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礼拝式順
前 奏 | Prelude | |
招きの言葉 | Call to Worship | エペソ人への手紙3章18-21節 |
さ ん び | Opening Praise | 希望の歌 |
さ ん び | Praise | O Church Arise いざ立ち上がり |
開会の祈り | Opening Prayer | |
主の祈り | Lord’s Prayer | |
賛 美 | Hymn | 教会福音讃美歌454番「私のいのち」 |
聖書朗読 | Scripture Reading | コリント人への手紙第二8章1-15節 9章6-15節 |
聖書の話 | Sermon | 「豊かに蒔くことの四つの恵み」
マーク・ボカネグラ牧師 |
賛 美 | Hymn of Response | 教会福音讃美歌353番「あなたこそ我がのぞみ」 |
献金と祈り | Offering & Prayer | |
報 告 | Announcements | |
とりなしの祈り | Pastoral Prayer |
マーク・ボカネグラ牧師 |
頌 栄 | Doxology | 教会福音讃美歌269番 「たたえよ、主の民」 |
祝 祷 | Benediction | マーク・ボカネグラ牧師 |
後 奏 | Amen | 讃美歌 567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」 |
聖書の話(説教)
子供たちに聞きますが、教会で一年一回行われる「信徒総会」という会議を聞いたことがありますか?その会議で、教会の大事なことを決めます。今年は、この海浜幕張めぐみ教会のために、この近くに新しい土地を買って、その土地に大きい会堂を建てることを一緒に決めようとしています。しかし、それをするためには、大きな壁があります。近くにある土地を買うため、そして、会堂を建てるために、2.5億円が必要なのです。2.5億円って、どれほど大きな額かわかりますか?!これは昔の話ですけど、私が小学生のころ「炎のチャレンジャーこれができたら100万円」という番組が大好きでした。すごく難しいこと、例えばー「1円玉300枚積んだら100万円」「10m雲梯(うんてい)で猿に勝てたら100万円」「25m潜水暗算 正解したら100万円」などーを成し遂げたら100万円もらえる、という番組でした。その番組はもうありませんが、最近の番組では、私の子供たちは、この前の大晦日で「逃走中」にハマっていました。逃走中では一回勝ったら100万円ぐらいもらえるそうです。ですから、「逃走中」を見ていた小学生にとっては、100万円がものすごい額であることはなんとなく伝わりますね。ですから、海浜幕張めぐみ教会の新しい会堂を建てるためには、「逃走中」に250回連続勝たないといけない額なのです。この1年、私も含め、教会の大人たちは、「ああ、どうしよう。ああ、どうしよう」と心配していました。
しかし、私たちの教会に来たこともなく、私たちの会衆に会ったこともなく、日本語を話すこともできませんが、この教会のために祈ってくださっていた海外のクリスチャンの兄弟姉妹が、惜しみなく献金してくださいました。ある方は、10万円または20万円。ある方は、100万円(逃走中1回分!)。また、ある教会は、200万円(逃走中2回分)。ある教会は、400万円(逃走中4回分)。そして、ある方は、1500万円(逃走中15回分)。もう、5000万円も集まったのですが、まだ2億円(逃走中200回分)が必要です。ですから、去年の12月14日の朝9時、私は海外のキリストにある兄弟姉妹に正式なメールを送りました。「会堂の「1億」は国内で何とかしますが、土地の「1億」は国外からの助けが必要です!」のような内容です。すると、メールを発信した7時間後の14日の午後4時に、海外の方から突然電話をいただきました。その方は、「私は神様に多くの恵みを頂いています。そして、日本の教会が大好きです。正直に言うと、私は、残りの2億円も全額捧げたいですし、捧げることができます。しかし、私は祈って考え、自制しました。皆さんにも神様に捧げる喜びを味わって頂きたいので、私は7700万円を約束献金させて頂きます。これで1.5億の土地が購入できると思います。会堂のための1億は、皆さんで捧げて頂き、神様の御国に捧げる恵みを共に味わって頂くよう心から願っています。」とおっしゃいました。
この教会に通ってもいないし、私たちの名前も知らない方なのに、この方は、「逃走中」に例えると、77回連続に勝ち続けて、77回分の賞金全額を海浜幕張めぐみ教会に捧げてくださったのです。子供たちに聞きますが、この方は、なぜこれほどのお金を、捧げることができたと思いますか?この方によると、神様と神の民に、惜しみなく捧げることは、それ以外のどんな事とも比べることができない大きな恵みと喜びだからだとおっしゃいました。では、惜しみなく施す者には、なぜ大きな恵みがあるのか、その理由を四つ見ていきたいと思います。
まず、一つ目の理由。惜しみなく施す者は、「喜びに満ちた愛」に富んでいるのです。
この手紙は、使徒パウロが大都市コリントにある教会に送った物です。コリントは港町だったので、経済的に非常に栄えていた町で、文化や哲学において非常に多様で、豊かな町でした。基本的に、見栄えのいいモノ、新しいモノ、自分の名誉を高めるモノ、自分の欲を満たすようなモノに惹かれていた大都市とも言えます。どんな時代のどんな文化でも、大都市は似ているところが多いと思います。パウロがコリントの教会に手紙を送った理由は、エルサレムの兄弟姉妹を支援するために、コリントの教会から献金を募るためでした。
栄えているコリントにある教会たちは、エルサレム教会に献金すると約束していたのですが、1年たっても、まだ、実行していませんでした。つまり、献金するという「思い」はあったのですが、なかなか財布を開いて、実際にお金を渡すことができない、という問題があったのかもしれません。それでコリントの教会を励ますために、最初に、惜しみなく施す者の証しをするのです。
8:1さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。 2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。
パウロは、「惜しみなく献金した者の良い模範をあなたがたに知らせよう」とは言いませんでした。また、「熱い信仰と犠牲的な愛を持っている信者をあなたがたに知らせよう」とも言いませんでした。パウロは、「マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みをあなたがたに知らせよう」と言ったのです。当時の人達は、自分の栄光と名誉を汚すことを、死よりも恐れいていたからです。しかし、マケドニヤの教会は、最も恥ずべき「極度の貧しさ」と「激しい迫害」の中にあっても、「自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ」るために、「熱心にパウロに願ったのです」。
二人のクリスチャンを想像してみてください。一人は、大都市コリントに住んでいる億万長者で、眉をひそめながら、何時間もかけて自分のお金を1円ずつ数えながら、エルサレムの兄弟姉妹にいくらあげるべきかを一年間も悩んでいる兄弟。そして、もう一人は、「極度の貧しさ」と「激しい迫害」を経験しながらも、マケドニアの教会に集うやもめでパウロの話を聞くとすぐに、「私の手持ちのお金をエルサレムの兄弟姉妹に渡してください!」と熱心にパウロに懇願するような姉妹です。
どちらのほうが「富んでいる」と思いますか?どちらのほうが「自由」だと思いますか?二人の口座残高や服装を見ずに、振舞いだけを見ると、億万長者よりもやもめの方が圧倒的に富んでいて、何にも縛られていなくて、充実した人生を送っているように感じられますよね。なぜなら、そのやもめが、お金、ステータス、名誉などを超え、そういう物に縛られていない「何か」を持っていたことがわかるからです。これがパウロが言う「惜しみなく施す富」なのです。惜しみなく与えることによって、その人がお金を上回る「富」を持っていることがわかるのです。
しかし、それは、具体的にはどんな「富」なのでしょうか。8:3‐5を読むと、その本質がわかります。
3 私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、 4 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。
まず、マケドニヤの教会の信徒たちは、「聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたい」と言っているのですが、この【奉仕】ということばを直訳すると、「交わり」(コイノニア)という意味です。つまり、兄弟姉妹に経済的な支援をすることは、「深く、親しい関係」「交わり」を持つことなのです。この言葉は、ビジネスパートナーにも使われることもあり、結婚関係にも使われる言葉です。パウロは、経済的に支援してくださったマケドニヤの教会に、「あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました」(ピリピ4:10)と書いたこともあり、「分け合ってくれる」という言葉も「交わり」(コイノニア)の語源に繋がっているのです。つまり、マケドニヤの教会が楽しんでいた「富」とは、キリストにある兄弟姉妹との親しい交わりからくる、兄弟姉妹を愛する喜びだったのです。これがパウロのいう「神の恵み」なのです。
その喜びの源を、パウロはこう描写します。
5 そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。
キリストにある兄弟姉妹を愛することは、抽象的な「美徳」や、常識上の「義理」ではありません。クリスチャンになることは、キリストの愛と喜びに、全身全霊、自分自身を献げることです。そして、キリストの愛と喜びを経験することのゆえに、自然に湧き出てくるのが、キリストにある兄弟姉妹を愛する喜びなのです。そして、「喜びに満ちた愛」が具体的に見える場面は、兄弟姉妹に惜しみなく施す者を見ることです。ですから、惜しみなく施す者は、「喜びに満ちた愛」に富んでいる人なのです。
次のポイントはこれです。惜しみなく施す者は、「キリストの富」に富んでいるのです。
興味深いことに、この聖書箇所には、パウロが献金を集めるとき、エルサレムの兄弟姉妹がどれほどのお金が必要なのかは一斉書かれていないのです。むしろ、「自分のために献金しなさい!」とパウロは、コリント人に言いました。
7 あなたがたはすべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちからあなたがたが受けた愛にもあふれています。そのように、この恵みのわざにもあふれるようになってください。 8 私は命令として言っているのではありません。ただ、他の人々の熱心さを伝えることで、あなたがたの愛が本物であることを確かめようとしているのです。
イエス様が私たちを救われた目的は、私たちをありのままの状態で、天国に送ることではありません。イエス様は、私たちがますますご自分の似姿のようになるよう造り変え、私たちの喜びをより深くし、私たちが完全に刷新された状態で天国を味わうことを望んでおられます。そのために、イエス様は、私たちの聖書の知識、私たちの信仰、私たちの愛を、毎日、聖霊様の働きによって成熟させてくださっているのです。
私たちの神様に対する「愛」が「本物」かどうか、私たちの「愛」が成熟しているかどうかを試せる、具体的な質問があります。「あなたは、ますます自分のお金を神様に捧げていますか?惜しみなく施していることに成長していますか?」という質問です。それを図る基準がいくつかあります。捧げている額かもしれません。毎月の給料との比率かもしれません。手持ちの財産の比率かもしれません。基準がどうあれ、自分の「愛」が成長しているか、停滞しているか、下がっているのかがわかります。
それを聞いて、私と同様に「ギクッと」として、冷や汗をかき始めたかもしれませんが、感謝なことに、パウロは、私たちの愛を成長させる方法を具体的に書いてくださいました。
9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
惜しみなく施せる根拠。人を犠牲的に愛せる根源。神様を熱心に愛せる動機。それは、自分から湧き出る「優しさ」や「倫理観」から来るものではありません。私たちの心から湧き上がる「フィーリング」や「主観的な気持ち」から来るものではないのです。根源は、イエス様が施された客観的な事実から来るのです。イエス様は、私たちの「罪」の負債という貧しさを背負ってくださり、ご自分の「義」と「行い」によって獲得された「栄光」や「富」を惜しみなく私たちに施してくださったのです。(イエス様の施しは何回分の「逃走中」でしょう。)ヨハネはこのように説明します。
神はそのひとり子を世に遣わし、 その方によって 私たちにいのちを得させてくださいました。 それによって 神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 宥めのささげ物としての御子を遣わされました。(1 ヨハネ4:9-10)
パウロは、「今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。」(8:15)と、コリントのクリスチャンに促します。しかし、この「ゆとり」は単なる経済的なゆとりだけの意味でしょうか?「極度の貧しさ」を経験していたマケドニヤの教会には、経済的な「ゆとり」はなかったのですが、「ゆとり」があるかのように惜しみなく施しました。つまり、ケチな人は、「ゆとり」のない人です。自分の天の口座に10兆円があることを何回も確認しないと、この地上で惜しみなく施しができないということです。ですから、惜しみなく施せる人は、イエス様が勝ち取られた天の恵みに、私たちがどれほど富んでいるのかを深く感謝し、自由に施せる人なのです。
三つ目のポイントはこれです。惜しみなく施す者は、「神様への信頼」に富んでいるのです。
多くの人たちは、「献金」を「税金」のように考えがちです。「税金」には自由がありません。義務だからです。税金を喜んで払う人もいません。そして、求められる金額以上に税金を納める人もいません。しかし、パウロはこの2節でその偏見を覆します。
6 私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。 7 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
「献金」は税金ではありません。厳密に言いますと、「投資」なのです。農家の方ならよくわかると思います。畑を耕し、種を蒔き、水をやって、育て、刈り取ることは、すべて、お金、時間、労力の「投資」です。「投資」は「税金」と違って、政府に強いられるものではなく、あなたの個人的な自由であって、いやいやではなく、心で決めた「額」を喜んで投資することです。そして、投資には、すごくシンプルな原則があります。「わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。」リスクをおって投資すれば、刈り取りの可能性が大きくなる、ということです。つまり、税金には自由がないので納める額の上限はありますが、投資は完全に自由なので、投資する額の上限はありません。でも、パウロと私を誤解しないでいただきたいのです。献金は税金ではなく、完全に自由です。義務感からではなく、心に決めた分を、喜んで捧げてください。しかし、自由だからといって、自分の捧げられる最低限の額を考えないで頂きたいです。
私たちは、「投資」しようとするとき、①この投資で、返ってくる報酬は何か。②誰に投資をし、この投資にはどんなリスクがあるのか、などをよく考慮した上で決めます。パウロはこう言います。「この献金としての投資は、より多くのお金でもないし、天国にある祝福でもないし、神様からくる守りや喜びでもありません。私たちの献金としての投資の報酬は、「義の実」を結び、収穫することです。」と。献金の目的は、自分の義がますます神様の義に近づき、自分の愛がますますイエス様の愛のように成長するためです。つまり、神様に献金することは、自分の霊的な成長のために「蓄える」ことなのです。
17 今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、 18 善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、 19 来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。
興味深いことに、この「投資」は、パウロや、エルサレムの兄弟姉妹に投資することではなく、神様に預けることが前提なのです。そして、パウロは、8-10節を通して、神様がどういうお方であり、何を約束されたか確認します。神様は、「あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになる」お方(9:8)。「いつもすべてのことに満ち足り」るために働かれるお方。(9:8)私たちが「すべての良いわざにあふれるように」動かれるお方。(9:8)詩篇112篇に書いてある通りに、私たちが神の義に永遠にとどまるよう私たちを導かれるお方(9:9)・投資家である私たちの種と食べるためのパンをすべて備えてくださるお方。私たちの「種を備え、増やし」、私たちの「義の実を増し加えてくださる」お方(9:10)。要するに、神様は、私たちの「投資」が失敗しないように、また、私たちが損をしないように、全面的にバックアップしてくださり、すべてを保証し、熱心に、積極的に働いてくださると約束しておられるのです。
献金しないということや、わずかしか蒔かないということは、そもそも神様の約束を疑っているということです。マラカイ書3章で、神の民は神様に「投資」また献金するのを戸惑い、神様が本当に約束を守られるのかを疑い、他のものに投資してしまいました。それゆえ、神様は非常に怒られ、こうおっしゃったのです。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、 わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。 ──万軍の主は言われる── わたしがあなたがたのために天の窓を開き、 あふれるばかりの祝福を あなたがたに注ぐかどうか。 」(マラキ3:10)
それとは反対に、惜しみなく施す者は、「神様への信頼」に富んでいる人です。神様がご自分の約束を守られることを確信し、頼りにならない富に頼らず、神様が差し出される「神の義の実」を蓄える人です。私たちがそのような者になりたいかどうか、パウロは私たちにチャレンジを与えているのです。
そして、最後のポイントです。惜しみなく施せる者は、「神への感謝」に富んでいる者です。
献金は、自分を良く見せるための行為ではありません。神様の誠実さ、私たちが信じている福音の力強さ、教会の愛の深さの素晴らしさをより具体的にする為に惜しみなく捧げるのです。皆さん、私が海外の兄弟姉妹が、この教会に、無条件で1.5億円献金してくださったことを聞いて、最初に何を思いましたか?いろんな気持ちを持たれたと思いますが、「神様すごい!ハレルヤ!」という結論に至ったと思います。パウロはそう言いたいのです。
あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。 12 なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。 13 この務めが証拠となって、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、自分たちや、すべての人に惜しみなく与えていることを理解して、神をあがめるでしょう。 14 そして彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた、神のこの上なく豊かな恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになります。 15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します
愛する兄弟姉妹。全額、捧げられますが、7700万円だけ献金してくださった方は、私たちに大きな恵みを与えてくださいました。この方は、私たちがキリストの福音の告白に対して従順になり、惜しみなく神に捧げ、私たちの献金で神様への感謝を生み出す機会を与えてくださったのです。感謝なことに、1億円分の恵みが残っています。主は富んでおられたのに、私たちの為に貧しくなられたことを思い出し、喜びに満ちた愛のゆえに、神様の誠実さに信頼しながら、私たちの会堂やニーズのためではなく、神様のご栄光と賛美のために捧げていきましょう。お祈りします。