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礼拝式順
前 奏 Prelude
[約 束 Promise]
新約聖書 ローマ人への手紙 Romans 1章2〜4節
旧約聖書 イザヤ書 Isaiah 7章14節
旧約聖書 イザヤ書 Isaiah 9章6〜7節
♪教会福音讃美歌92番 「人みな喜び歌い祝え」(1・7番)
[待 降 Awaiting]
旧約聖書 イザヤ書 Isaiah 9章2節
新約聖書 ルカの福音書 Luke 3章15節
♪讃美歌94番 「久しく待ちにし」(1〜3番)
[告 知 Annunciation]
新約聖書 ルカの福音書Luke 1章26節〜38節
新約聖書 マタイの福音書 Matthew 1章18節〜22節
♪讃美歌112番 「もろびとこぞりて」(1・3・5番)
[誕 生 Birth]
旧約聖書 ミカ書 Micah 5章2節
新約聖書 ルカの福音書 Luke 2章1〜7節
♪教会福音讃美歌75番 「静かに眠るベツレヘムよ」(1・2番)
[歓 迎 Welcome]
新約聖書 ルカの福音書 Luke 2章8〜14節
新約聖書 マタイの福音書 Matthew 2章1〜2節、9〜11節
新約聖書 ヨハネの福音書 John 1章12節
♪讃美歌103番 「牧人ひつじを」(1・2・4番)
聖書朗読 Scripture イザヤ書 Isaiah 9章6〜7節
ルカの福音書 Luke 1章31〜33節
聖書の話Sermon 「約束の子の名」 百瀬ジョザイア牧師
♪讃美歌106番 「あら野のはてに」(1・2・4番)
献金とお祈り Offering & Prayer
♪讃美歌98番 「あめにはさかえ」(1番)
祝 祷 Benediction 百瀬ジョザイア牧師
後 奏 Postlude
聖書の話(説教)
イエス・キリストは世界の歴史がその誕生で分けられるほどに、世界に影響を及ぼされた方です。日本なら明治、大正、昭和、平成、令和と年号は変わりますが、クリスチャンにとって、最高の王によって歴史が決定的に変わりました。その最高の王とは、生まれる前から約束された子、創造主なる神様が神の霊で満たして遣わすと約束してくださった「キリスト」(ヘブライ語で言うと「メシア」)です。約束の子、約束の王の誕生を、世界中の人はクリスマスに記念します。
あなたには幾つぐらいの名、呼び方がありますか。日本では姓と名の二つが基本です。あだ名もあるかもしれません。会社や学校、委員会などで別の肩書きや立場もあるでしょう。
聖書がイエス・キリストについて用いる名前はとても多いです。幾つ挙げても、その方の素晴らしさを完全に言い表すことができないでしょう。けれども、今日、クリスマスと関連する五つの名前を思い出したいと思います。おもにイザヤ書9章6節とルカの福音書1章31〜33節を見ます。
去年もイザヤ9章からメッセージをしました。1〜6節前半では、神に対する反抗の罪によって苦しみ、憂鬱に生きる人たちに希望の光が差し込む話があります。それは、その苦しみと罪をその肩に負い、彼らを支えて守るようになる王が赤ちゃんとしてお生まれになるという約束でした。その続きの箇所、6節後半にこう書いてあります。
その名は「不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
さて、この四つの名前を見て、神様が世にくださった王、メシアがどんなに素晴らしいかを共に考えたいと思います。
1)「不思議な助言者」(「不思議、助言者」)最高に賢いお方
「不思議」は「不思議な人だな」という感じではありません。「不思議」の語は旧約聖書では、大抵の文脈では、神様にしかできないほどに困難なこと、奇跡的なことについて用いられます。例えば、詩篇77篇14節に出てきます。
あなたは奇しいみわざ〈=不思議〉を行われる神。
国々の民の中で御力を現される方。
イザヤ書28章29節でも、主なる神についてこう書いてあります。
「その摂理は奇しく、 その英知は偉大である。」
「奇しく」は「不思議」の動詞型で書かれています。神の働きかけと導きも「不思議」なほどに人間の理解を超えたものです。奇跡的なことです。約束の子は、それを帯びたお方として、イザヤの紀元前8世紀に予告されています。
さらに、古代中近東の王はよく助言者を雇いました。賢い決断をするために、知恵を借りたかったからです。今でも助言する人は政府の指導者たちの周りに大勢います。助言者は王が良い判断を下すようにいました。ところが、お生まれになると約束されている子は、ご自身が王でありながらも助言できる方です。他の誰の知恵にも頼らなくてもよい、完全な王なのです。神にしかできない不思議をなし得て、人間の知恵に頼らない王であられます。
あなたは知恵と助けが必要ですか。約束の子が助ける力をお持ちです。
2)「力ある神」最高に力強いお方
より具体的に、お生まれになると約束された子はつわものなる神です。「力ある〈者〉」は「戦士」とも訳せます。聖書は他の箇所で、主なる神を、同じことばで「戦いに力ある主」と呼びます。
詩篇24:8「栄光の王とは だれか。
強く 力ある主。
戦いに力ある主。」
この子は力があり、戦う方です。イザヤ9章4節のように、敵の虐げの「くびき…を打ち砕かれる」方でないといけませんでした。約束の子は穏やかな、弱い赤ちゃんとして生まれますが、実に、約束の子はまだ神であられます。神としての性質に永遠、無限、変わらない力が隠されます。これも私たちの知恵を超えた、不思議な知恵です。
「力ある神」という呼び名は私たちの想像を超えた力があります。でも確実に助けてくださるという希望をくれます。「主よ、主よ、み民を救わせたまえや」と歌う理由は、私たちは弱くて自分を救えないからです。何からも救えません。「民のなわめを解き放ちたまえ」(「久しく待ちにし」)と私たちは願うことしかできません。「力ある神」たる方こそが解き放たれるお方です。
3)「永遠の父」最高の知恵+力+憐れみ✖️永遠
「永遠」に続く王が約束されました。始まってからずっとおられるのです。私たちは無限に続く時間の概念をつかめません。けれども、私たちに平安を与えることです。子どもは、自然に親をいつでもいる存在として信頼して産まれます。大人になっても、私たちが生きる限り、そして死んでからも、いつでもいてくださる方を慕います。そういう方が必要です。でも、私たちの親はいつかいなくなります。私たちもいなくなります。
しかし、「永遠の父」は実際にいつまでもいてくださいます。ここの「父」はクリスチャンの間でよく言う「父なる神」とまた違うと思います。父なる神から送られる「子」なる神のことです。けれども、真の神様が唯一の完全な父親のように人を養い、治めてくださるという特徴は父と子で同じです。例えば、旧約聖書にこの描写があります。
みなしごの父 やもめのためのさばき人は
聖なる住まいにおられる神。(詩篇68:5)と
父がその子をあわれむように
主は ご自分を恐れる者をあわれまれる。(詩篇103:13)
子なる神も人々を養って導いてくださる父のようである、とイザヤは言っています。
約束された子には知恵と力と憐れみが完璧にあります。しかも、いつまでも、どの時にもそうなのです。どの日でも、私たちを愛して守ってくださる方が来られる。イザヤはそういう約束を受けて、イスラエル人そして世界の人々にこの呼び名を残しました。
4)「平和の君」満たされた関係と人生を下さる
イザヤ9章6節は最後に、「平和の君」という呼び名を使います。「シャローム」の君、司令官、という意味です。今でも「シャローム」は平和と言う意味で有名なことばですが、平和だけでなく、全てのことにおいて満たされていることを意味します。まず神と人間の間に平和がある状態です。公の礼拝の終わりの祝祷で「【主】が…あなたに平安を与えられますように」の宣言は「主が…あなたにシャロームを与えられますように」です。さらに、人間同士に平和がある状態、個人が自分自身のうちに心配でなく平安を持つ状態もシャロームです。進歩と繁栄もシャロームです。安定して、安心できる関係と生活にシャロームがあります。では、だれがこれをもたらせるでしょうか。
私たちは今年も、戦争と内戦、テロなどの暴力の勃発を見てきました。各地の社会の中でも、貧困や苦しみがもちろん続いています。平和と言われる日本でも、いじめや関係のこじれが絶えません。聖書によると、戦争を途絶えさせるのは主なる神です。
終わりの日に…
主は国々の間をさばき、
多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、
もう戦うことを学ばない。(イザヤ2:2・4)
神と戦ってきた人間を変えて、終わりの日をもたらすのは約束された子でした。和解をもたらして、ある日全世界にシャロームをもたらすご計画を持っておられました。
イザヤ9章7節はさらに、この約束の子が王であることをよりはっきりと書きます。
その主権は増し加わり、その平和は限りなく、
ダビデの王座に就いて、その王国を治め、
さばきと正義によってこれを堅く立て、
これを支える。今よりとこしえまで。
それから、神の民は700年以上も待ちました。そして、私たちが祝っているとおり、約束の子がお生まれになりました。
5)「イエス」全ての名の上にある名
ここまで見た名前は、クリスチャンであっても日常的に使う名前ではないかもしれません。どちらかと言えば、特徴を描く呼び名です。私たちがもっと親しく使える名は5番目の名前、「イエス」(イェシュア)です。最後にこの名を考えましょう。親しいと言いますが、同時に、畏れ多い、不思議で素晴らしいお名前でもあります。全ての人がある日に告白せざるを得ない御名です。
「イエス」は「ヤハウェ(主)が救いである」、又は「ヤハウェが救ってくださる」、と言う意味です。天使ガブリエルがこの名をマリアに告げてくださいました。イエスはイザヤ9章と同じことを言いました。
「見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」(ルカ1:31-33)
イザヤ9章7節のとおり、王ダビデの子孫としてイエスはお生まれになりました。そして王であられます。今は、見えませんが、天国で全てを治めてくださり、特に教会において支配して、全てを良い方向へと導いてくださいます。エペソ人への手紙でパウロが王、メシアなるキリスト・イエスの支配を歌います。
エペソ1:20-22 この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。
イエス様が治め始めた手段は「不思議な助言者」にしか考えられなかった方法でした。へりくだられました。力を持って、弱さを帯びて、十字架で血を流して、平和を獲得されました(ピリピ2:6-11)。悪魔との戦いで、「力ある神」だからこそ、死んだ後にまたよみがえり、勝利なさいました。「永遠の父」として、今も忍耐深く、知恵深く、力強く導いてくださるであり続けられます(ヘブル13:8参照)。反抗的な人間と平和を作り、ご自分の民の間でもシャロームを下さるために、今も父なる神の御前でとりなしをしてくださいます(エペソ2:14-16、ヘブル7:25)。イエス様は、「ヤハウェの救い」を人に与えてくださいます。
私たちは、約束された子キリストの五つの名前を聞きました。「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」そして「主は救い」です。私たちはこの方を喜んでいますか。私たちの最高の喜びと誇りがこの方にありますように。今日も、私たちがこの方に信頼して、喜んで歩めますように。