに気づきました。そして、パウロがローマで、帝王カエサルの前で裁判を受けたいと願ったので、エルサレムを治めていた総督フェリクスはパウロをローマへ送りました。パウロはローマで、ローマ兵に繋がれて、自分が処刑されるかどうかが決まるカエサルの前での裁判を待っていたのです。しかし、そのような状況の中でも、宣教師パウロは、彼を殺そうとしているユダヤ人の前でも、総督フェリクスの前でも、自分の裁判を待っている間中、いつも大胆に伝道していたのです。そして、ローマでも大勢の人たちに伝道活動をしました。それだけではなく、「カエサルの前で裁判を受けるとき、力強くカエサルに伝道できるように祈ってください!」とパウロはエペソの教会に祈りの要請をしました(エペソ6:19-20参照)。いつも命を懸けて、すべての機会を用いて、熱く伝道するパウロでした。

そのような伝道活動のただ中で、パウロはピレモンへの手紙を書きました。私たちは、三つのメッセージを通して、ピレモンへの手紙の内容を確認しましたが、どういった内容だったでしょうか?「ピレモン、あなたも私みたいに熱心に伝道しなさい!」という内容でしたか?その箇所でのパウロは、使徒の働きにある「外向きの伝道者」というよりも、「内向きのカウンセラー」になっていましたね。長老のような存在であったピレモンが、それまで惜しげもなく教会の兄弟姉妹を支えてきたことに感謝し、ピレモンの働きを励ましました。そのあと、パウロは、ピレモンに「ローマであなたを裏切った奴隷オネシモと試問会を行い、オネシモがクリスチャンになったことが確認できました。そして、オネシモはあなたの教会に転入したいと考えています。ですから、ピレモン、あなたは、オネシモと和解しなさい。あなたの教会が、私を迎えてくれるように、オネシモを迎えなさい」と言うのです。伝道大好きな信徒さんなら、「パウロはなんでこんなことに時間を割いているんだ。この案件をはやく済ませて、次の伝道集会をやったほうがいいじゃないか!」と思うかもしれませんが、宣教師パウロとしては、これが時間の無駄だとは思っていませんでした。兄弟姉妹が和解し合うこと、キリストの弟子の愛が深まること、キリストの体がただ「数的」に成長するのではなく、「霊的」に成長することは、宣教師としてのパウロの熱い願いでした。ですから、パウロは、彼の伝道活動でよく見られる命がけの熱心さをもって、教会内の兄弟姉妹の和解を求めます。この前の箇所で、それがよく感じられます。

「私パウロが自分の手で、『私が償います』と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。」 (ピレモン19-20)

パウロは「宣教」または「牧会」の一部分だけを熱心に求めたのではなく、牧会のすべてのために熱心に働いていたのです。なぜなら、伝道することだけではなく、教会の純潔と一致を守ること、教会員同士の和解を促すこと、キリストの弟子達の愛を成長させることも、「宣教」の一部だからです。

 

では、パウロはどのような思いで宣教に関わっていたのでしょうか。ピレモンの最後の4節でそれを見ることができます。

パウロは、聖霊様の働きを確信して、ごく普通の場面で、教会がイエス様に奇跡的に従うことを期待したのです。

「ピレモンへの手紙」から説教するとき、私は毎回言っていますが、パウロがピレモンに促している和解は、社会的に、常識的に考えられないことです。ピレモンにとって、精神的に辛く、経済的にも、プライド的にも大損してしまうような和解です。どう考えてもかなり無理があります。しかし、パウロはこう言います。

「私はあなたの従順を確信して書いています。私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、分かっています。」 (21節)

パウロは、ピレモンが自分の命令に従うことを期待していたのではありません(8節)。パウロは、キリストの律法である「愛のゆえに」(9節)和解を促し、社会とこの世の価値観を取っ払って、ピレモンが奇跡的にも、イエスキリストの「愛」の大命令に従い、オネシモを愛することを期待していたのです。つまり、パウロが期待していた「奇跡」は、イエス様がもたらした大胆な奇跡ではありません。ごく普通の場面で見られる、「奇跡的な従順」なのです。聖霊様しかもたらせない、信仰からくる従順(ローマ1:5参照)を期待していたのです。

そして、ピレモンとピレモンの教会が、和解以上の事をすることをパウロは確信していたのです。なぜパウロは、そのように確信できたのでしょうか。大まかに言うと、二つ理由があると思います。まずは、イエス様ご自身が「すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせ」(コロサイ1:28)てくださると約束されたからです。死から蘇る力を持つイエス様がおっしゃるのであれば、人の心を変えることができると確信できるのです。もう一つの理由は、パウロがもうすでに何回も、ごく普通の場面で、教会が福音に奇跡的に従うことを見てきたので、さらに確信できたのだと思います。

結果はこの手紙に書いてありませんが、実際そのようになったと考えられる、三つのヒントがあります。まず、「ピレモンへの手紙」が聖書の中にあるということは、ピレモンに個人的に充てられた手紙が、ピレモンの教会、全世界の教会に公表されたということです。それは、実際にピレモンがオネシモと和解できたからだと思います。次に、コロサイ4:9で、パウロはコロサイの教会に「忠実な、愛する兄弟オネシモ」として受け入れなさいと言っています。つまり、コロサイの教会で礼拝していたピレモンがオネシモを拒む選択肢はなかったのです。そして、最後のヒントは、私たちにとっても非常に励ましになると思います。ピレモンの手紙の約40年後に、アンティオキア教会の牧師であるイグナティオスが、エペソの教会に手紙を書きました。そして、手紙の冒頭には、エペソの教会の牧師「愛に満ち溢れるオネシモ牧師」と書かれていました。つまり、奴隷オネシモが主人のピレモンの元に戻り、その教会でオネシモは兄弟として受け入れられ、最終的にはコロサイの教会ではなく、もっと大きい都市のエペソの教会の牧師になっていたという可能性が高いのです。つまり、主人を裏切った奴隷オネシモが、エペソの教会の牧師になるということは、教会の「和解以上」の奇跡的な従順の表れだと思います。

宣教を続けている教会として、私たちもパウロのような信仰と期待を持っているでしょうか?私たちは教会の中に臨在しておられる聖霊様の働きを過小評価していないでしょうか?

 

次に、死刑になるかもしれない状況の中で、パウロは、教会の兄弟姉妹といつか会うために、常に希望を持ち続けていたということです

「同時に、私の宿も用意しておいてください。あなたがたの祈りによって、私はあなたがたのもとに行くことが許されると期待しているからです。」(1:22)

パウロがこの一節を書いているときは、ローマ兵と鎖で繋がれていて、処刑の裁判を待っていました。そのような絶望的な状況にあっても、パウロのために熱心に祈っているコロサイ教会に、「私をもてなす準備をしなさい!この鎖から解放されることを期待しています」とパウロは言います。しかし、パウロの希望の不思議なところは、イエス様の御力に期待して、奇跡を待ち望むようなことではありません。コロサイへ戻ることでした。「ピレモンへの手紙」の前に書かれた「ローマへの手紙」を読むと、パウロがローマを経由して西へ行き、スペインまで伝道したかったと書いてあります(ローマ15:24)。しかし、ローマに着いたパウロが、西の方のスペインではなく、東の方のコロサイへ戻り、ピレモンとオネシモのところへ行きたいと願っていたことはとても不思議なことだと思います。

要するに、パウロは、「宣教」または「伝道」という抽象的な概念や、自分が成し遂げたい「インパクトのあるミッション」を成功させるために、宣教していたのではないということです。神の群れに加わっていない神の羊を探すためだけではなく、教会を愛するためにも、また、一人一人の兄弟姉妹を励ますためにも、宣教していたのです。ですから、スペインへ向かっていたパウロでしたが、あっさりとUターンして、大きくて、有名なアンティオキア教会、エルサレム教会やエペソ教会を通り過ぎて、コロサイ教会へ行くと言ったのです。その理由は、コロサイ教会、ピレモン、オネシモを愛し、励ますためでした。しかし、愛は一方的ではなく、双方的なものです。パウロは、教会の愛によって「安心」(20節)を得たいー英語の訳のニュアンスに言い換えると「わたしの心をリフレッシュしてください」ーという思いを持っていました。つまり、パウロが解放されたかった理由は、なによりも教会の兄弟姉妹に会いたかったからです。宣教を続けている私たちが抱いている希望は、パウロと同じでしょうか。

 

最後に、パウロの宣教の働きを見ると、パウロはいつも人に囲まれながら、教会とともに、宣教していたことがわかります。私の新約の先生によると、新約聖書には、パウロの同労者として、36人の名前が出てきます。「宣教」や「牧会」は、一人で走るマラソンではなく、チームでやるバレーボールかバスケットボールに近いということです。23-24節を読むと、パウロが「ピレモンへの手紙」を書いたとき、5人の同労者がいたということがわかります。

「キリスト・イエスにあって私とともに囚人となっているエパフラスが、あなたによろしくと言っています。私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。」(23-24)

この5人の人物の背景を知ると、チームで宣教するということがどういうことなのかがわかります。宣教は、エプフラス(23節)、アリスタルコ(コロサイ4:10)、ルカ(使徒16:16-40, 27-28章)が、パウロと共に囚人となったように、教会全体で「宣教の苦しみ」を共に背負い、共にイエス様の大宣教命令を果たすことです。つまり、牧師、長老、執事、セルリーダー、宣教師が、一人で宣教するのではなく、教会として、共同体として、一つの神の家族として宣教の苦しみを共に背負い、前進する働きです。

しかし、教会として宣教することの難しさは、教会はまだ成長の途中であり、不完全な共同体であるということです。つまり、同労する教会は、いい意味でも、悪い意味でも、常に変化しているということです。例えば、ここに「マルコ」という人物がいます。マルコは、前にパウロと共に働いていましたが、宣教の苦しみを担うのが苦しすぎて、宣教するのを諦めて帰ってしまった人です(使徒15:38)。そのとき、パウロはマルコがまだ未熟だと考えて、パウロとシラスとルカだけで過酷な宣教を続けました。しかし、約10年後に書かれたこの手紙で、マルコがまたパウロと共に働いていることがわかります。また、パウロが死ぬ前に書いた「テモテへの手紙」には(2テモテ4:11)、「マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」と書いてあります。つまり、未熟だったマルコがパウロの立派な同労者になったということです。しかし、逆のパターンもあります。この箇所に「デマス」という人物がいます。「ピレモンへの手紙」が書かれた時点では、デマスは、ローマでパウロの「宣教の苦しみ」を担っていたのですが、数年後に、パウロは「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。」 (2テモテ 4:10)と、手紙に書いています。つまり、デマスは、マルコのように宣教を諦めただけではなく、信仰そのものを捨ててしまい、「今の世を愛する」ことを選んだのです。

このように、教会には、いつも変わらず忠実に仕える兄弟姉妹(エパフラス、アリスタルコ、ルカ)もいれば、最初は非常に苦戦しながらも、急成長する兄弟姉妹(マルコ)もいます。また、長年忠実に仕えていたのに、最後には信仰を捨ててしまう人(デマス)もいるということです。そのような教会であっても、パウロは、忠実に、信仰と希望と愛をもって教会とともに宣教し続けたのです。私たちも同じような思いで、教会と共に歩んでいるでしょうか?

 

パウロの歩み方を見て、宣教について色々と学べることがありますが、今日一番覚えていただきたいポイントは、宣教についてパウロから何を学ぶのかではなく、パウロの生き方を通して、宣教師パウロの師匠であるイエス様の宣教の御業を仰ぎ見て、感動し、感謝することです。パウロは、そのようなことを自分で悟ったわけではありません。ただイエス様の救いの御業を見習っただけです。

イエス様がこの世に来られた理由は、「神の国」の救いの福音を語るためでした。ですから、いつも町々を周り、「神の国」の救いについて熱く、命を懸けて、語っておられました。しかし、イエス様は、どんなに忙しくても、「伝道」するだけではなく、いつも弟子たちや神の民との時間を取っていました。弟子たちがイエス様のたとえ話が理解できなかったときは、イエス様は時間をとってゆっくり説明してくださいました。愛する兄弟ラザロが亡くなったときは、イエス様はすぐに伝道活動をやめられて、マルタとマリアを慰めに行かれました。まじめなパリサイ人たちがイエス様と弟子たちの行動を見て、「バプテスマヨハネはよく断食をし、祈りをしていますが、あなたたちはよく食べたり飲んだりしています」というほどでした。イエス様は、「宣教すること」がただ「伝道」するだけではなく、「教会」を愛し、養うこと「宣教」の大事な一部だったと考えておられました。

そして、イエス様はいつも人に囲まれながら、教会とともに、宣教していたことがわかります。イエス様一人で宣教したほうが簡単だったかもしれませんが、大勢の弟子たちとともに御国の前進のために働かれました。そして、皆さんもご存知のように、いろんな弟子たちがいました。熱心でも不器用なペテロ。疑い深く、つい嫌味を言ってしまうトマス。怒りっぽく、権力を欲しがる「雷の子」のゼベダイの息子たちヤコブとヨハネ。忠実に従っていたのに、最終的には裏切ってしまうユダ。弟子たちの中でもいろんな性格、色んな変化もありましたが、イエス様は一人一人を愛されました。12人の弟子たちに、同じ宣教の福音と霊的な力を与え、同じように足を洗い、聖餐式で同じパンとぶどう酒を与てくださいました。私たちも忘れていけないのは、ユダが口でイエス様を裏切るまでは、イエス様は弟子としてユダの足も洗われましたし、弟子としてパンとぶどう酒を与えてくださったということです。イエス様は、どのような人が教会にいても、いつも教会とともに宣教されたのです。

そして、どのような教会であっても、イエス様は、聖霊様の働きを確信され、どのような状況にあっても、教会が奇跡のようにイエス様に従うことを期待されました。弟子たちが十字架に掛けられたイエス様を置き去りにしても。ペテロがイエス様との関係を三回も否定しても。イエス様が蘇られたのにもかかわらず、弟子たちがイエス様の復活を疑ったとしても。イエス様はこうおっしゃいます。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」 (ヨハネ14:12) つまり、教会の歩みがどうであれ、また、それまでに、どのような葛藤があったとしても、イエス様は、教会がイエス様がなされた宣教の「奇跡」を超えるような「大きなわざ」を行うことを確信しておられるのです。それは、イエス様が、御父の元に行かれた後に、聖霊様を教会に与えると御父が約束してくださったからです。そして、そのあと、何が起こりましたか?ペンテコステの日に、聖霊様が教会と弟子たちに下られ、使徒たちと教会は、イエス様の3年間の働き以上に、主の御国を拡大させ、教会に成長をもたらし、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまでに福音が宣べ伝えられました。

 

イエス様が宣教された理由は、ただ御父がくださったミッション―十字架に掛けられること、天に昇られることーを果たすためだけではありませんでした。教会を愛するため、御自分の花嫁と会うためでもありました。十字架に掛けられ、三日後に蘇られたイエス様は、天国というゴールに到着されたときに、そこに留まられませんでした。パウロがコロサイへ行きたいと言ったように、イエス様はUターンされ、御自分の教会と再び会うために、この世に戻るとおっしゃいました。その目的は、私たちを永遠に愛し、教会との永遠の関係を楽しむためです。究極の宣教師として、イエス様は神の民を愛するためにこの宣教の救いの御業を成し遂げられました。イエス様の宣教の御業に感謝し、私たちも同じ思いで宣教の働きに関わっていきましょう。お祈りします。

海浜幕張めぐみ教会 - Kaihin Makuhari Grace Church