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礼拝式順
前 奏 | Prelude | |
招きの言葉 | Call to Worship | イザヤ書 Isaiah 41章10節 |
開会の祈り | Opening Prayer | |
主の祈り | Lord’s Prayer | |
賛 美 | Hymn | 教会福音讃美歌194番 「詩篇73:21-24」 |
聖書朗読 | Scripture Reading | ペテロの手紙第一 1 Peter 1章1〜2節
1:1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、 1:2 父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。 |
聖書の話 | Sermon | 「恵みによって寄留する」
百瀬ジョザイア牧師 |
賛 美 | Hymn of Response | 教会福音讃美歌353番 「あなたこそ我がのぞみ」 |
子 ど も の
祝福の祈り |
Prayer for Blessing of the Children | 百瀬ジョザイア牧師 |
献金と祈り | Offering & Prayer | |
報 告 | Announcements | |
頌 栄 | Doxology | 教会福音讃美歌269番「たたえよ、主の民」 |
祝 祷 | Benediction | 百瀬ジョザイア牧師 |
後 奏 | Amen | 讃美歌 567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」 |
聖書の話(説教)
新年を迎えることができました。本年、創造主なる神様が私たちのためにどういう経験を用意されているのでしょうか。確かなのは、本年は旧年と全ての年同様、私たち一人一人が「旅」する年となるでしょう。皆さんは旅が好きですか。楽しいことも大変なことがあります。でも目的地もあります。この世界は私たちの最終目的地ではありません。
使徒ペテロが今日の箇所の手紙を現代のトルコの西部になった地域(1節に書かれている場所)のキリスト者たち、すなわち「散って寄留している選ばれた人たち」へ送りました。 1章1節で「散って」いということは、諸事情によって自分の国から出て、別の国に住む人を指すことばでした。特にバビロン帝国によって散らされて、各地で共同体を続けたユダヤ人について使われました。現代この語が「ディアスポラ」として用いられ、強制される場合、逃亡する場合、出稼ぎの場合など色々な理由で母国から離れて暮らす人を指します。
ただ、人が母国から離れても、捉え方は様々です。母国を出て、新しい国にずっと住もうと思う人はいます。彼らは、「寄留」している気持ちがないかもしれません。散っているだけです。このような方にとって、自分の背景を思い出せても、日常的に現地の言語と文化に馴染んで、母国のことを忘れても問題ないかもしれません。もう一方で、母国にいつか帰りたい、帰らなければならないと思う人もおられます。難民生活を強いられる方、短期在留ビザを受ける方などは散っているだけでなく、寄留している自覚もあるでしょう。このような方なら、母国の文化や言葉を絶対に覚え続けようとして、帰る日を待つでしょう。
ペテロの手紙を受けた人々はクリスチャンとして、後者の状況にいました。少なくとも、ペテロは彼らにそう意識してほしかったです。彼らは、少なくとも、霊的な意味で「散って寄留している」人でした。「故郷」また本当の「国」、居場所である天国にまだ辿り着いていませんでした。ですから、いくらか楽しくても、全体的に居心地悪い暮らしをするのだとペテロは伝えたかったです。
全ての人はいつか、この世を去ります。そして後にイエス様が再臨なさると、復活があり、私たちは審判を受けて、永遠の居場所に入ります。そういう意味で、だれでも旅をしています。そしてすでに言いましたように、キリスト者ならこの世の中で寄留していて、「帰りたい」気持ちがあります。
私たちが永遠に住みたいと思う「故郷」はどこでしょうか。私たちはそこのために備えているでしょうか。今の人生は、そこで過ごす未来の永遠に繋がります。神様を愛する人生の旅を過ごすなら、神様をもっと深く愛する永遠の喜びの国が待っています。神様を嫌って反対する人生の旅を過ごすなら、神を永遠に嫌って反対する永遠の悲しみの場所が待っています。言うまでもなく、神を愛する今と未来は、そうでない今と未来より、言葉に表せないほどに良く、喜ばしいことです(ヘブル11:13-16参照)。
では、私たちは今年の人生が旅だと意識して、どう過ごしましょうか。クリスチャンたちは、特に生活が心地よければ、自分たちが「散って寄留している選ばれた人たち」である意識が薄れることもありますが、私たちはまだ散って寄留しています。私たちはこれを嫌がるかもしれません。もっと楽に過ごしたいかもしれません。けれども、私たちは神の恵みによって寄留します。神様が恵みによってこの寄留の歩みを整えてくださり、現実としてくださいました。
1章2節 「父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。」
1)「父なる神の予知のままに」父なる神が罪人を、天国のために選ばれました。「予知」は聖書では、ただ事前に事実を知ることに留まらず、神様が確実にそうしてくださると選んでくださったことを意味します。信仰が弱いと感じるクリスチャン、罪悪感に打ちのめされそうなクリスチャンでも、神様の恵み深い選びを信じて、イエス様を通して、永遠を楽しみに待ちながら寄留することができます。
2)「御霊による聖別によって」聖霊様なる神がクリスチャンを、「聖なる」としてくださいます。聖別されたものは道徳だけでなく存在そのものについても、特別であり聖いものです。私たちは努力、気力によって自分を聖別できません。神様がそうしてくださいましたから、今聖別された寄留、すなわち聖書にある良い歩みに励む土台があります。
3)「イエス・キリスト…の血の注ぎかけを受けるように」子なる神「イエス・キリスト」は王なので、人々が神様に従うことを求められます。しかし、そのために「血の注ぎかけ」が必要でした。古代イスラエルの民も神様との契約を与えられた際、雄牛のいけにえの血を「かけ」られて、神に従う、聖なる、選ばれた民とされました(出エジプト19:1-6、24:3-8参照)。だれでも、イエス様に罪の赦しのための「血の注ぎかけ」を受けるために信頼する人は同じように神に近づいても良い、天国に入る完全な義の資格を持つ寄留する者としていただきます。
2024年の歩みが意義ある寄留となりますように、神様が以上のように恵みを下さり、私たちの旅を確かな希望のものとしておられることを覚えたいと思います。そして、永遠の居場所に備えて、今のうち、前味を楽しみたいと思います。神様と親さを喜び楽しめる年となるように、優先順位を決めて、天国の「ことば」(聖書)と「文化」(教会)に親しみたいと思います。この世のものは「あなただけが わが神 わが宝 わがゆずり」(教会福音讃美歌353番)と、心から歌い、天を待望できますように。
第一ペテロ1章2節終わりの挨拶を読み、お祈りします。「恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」