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2010年4月25日 使徒の働き17章22~43節 「アテネのパウロ」第二話 「知られない神に」

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2010年4月25日 使徒の働き17章22~43節

聖書の話 「アテネのパウロ」第二話 「知られない神に」

序文)前回は、ギリシャのアテネで待ち合わせのために滞在したパウロが、おびただしい偶像のあるのを見て、心に憤りを感じたことを学びました。今朝はそのつづきです。学芸と政治と文化都市アテネに、偶像が満ち満ちており、数々の祭壇とともに「知られない神」と書かれた祭壇があるのをパウロは見つけました。これは、篤い宗教心にもかかわらず、アテネ人が、現実にはとても迷信的で、心の中にぽっかりと空いた空虚さに、まだ知られない神がいるのではないかと恐れて造った祭壇だったのでしょう。パウロはアレオパゴスで聴衆に呼びかけます。宗教心に篤いと、これは軽蔑しているのではなく、これから話す事柄を聞いてもらうためのきっかけを造るために聴衆の関心を引こうとしているので、良い意味でほめている言葉なのです。あなた方の「知られない神を」私は知っているので、紹介したい。まことの神は知られないのではなくて、良く知りうるのであると、パウロは主イエスの福音を伝えます。彼の説教、聴衆の反応、信じた人々について順次考えてみましょう。

Ⅰ パウロの説教 24~31節

1 神は天地の主です。24~25節。全世界とその中にあるすべてのものの創造者です。神は人に造りだされたお方ではなく、人の造り主です。人が造ったのではないから、人の造った宮などにはお住みにならない。ストア派の汎神論にたいして、はっきりと、創造者の存在を語りかけています。

2 人は神の被造物です26~27節。人が神に何かを供給して支えるのではない。偶像にたいして人々は何かを、供え、宮を立て、祭壇を築いて、水や食べ物や線香あげなくてはならないと考えているが、そうではない。神が人にいのちを与え、それがながらえるため息をさせ、存在と生活の一切を与えるために万物を用意してくださった方なのです。

3 神と人の間に特別な関係があります28~29節。神は人をどのように創造したかをいえば、一人のひとからはじめて、すべての国々の人々を創造した。そして地の全面に住まわせられた。その上、神は歴史を支配し、摂理し、時代の区分と境界を定めておられる。諸民族の興亡、盛衰は摂理により神の支配されるところである。それは、「神を求めさせるためであり、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。」どの時代の人であろうとも、いつでもどこででも、神は見いだすことができる。知られないということはない。ただ人の罪は弁解の余地がないほどに神を知ることができるにもかかわらず、神を知ろうとしたがらないままに無知に陥っている。[ローマ1:19~20.]

結論、30~31節。神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。神のお立てになったひとりの人とは、主イエス・キリスト様のことです。彼は最後の心配において義をもってさばきをします。さばきがくることの確実さは、この方が死からよみがえったからです。まちがいなくさばくことができます。

 

Ⅱ 聴衆の反応

1 ある者たちはあざ笑った。新約聖書の中で、この「箇所にだけ出てくる語が使われている。「あざける、ばかにする、軽蔑する」。パウロのキリストの肉体をもって復活したとする説は、全くばからしい説である。「人が血を流して死ぬと、再びよみがえることはあり得ない。」と彼らの中の詩人が言っている。当時も現代でも、そのように考える人々がいる。この種類の人々は、主イエス・キリストの福音を聞いた人々で、彼の死と復活について信じられない人々の反応である。自分の無知さ加減をあざわらうことで示しています。ギリシャ人たちは魂の復活はある程度あるとおもっていましたが、肉体の復活は無いとしていました。

2 ほかの者たちは、このことについては、またいつか聞くことにしよう、といった。まだ少しはおだやかな反応をしめしている。二つの理解の仕方があります。日本人的感覚ですと、これは説教者や、宣教師、クリスチャンたちのあかしを軽くいなして、この辺で話しを終わってもらいたいという意志を示すことに良く使う言い方です。「またいつか」ようするにもう聞かないのです。さばきのことにパウロが言及したので、これは自分にとって具合のわるいことを聞くので、これ以上聞きたくない。もう一つは、実際に後で時間を取って聞いたと考えます。その場合は裁判官デオヌシオ、ダマリスという女性が「付き従って」信じるに至ったと説明するのです。私はこれは軽くいなしたのではないか、と考えます。

 Ⅲ 信じた人々 ほんの数人がいた

 しかし、パウロに付き従って、信仰に入った人たちも二名いた。宣教の聖霊さまは、福音が伝えられるところで、みことばを用いて救いに入る人を起こされる。彼らの名前だけが書かれていることは、ルカがアテネ伝道の成果の少なさにおどろいて、たったの二名!というほどの感慨があると理解します。アレオパゴスの裁判官デオヌシオ。パウロが説教をした会場の裁判官が信仰にはいった。ダマリスという女性。その他の人々であった。その他とは、信仰がはっきりとはしていないが、あざわらったり、いなしたりしなかった者たちであるが、名前のあげられた二名ほどの確かな立場を、鮮明にしたのではない人々であろう。彼らが、他の町のクリスチャンたちのように直ちにあかしをしたり、家族に伝道したりせず、群れを形成したりしなかった。アテネにはクリスチャンの群れはできなかった。使徒時代に、ずーっとそこに教会は存在しなかった。この意味では、至る所に教会を立ててきたパウロの宣教は失敗だったといわれている。これ以後、二度とアテネには彼は来なかった。パウロはアカヤ州の伝道で、「初穂」として名前を挙げているのはコリント教会の「ステパナの家族」であると記している。アテネはアカヤ州なのですが、アテネの次に行ったコリントのことに関心があついのです。パウロはがっかりしていた可能性もあるなと、わたしは思ったりします。本当ならアカヤ州の初穂は、デオヌシオだとおもうからです。

 パウロはアテネでの伝道方法、説教の仕方に、反省をしたのではないか。それは、次に行ったコリントの町では、同じ異邦人世界ですが、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力です。」コリント第一1:18「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」1:22といっているからです。

結び)いずれにしても、私たちは異邦人世界に住んでいるのですから、どのようにイエス・キリストの十字架と復活の福音を伝えるか、パウロのようにいろいろと工夫し、試し、効果ある説得をするために、励む必要があります。宣教の聖霊は、伝えられるみことばを用いて救いのために働かれるからです。

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