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2009.7.26 使徒の働き9:32〜43節 「タビタよ、起きなさい」

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使徒の働き9:32〜43節 「タビタよ、起きなさい」

序文)「使徒の働き」の記事はここからペテロの働きの紹介に戻ります。その上で、福音がいかに異邦人にまで広がっていったかを証言します。 ペテロの働きは「主イエス・キリストの名」によって実行されます。ルダにおけるアイネヤの癒しと、ヨッパに住むタビタを死からよみがえらせる奇跡が記されています。

主イエス様が、わたしたちを通して何をすることができるか、その結果、何が起こったかに心の焦点を絞ってみことばに聴きましょう。

Ⅰ アイネヤの癒し

使徒ペテロはあらゆる所を巡回して伝道をしていました。福音を伝える所の広がりはすばらしく、そこここに、聖徒の群れが生まれていました。ペテロは彼らを指導してまわらなければなりませんでした。その一つにルダという町がありました。そこはエルサレムから北西40㎞ほどの所にある古い町でした。クリスチャンたちがすでにいました。聖徒たちは、それ以前にやってきた伝道者ピリポの働きの実であったとかんがえられます。

このルダに八年間も中風で床についたままの男性がいました。アイネヤといいました。ペテロは彼を訪れて「アイネヤ。イエス・キリストがあなたを癒してくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」といって彼を癒しました。彼はペテロのことばを聞いてすぐに立ち上がりました。イエス・キリストがあなたを癒してくださるのです。旧約聖書の預言の中に「主はあなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたをいのちの穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ」(詩篇103篇3〜4節)と救い主がしてくださる働きの約束かかれています。

私たちはたいてい自分が病気のときとか、兄弟姉妹が病気の時に、自分に何ができるかと考えます。そして薬を買ってきたり、医者にかっかったり、お見舞いに行ったり、相談にのったりします。あれこれすぐにしようとします。私たちの主であるイエス様が、事柄の中で、私たちを通して何を為さろうとしておられるのか、と考える事が少ないのです。ですからもっとイエス・キリスト様に働いていただくために、機会と心を用いましょう。丁度今、一同で、田鎭長老のために祈り、主が栄光を表してくださいますようにとひたすら祈っているようにです。

主イエス様は、究極的には罪の深みにある、わたしたちのためにご自分のいのちを差し出して、十字架の上に死に、葬られ、三日目によみがえられました。一見して、死に対して敗北したかのように見えましたが、よみがえられて実際は最大級の勝利を収められました。

やまいと癒しは、すぐに癒されようと、そのままで終わろうと、最終的には「恵みとあわれみとの冠をかぶらせて」くださるのです。要するに、主イエス様は、私たち信じる者たちをどのように用いて、栄光につながるように働かれるかということなのです。

私たちが病のために何ができるか?ではなくて、主イエス様はこの病を通して何をなさるおつもりなのか?ということが大切なのではないでしょうか。そのように祈り始めるならば、神は栄光をあらわし、私たちを喜ばせてくださるのではないでしょうか。

病により、悪魔が自分に付け入って働く機会とさせることなく、心の中で罪深い思いで恨みを込めて神を見ることのないように、「主イエスがあなたを癒してくださるのです。」という信仰の視点をこそ養いましょう。

さらに大切なことは、アイネヤは「立ち上がり、自分で床を整え」なければなりませんでした。病人生活が長いと、癒された所に従って自分ができることは自分ですると言うことがおろそかになりがちです。今まで、中風で、手も足も自由に動かすことができなかった。床を整えるのは、いつでも看護してくださっている人がしてくれていた。しかし、今からは、自分でしなさい。このことは心の健全化のために大切な原則です。ついつい病気の時のままというのは心の不健康を助長してしまうのです。ルダとサロンに住む人々は、みな、アイネヤを見て、主に立ち返った。このような栄光を主の名は表しました。ハレルヤ。

Ⅱ タビタよみがえる

次に、ペテロはヨッパから来た、二人の使者に伴われて、タビタの家にまいりました。彼女は死んで、その遺体が屋上の間に安置してありました。彼女はクリスチャンでした。ギリシャ名でドルカス(かもしか)。ヨッパではドルカスで通っていました。彼女は、多くの良いわざと施しをしていました。貧しい者たちのために、得意の針仕事をとおして、下着や上着やの数々を作成し積極的に奉仕し、施していました。エルサレムでは貧しい人々に食べ物を施す事が教会のわざとしておこなわれていましたが、ここでは、タビタが個人として、衣類などの贈り物を続けていた事が記されています。

タビタは自分の針仕事という賜物を生かして積極的な人生を主イエス様にあって送っていました。このような働きの先駆者となりました。主イエス様はかつて「私が裸であったときに、あなたがたは着せなかった」と言われましたが、タビタはこのことばを伝え聞いて奮い立ったのではないでしょうか。イエス様の愛のわざは実行されていました。その担い手タビタが死んだのです。急病であろうと思われます。

彼女が死んだとき、弟子たちや、やもめたちがタビタを取り囲んでいました。この出来事の記録のなかに、家族が誰も登場しません。タビタは独り身で生活していたのではないかと考えられます。彼女自身が、やもめだったかもしれません。愛は愛を呼び、悲しみと嘆きは、主イエス様にとどきました。ペテロはそれらのすべてを汲み取ることができました。タビタの死は、弟子たちがさらに神様を見上げる機会となり、ペテロを招き到着を待ちました。何を期待したかは定かではありません。しかし、神のことばであれ、ペテロを通してであれ、神様が何か働かれる事を願ったのではないでしょうか。彼らはタビタの死に際して主イエス様を見上げたのでした。

ペテロは、皆を外に出し、ひざまずいて祈りました。彼は、かつて主イエス様が会堂司ヤイロの12才の娘さんが死んだ時に、これをよみがえらせられたとき、その現場にいました。そのとき目撃したことを思い出しつつ、そっくり同じ行動をしました。ただ主イエス様と違うことは、ペテロは神様に祈らなければなりませんでした。それから、遺体のタビタに向かって言いました。「タビタよ、起きなさい。」すると彼女は目を開け、ペテロを見て起きあがりました。ブルースという学者がこの所を次のように解説しています。イエスがヤイロの娘をよみがえらせたときに言われたことば「タリタ クミ」とは、一字だけ違う「タビタ クミ」とペテロが言ったのだ。アラマイク語でかたりかけたとすれば、まさにそのとおりです。皆の者はその結果、タビタがよみがえったことに大変驚きました。

ヨッパ中にこのことが知れ渡りました。そして多くの人々が主イエス様を信じました。アイネヤの時と同じように、結果は主イエスを信じる者が多く起こされたのでした。

主イエス様から離れていた者たちが、この奇跡を伴った証言を聞き、見て、信仰を得ました。

そのような奇跡による証言は初代教会に特徴的でありました。しかし、主イエスさまが、間違いない救い主であることが証明されて、神様の啓示が新約聖書として完結してからは、このような華々しい奇跡は、影を潜め、神は宣べ伝えられるみことばを用いて福音の宣教を推し進められました。集中しておこなわれることはなく、散発的に今も主は必要とお考えのときに即座に癒しをなさいます。今日でもそうです。

結び)主イエス・キリスト様が救い主であり、いのちも死も支配しておられるという証言は、ここに明白であります。私たちは、復活の主イエスのいのちに溢れているのを知ることにより、この世でも、死の後の世界・天国でも、同じ主イエス様を仰ぎ、仕え続けるのです。

ペテロの宣教は、このようにしてさらに広がりをもち、主イエス様をさらに鮮やかに証言して前進しました。

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