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2009年12月20日 クリスマス礼拝 説教 マタイ2:9-12 「黄金・乳香・没薬をささげ」

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2009年12月20日 クリスマス礼拝 説教 マタイ2:9-12

「黄金・乳香・没薬をささげ」

序文)福音書の記者マタイは、同胞であるユダヤ人のために、旧約聖書に預言されているメシヤが、ナザレのイエスとして神から遣わされたことを論証しようとしました。そしてメシヤの誕生に際して、彼を喜び祝い受け入れたのはユダヤ人たちではなく、東方からの博士たちで、異邦人であったこと、しかも彼らがメシヤにふさわしい贈り物を幼子キリストにささげたことを書き記しました。本来ならば、深い喜びと感謝と賛美を込めて迎え入れなければならないユダヤ人たちは、ヘロデ王を初めとして恐れ、戸惑い、メシヤ殺害の計画を練って実行に移したのでした。

博士たちが示した信仰の告白は、彼らがささげた贈り物の内に見事に表されています。わたしたちの信仰の告白を彼らの心にあわせてクリスマスの祝いとして、主にささげましょう。

Ⅰ 幼子へのささげもの

1 黄金をささげた。東方の博士たちは黄金を幼子にささげました。黄金は聖書の中に最も多く出てくる金属であり、当時、産出量も少なく、産出地はオフィル、シェバ、アラビアであった。黄金は富と栄誉の象徴であり、金よりも尊い永遠の宝の表現に用いられ、王者の栄誉を示した。アブラハムをはじめ族長が貯めていたし、ソロモンの神殿、宮殿の建築には多量の金を使用した。古代オリエント地方においてばかりでなく、エジプトやギリシャ文明に置いて、インド、中国の文明でも黄金は常に最も尊い者を代表する金属として用いられた。

東方の博士たちは幼子イエス・キリストに対して黄金をまずささげました。それによって、この幼子に王者の栄誉を帰したことを表し、永遠に関わる何者かであることを告白したのです。東方の博士たちがどのようにして、彼が王であることを信じたのか。その理由は2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。わたしたちは東のほうでそのかたの星を見たので拝みにまいりました。」と述べていて「星」によるしるしを得たとだけ書いてあります。異邦人であった東方の博士たちを天の神がメシヤのもとに導かれようとして「星」による啓示を与えられた。彼らは幼子を王として認め、王として処遇したのです。

2 乳香をささげた。乳香は、かんらん科の植物の樹脂で、幹を傷つけると乳白色の樹脂がにじみでてくる。その形が乳頭に似ているところから、乳香の名がつけられた。種類は色々ある。古代エジプトでは神にささげる薫香として使われ、王様だけしか使うことが許されなかった聖なるものでした。このエジプトの習慣が、出エジプトと共にユダヤ人に伝わり、神にささげる薫香として用いられるようになったのです。作り方は出エジプト30:34-45「主はモーセに仰せられた。あなたは香料、すなわち、ナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香、これらの香料と純粋な乳香を取れ。これはおのおの同じ量でなければならない。これをもって香を、調合法にしたがって、香ばしい聖なる純粋な香油を作る。」とあります。

乳香の煙は神を礼拝する人々と神を結ぶもので、それは神のもの、神に通じるものと考えられた。乳香は神の前に最も聖なる者であることのあかしでありました。また、感謝の献げ物、神への賛美を表す穀物の献げ物の一部分として香ばしい香りを添えるものとして用いられました。

幼子の全存在は、神の前に最も聖なるものであり、それは香ばしい香りとして、神が喜んで受けてくださる供え物としての全生涯であることを暗示しています。レビ記2:1-2「人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え、それを祭司であるアロンの子らのところに持って行きなさい。祭司はこの中から、ひとつかみの小麦粉と、油と、その乳香全部を取り出し、それを記念の部分として、祭壇の上で焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」5:11-12。これらの聖句で分かることは「罪のためのいけにえ」には乳香を添えたりしてはいけない。乳香を添えるのは穀物の献げ物の時だけである。それで貧しい人が罪のためのいけにえが献げられないで穀物で代行したときは、乳香を添えてはいけなかったのです。

乳香は神の前での聖さを象徴していることが、はっきりと分かる。生まれた幼子イエスは罪のない方である。成人されてなおそうであった。罪なき方としての誕生は、ルカ福音書では、聖霊によってみごもられたことを強調して示されているが、マタイは乳香が献げられたことによって示したのです。キリストは永遠の王であり、聖い方であることがここに教えられているのです。

3 没薬をささげた。東方の博士たちは没薬をささげました。「没薬はかんらん科に属する植物の樹脂からとられる。古代エジプトではミイラつくりのためになくてならないものであった。そしてミイラ作りには乳香は除外された。」出エジプト30:23-25「あなたは、最上の香料を取れ。液体の没薬五百シェケル、かおりの強い肉桂をその半分-二百五十シェケル-、におい菖蒲二百五十シェケル、桂枝を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油一ヒン。あなたはこれらをもって聖なるそそぎの油を、調合法にしたがって、混ぜ合わせの香油を作る。これが聖なるそそぎの油となる。」

没薬は強い殺菌力と芳香を有し、これを他の香料と一緒に混ぜてオリーブ油に溶かした香油や動物脂に溶かした香膏が古代エジプト時代からソロモン時代を経て、祭司や貴婦人たちの化粧品や皮膚薬として用いた。これは死体にも塗られた。

主イエス・キリストの死に際して、葬りに先立ちアリマタヤのヨセフとニコデモは没薬とアロエを混ぜ合わせた物をみ体に塗り亜麻布で巻きました。ヨハネ19:39-40「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来たそこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。」

幼子イエスに没薬が献げられたことは、彼の死と葬りを示しています。永遠の王であり、聖い罪のない方が、罪の結果である死を経験し、葬られることが表されています。罪のない方が、わたしたちの罪の身代わりとなって、罪を負い十字架に死に贖いのわざを成し遂げる。そのようにしてメシヤであることを全うする。このことが献げ物により示されたのです。

あなたの子供が産まれたときに、お祝いの贈り物の中に、死体に塗ったり、ミイラに用いるこのような香料が含まれていたら、どう思われますか。不快な気持ちになり、何か恨みでもあるのかとなりましょう。しかし、この幼子に関しては、それがまさに神様が供えられた贈り物であったのでした。 イエス・キリストは預言者イザヤ(53:4-5)によれば「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」方でした。このことが没薬によって示されたのです。

東方の博士たちは異邦人の代表としてメシヤ幼子イエスを王として聖なる方として、しかし、わたしたちのために死に葬られる方として認め、信仰をあらわしたのです。

Ⅱ わたしたちは何を献げることが出来るでしょうか。

いま、救い主はすでに十字架の上で救いを成し遂げてくださったのですから、東方の博士たちと違った観点で、わたしたちは救い主イエス・キリスト様に没薬・乳香・黄金をささげましょう。このお方への自分の信仰を告白して心の中に迎え入れることです。

1 第一に没薬です。これは自分が罪に対して死んだことを表します。わたしはキリストとともに十字架に死にました。キリストとともに葬られました。霊的にキリストと一つとなって古い生まれながらの自分は死んだ。罪人のわたしはキリストが十字架に死んでくださったときに、背負われて一緒に死んだ。このことを信じます。どうぞ今、キリストにあって神の子としてお受け入れくださいと祈りましょう。ガラテヤ2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

2 第二は乳香です。わたしたちは汚れています。キリストの聖さに比べることは出来ません。キリストがきよめてくださったので、聖化される道を歩んでいます。そして主に従う道で、神にささげる供え物、よきわざ、わたしたち自身は、こおばしい香りの献げ物となります。ロマ12:1「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ピリピ4:18「私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。」

そのような歩みは、人々に対してキリストの香りとなるのです。Ⅱコリント2:15-16「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。」

 

3 第三に黄金です。これは「わたしたちの主・王はイエス・キリスト」であることを告白することです。キリストがわたしにふさわしい生涯を支配することを認めることです。もっともっと成長してキリストにふさわしい栄誉と奉仕を献げることが出来るようにと告白して行くのです。

黙示録4:10-11

結び)わたしたちは栄光の王・キリストに、この信仰をささげてこそ、真の喜び、賛美のみちの歩みをすすめることができるのでしょう。

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