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礼拝式順
前 奏 Prelude
神の招き Call to Worship
開会の賛美 Opening Praise 教会福音讃美歌245番「御名をほめ讃える歌声より」
開会の祈り Opening Prayer
罪の告白の招き Call to Confession of Sin イザヤ書 Isaiah 55章6〜7節
罪の告白の祈り Common Prayer of Confession
個人的な告白( 黙祷のうちに ) Private Prayer of Confession
赦しの確証 Assurance of Pardon 詩篇 Psalm 32篇1〜2節
平和のあいさつ Passing the Peace
賛美 Praise 教会福音讃美歌301番「千歳の岩よ」
転入式 Membership transfer ceremony
みことばの宣教 Reading and Proclamation of the Word
聖書朗読 エペソ人への手紙2章19-22節 コリント人への手紙第一3章10-17節
聖書の話 「めぐみ教会の設計図:教会の『成長』とは?」
マーク・ボカネグラ牧師
説教応答の賛美 Response of Praise 教会福音讃美歌230番「確かなもとい ただ主に置き」
聖晩餐式 Communion マーク・ボカネグラ牧師
献 金 Offering
頌 栄 Doxology 教会福音讃美歌269番「たたえよ、主の民」
祝 祷 Benediction マーク・ボカネグラ牧師
後 奏 Amen 讃美歌567番[V]「アーメン・アーメン・アーメン」
報 告 Announcements
聖書の話(説教)
子どもたちに聞きます。海浜幕張めぐみ教会が新しい会堂を建てることになったら、どんなふうに造りたいですか?この前の日本長老教会の修養会でアンケートをしましたが、子供たちはいろんな回答を書いてくれました。「2階を建てたい」「すべり台を入れたい」「3階を建てたい」「UFOキャッチャーを入れたい」「4階を建てたい」などなどです。では、皆さんは、海浜幕張めぐみ教会の新しい会堂が建ったら、どんなものを入れたいですか?ぜひ私に提案してください!
会堂に何を入れるかを考える為には、教会がどのように成長したいかを考えないといけません。実は今、この教会の小会(リーダー)は、かなり悩んでいます。しかし、いろんな教会を建てた大先輩であるパウロ先生は、私たちにこのような設計図を与えてくれました。「教会を、イエスキリストという土台に建て、イエスキリストに向かって成長し、イエスキリストにあって教会を築き上げなさい」と。礎から最上階まで、「イエスキリスト、イエスキリスト、イエスキリスト」なのです。次の4つの質問にそって、この事について考えたいと思います。①教会の「成長」とは何か?②どのように成長するのか?③どのような成長を目指すのか?④何のために「成長」するのか?
①教会の「成長」とは何か?
教会が成長することは、キリストにあって、体(教会)が組み合わされ、築き上げ、主の宮へと建てられることです。(エペソ2:19-22参照)
まず、教会は、「キリストの体」と「主の宮」(神殿)という二つの比喩で描かれています。一方で教会は、自然な仕方で、いのちをもって成長していく生きた「体」であり、もう一方では、精巧な設計図と高度に調整された工学に基づいて、注意深く築かれる建築構造でもあります。教会の「成長」には、「体の持つ自然な成長」と「建物を築き上げる成長」という二つの大切な意味があります。
教会の最終的な目標は、「主の宮」になることです。それは、「神の御住まい」(エペソ2:22)となることです。ですから、どれほど立派な「体」を鍛えたとしても、どれほど立派な「建物」を築き上げても、神様のご臨在がなければ、他の「体」や他の「建物」と全く違いはありません。旧約聖書を振り返ると、その意味を深く吟味することができます。
教会(エクレシア)という意味は、神の民の「集い」、「会衆」です。旧約聖書では、神の民の会衆はイスラエルという国でした。神の民であるイスラエル人が「聖なる国民」(出エジプト19:6)になった理由は、神様のご臨在が彼らのただ中に住まわれたからです。神様はイスラエル人をエジプトから救い出した後に、ご自身が宿られる「幕屋」を造る事と、その「幕屋」を民のただ中に置く事を命じられました。幕屋が完成したとき、「栄光の雲」として描写される神様のご臨在が、劇的に「幕屋」をおおい、主の栄光(ご臨在)が幕屋に満ちました。(ネヘミヤ9:19-20を読むと、この雲は聖霊様を表しています。)そして、聖なる民であるイスラエルは、旅路にある間、常に雲が幕屋から上ったときに旅立ち、雲が上らなければ、上る日が来るまで旅立ちませんでした。つまり、「栄光の雲」が神の民を導き、神様が神の民のただ中におられたので、イスラエルの民は「聖なる国民」になったのです。それ以前は、イスラエル人も、日本人、中国人、フィリピン人、アメリカ人と同じような一般の「民族」でした。
神の民であるイスラエル人が約束の地に導かれたときに、神様は幕屋を神殿に建て直すことを命じられました。そして、当時、イスラエル人の王であったソロモンは、首都エルサレムの中心に神殿を建てたのです。そして、神殿が完成した後には、同じように、「栄光の雲」が神殿を満たしました。そのことによって、まだイスラエルが「聖なる国民」であることが確認され、神様のご臨在によって、民は荒野での旅路と同じように守り続けられたのです。そして、イスラエルも、経済的にも政治的にも成長していきました。
しかし、問題がありました。年月が経っても、イスラエル人は、神様のご臨在にふさわしい民には成長しませんでした。むしろ、神様のご臨在をないがしろにし、神様の御言葉を忘れ、神様が忌み嫌うことを何百年も犯し続けたのです。エゼキエル8-11を読むと、神様は神の民の「大きな忌み嫌うべきこと」(8:6)を御覧になり、「主の栄光が神殿の敷居から出て行った」(10:18)とあります。つまり、聖霊様が神の民から離れられたと言えます。それは、小さなことではありません。神の民としての恵みと特権を失うことです。神の民として、最も絶望的な出来事なのです。
もし、そのような事が事実ならば、私たちはなぜ「教会」になれたのでしょうか?私たちがイスラエル人たちよりも「義」のある民だからでしょうか。もちろん、そんなことはありません。異邦人である私たちと、聖霊様を失ってしまったイスラエル人は、同じように神様にふさわしくない存在です。私たちが「主の宮」「主の御住まい」に築き上げられた理由が、この2節に記されています。
21 このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。 22 あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
新しい「主の宮」は、キリストにあって築き上げられます。キリストが聖なる「体」、完璧な「神殿」になられたからこそ、聖霊様は「キリストの体」である教会に宿ることができます。ですから「教会が成長する」とは、キリストにあって、体(教会)が組み合わされて築き上げられ、主の宮へと建てられることです。
理解を深めて頂くために、成長ではないことを挙げてみます。礼拝者平均人数や献金額が増えること。教会堂の面積や活動が拡大すること。教会の雰囲気が活き活きしたり、あったかくなること。聖書の知識が増えることや教理的な純潔さ。キリスト教によって日本社会を変えること。このようなことは教会の成長が結ぶ「実」ではありますが、「成長」そのものではありません。なぜなら、そのような成長は、聖霊様なしで、また、神様のご臨在なしでも、もたらすことができます。教会が成長するときは、単に大きな群衆がイエス様の御下に集められればいい話ではありません。教会の成長というのは、聖霊様が丁寧に私たち一人一人をキリストの体に組み合わせ、私たち一石一石を聖なる主の宮に据えて、教会を建てあげることです。要するに、聖霊様がおられないと、成長しているとみなすことはできないのです。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」(ヨハネ3:6-7)とイエス様はおっしゃいました。
②教会はどのように成長するのか?
キリストの体は、父なる神の設計図(青写真)に従って、御子なるキリストの礎(土台)のゆえに、そして御霊による建設的な働きによって成長します。つまり、教会は三位一体の神の御言葉によって成長するのです。
よくある誤解は、「神様」がおられて、「御言葉」が別にあり、御言葉を上手に用いれば、そこに神様が働いてくださるという間違ったイメージを持っている人もおられるかもしれません。しかし、新約聖書が描く教会の成長は、三位一体の働きが御言葉の働きであることが分かります。「使徒の働き」を読むと、初代教会の急成長を見ることができます。
こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。(9:31)
こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。(16:5)
しかし、同じ「使徒の働き」の中で、初代教会の急成長がこのように表現されるときもあります。「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。」(6:7)「神のことばはますます盛んになり、広まっていった。」(12:24)「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。」(19:20)要するに、教会の成長と、御言葉の広まりは引き離してはならないということです。三位一体の働きを見ると、それもはっきり見られます。
まず、イエス様の働きと御言葉を見てみましょう。教会が成長するために、「キリストのゆえに建てられる必要がある」とよく聞きますが、エペソ2:20にはこのように表現されています。
使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。
教会の「礎」「土台」がイエス様であることは、皆さんご存じだと思います。しかし、新約聖書では、その「礎」あるいは「土台」が据えられたのは、新約聖書を書いた「使徒や預言者」によるのです。ですから、教会を「イエス・キリスト」の上に建てることは、聖書の上に建てることなのです。(パウロも1コリント3:10-11にまた全く同じことを示唆しています。)
教会は、キリストにあって建てられますが、同時に「かしらであるキリスト」に向かって成長します(エペソ4:16; コロサイ2:19; エペソ5:29-30)。イエス様が教会の土台」を支え、教会の天上から養って下さるようなイメージです。それでは、イエス様は、具体的にどのように教会をかしらへと成長させて下さるのでしょうか?
私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。 …愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。(エペソ4:13-15)
つまり、「神の御子に対する信仰と知識」が書き記されている御言葉、「真理」が語られている聖書によって、私たちはかしらであるキリストに向かって成長できるのです。
次に、教会の建設現場における「現場監督」とも言える聖霊様の働きを見てみましょう。聖霊様はどのようにして私たちを成長させ、教会を築き上げられるのでしょうか?不思議な神秘体験によってでしょうか?いいえ、聖霊様もまた、御言葉という道具を用いられます。「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣、すなわち神のことばを取りなさい。」(エペソ6:17)「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」(ヘブル4:12)ここで「御霊の剣」とは、「御霊が使う剣」という意味です。聖霊様が人の心を刺し通し、手術し、新しく造り変えるために用いる唯一の武器、それが「神のことば」なのです。
最後に、教会の設計者ともいわれる御父の働きを見ましょう。建築現場において、イエス様も聖霊様も、すべては設計者が引いた「設計図」に従って動かなければなりません。その「設計図」とは具体的に何でしょうか?それは御父の御言葉です。イエス様ご自身も、『巻物にわたしのことが書いてあるとおり、みこころを行うために来ました』(へブル10:7)と言われました。イエス様でさえ、父なる神の設計図(書かれた御言葉)からはみ出すことをせず、完全に従順であられたのです(ヨハネ5:19,30)。聖霊様の建設作業とは、新しいレンガを勝手に作ることではありません。すでに据えられた土台である『イエス様の言葉』を私たちに思い起こさせ、御父の言葉通りに私たちを建て上げる作業なのです。「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。」(ヨハネ16:13)
ですから、聖書と関係ない成長は、三位一体の成長の働きではないとも言えます。逆を言うと、聖書によって結ばれた「実」、聖書に沿って形作られた教会は、確実に三位一体の共同作業であり、神様の恵みの傑作と言えます。単刀直入に言いますと、もし私たちが何百年も残る、ガウディが設計したサグラダ・ファミリアのような立派な会堂を建てたとしても、それは、三位一体がもたらした「教会の成長」とは言えません。しかし、ある5歳児が「イエス様大好き」と告白したとき。何かの中毒者が罪にまた陥ってしまった後に「イエス様にまた立ち返ろう」と思ったとき。なかなか分かり合えない夫婦がキリストにあって赦し合うとき。想像を超える絶望的な苦しみの中で、「キリストにしか希望がない」と信じるとき。それらは、はかない一瞬だと思うかもしれませんが、これが御言葉がもたらす三位一体の傑作なのです。
③どのような成長を目指すのか?
教会には様々な成長の形がありますが、使徒パウロは、教会のリーダーたちに二つの注意を書きました。
「私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」
一つ目の注意は、イエス・キリストという土台から外れることなく、教会を注意深く建てなさいということです。
教会が成長し、勢いがついてくると、「こうすればいいかもしれない!」「これもいいじゃない!」といろんなアイデアが出て来ます。それは素晴らしことですし、神様に与えられた一人一人の賜物が活かされる機会にもなります。しかし、やりすぎてしまうと、土台の上の家を築き上げることよりも、家の周りの「庭」、「道路」、「お隣さんの家」を発展させるだけで、自分の家が未完成のまんまになってしまうことがあります。これは当然のことですが、家の土台の上に建てないものは、もう家ではありません。全く別の建物です。「そうかもしれないけど、家の範囲も広げるべきではないか。」と思うかもしれませんが、パウロが言ったように、土台を広げることは、違う土台を作ることになります。「賢い建築家」は与えられた土台があるからこそ、家を建てられるのです。新しい土台を作ることは建築家の仕事ではないのです!
旧約聖書の例えを使ってみましょう。出エジプト記で、神様は幕屋の「設計図」と「工事の仕方」をイスラエル人に与えられ、名指しでベツァルエルとホリアブを選ばれ、このように命じられました。
2 「見よ。わたしは、ユダ部族に属する、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指して召し、 3 彼に、知恵と英知と知識とあらゆる務めにおいて、神の霊を満たした。 4 それは、彼が金や銀や青銅の細工に意匠を凝らし、 5 はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。 6 見よ。わたしは、ダン部族に属する、アヒサマクの子オホリアブを彼とともにいるようにする。わたしは、すべて心に知恵ある者の心に知恵を授ける。彼らは、わたしがあなたに命じたすべてのものを作る。
神様にとっては、神様の幕屋の「聖霊に満ちた」、「知恵と英知と知識」を持っている賢い大工と建築家は、「わたしがあなたに命じたすべてのものを作る」建築家なのです。つまり、御言葉(設計図)通りで、主の宮の「聖霊に満ちた」建築法でした。もちろん、宝石と木の彫刻の仕方や、金や銀や青銅の凝らし方には、個人的な工夫とスタイルはありますが、神様が命じたすべてのものに付け加えたり、省いたりしてはならないということです。もし命じられたもの以外のものをしてしまったらー悪気が無く、意図していなかったとしてもー神様からご覧になれば、それは冒涜なのです。神様の聖さを汚すことです。そして、冒涜罪は死刑に至るものなのです。
この旧約聖書の原則を、パウロは新約聖書の教会建築に適応していると思います。
教会を建てる人々が目指すべき成長は、キリストの土台から外れることなく、神様が命じられたすべてのものを建てることなのです。これが、賢く、聖霊に満ちた主の宮の建て方なのです。そして、もしそのように教会を建てなかったなら、それは聖霊様への冒涜と同じだと、パウロは1コリント3:16-17に書いています。
あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。 もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。
これがパウロの一つ目の注意です。続いてパウロの二つ目の注意を見ます。
④何のために「成長」するのか?
パウロは1コリント3:12-15にこう書きます。
12 だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、 13 それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。 14 だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。 15 だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。
この聖書箇所は、個人的なクリスチャンの人生ではなく、教会建築についてです。パウロが私たちに注意しているのは、注意深く「材料」を選びなさいということです。立派でも、木造の建物は長く続きはしません。やはり、石でできている建物のほうが長くもつのです。つまり、教会の「材料」が耐久性を決めるのです。
しかし、よく読んでください。教会はどのような「火」に耐えないといけないでしょうか?激しい試練や迫害でしょうか?時代の変化でしょうか?サタンの攻撃でしょうか?そのようなものではありません。最後の日の神様の聖なる聖なる聖なる裁きの「火」に耐えないといけません。教会はそのために「成長」しないといけないのです。もしそうであれば、最後の日に備えて、最も耐火性のあるものは何でしょうか?何が「金」で、何が「藁」なのでしょうか?
私たちの礼拝出席率や聖書の知識は、さばきの日に耐えられる「金」でしょうか。私たちの口座残高。私たちの履歴。私たちがどれほど社会に貢献したか。私たちがどれほど周りの人たちに良い影響を与えたか。私たちの立派な信仰生活。私たちがどれほど神様を愛しているか。そういう事は人間の目から見ると、「金」かもしれません。しかし、これらのことは、聖なる聖なる聖なる神様の火の前では、一瞬で燃え去ってしまう「藁」です。神様の裁きの火に耐えられる唯一のものは、「イエス・キリスト」です。イエス様の御業。イエス様の義。イエス様の良い行い。イエス様の愛。イエス様が結ばれた実。
イエス様しか、最後の日の火を耐え抜く事は出来ません。そのイエス様と結ばれているからこそ、教会の成長は守られるのです。そのため、教会は、「キリストのからだ」と呼ばれるのです。
教会の成長とは、キリストにあって、体(教会)が組み合わされ、築き上げられ、主の宮へと建てられることです。父なる神の設計図(青写真)に従って、御子なるキリストの礎(土台)の上に、御霊による建設的な働きによって成長します。つまり、教会は三位一体の神の御言葉によって成長するのです。そして、イエス・キリストという土台から外れることなく、イエス・キリストに結ばれつつ、教会は成長します。もう、お気づきかと思いますが、教会は、最初から最後まで、神様の恵みによって設計されています。その恵みの神様に感謝しつつ、海浜幕張めぐみ教会を主の恵みに沿って建て続けて行きましょう。お祈りします。
