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2010年6月6日「海浜幕張めぐみ教会」が「大切にしていること」

2010年6月6日 セルリーダー研修会 廣橋 嘉信 牧師 千葉市美浜区打瀬3-4-20-105   2010年6月6日 セルリーダー研修会 「海浜幕張めぐみ教会」が「大切にしていること」解説 (Our Core Values)  序文)このたび教会設立ニュースレター特別号と、ホームペイジの教会案内に掲載しました内容を、説明します。いままでリーダー研修会で扱った部分と、新しい部分が入り交じっていますが、教会開拓をしている基本的な考えや、方針を説明しています。  1 開拓者たちに与えられた、神様からの約束のみことばは、イザヤ書43 章19〜21節です。「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。わたしのために造ったこの民は、私の栄誉を宣べ伝えよう。」  2 海浜幕張めぐみ教会は、日本長老教会 の第一種地区教会として2010年5月30日、設立されました。これは、ベイタウン開拓の当初から与えられていたビジョン実現への初めのゴールであるとともに、次のステップに踏み出した事を意味します。  1999年7月14日開始祈祷会と第一回開設準備委員会を開催しました。そのときラフなビジョンを描いておりました。それは次の通りでした。「海浜幕張めぐみ教会は、聖書の神の栄光をあらわし、永遠に喜ぶために存在している。その召しは、永遠に変わることのない みことばに立ち、イエス・キリストの福音の力を用いて、常に新しいものを追い求めつづける傾向にある地域社会の霊的必要を満たすことである。さらに、すべての愛とめぐみの源である神によって、未来型複合都市幕張新都心さらには東関東、世界に住む人々の生涯を変革することである。また、教会が主の復活のいのちに歩み、助け主聖霊の励ましを受けつづけて、クリスチャンを霊的に成熟させることである。さらに、相互の信頼と愛を深め、安心感を育て、感謝と喜びに溢れた群を創造することである。このような群は、さらに多くの群を生み出してゆく。」  3 このビジョン実現のための強調点(Our Core Values)は A「聖書の神中心の礼拝」B「神中心の伝道」C「改革主義神学」D「神中心の弟子生活」F「キリストに似る者となる」G「セルグループによる教会形成」H「その結果としての礼拝所(家の教会)の増殖」E「神中心の社会更新」でした。(注この順番で説明します。)  A「聖書の神中心の礼拝」  私たちの存在と教会と世界は、聖書の神が永遠から聖定し、創造と摂理をもって実現し続けておられます。神はすべてに対して支配権と所有権をもっておられます。私たち自身が、自分自身に関わる一切を、聖書の神からと受け止めるときに、おのずと御前にひれ伏し(礼拝)ローマ12:1〜2にあるように、日常の全存在をささげて思いと言葉と行いにおいて、生活が礼拝であると自覚してまいります。そのような者への聖書の神様の真実な約束は「恵みをほどこして千代におよぶ」という喜びです。  あらゆる偶像崇拝(悪霊崇拝)と決別し、真実な神を礼拝していることが、神の栄光を表しているのです。神中心の礼拝は、前提として神の絶対的な権威を認めることでもあります。聖書の神様は、私たちのすべての領域で絶対権威をお持ちなのです。それは神第一の生活態度となります。おおくの場合自分第一、家族第二、・・・終わりの方で神様という優先順位を取ってしまいますが、それは、自分の権威をこころで主張しているからなのです。しかし、人生において最後に登場して裁きを行われるのは、神様である事を軽くみてはいけません。最初であり、最後であるお方を救い主と仰いでいることを受け入れる事が神中心の生き方になります。  B「神中心の伝道」  1 伝道を始められたのは、神様です。聖書の神は、人間アダムが罪を犯したとき、すぐに、彼を捜して、「どこにいるのか」と問われました。罪に堕落したアダムに、創世記3:15と言われ、原福音を伝えてくださったのは、神様です。それ以来、人を救う神の恵みは、歴史の中に表され、その計画とビィジョンにも基づいて、着々と伝道の供えと実施を続けてこられたのは、神様です。時が至ったって、御子キリストを世に遣わされ、約束のメシアの働きを全うさせてくださいました。それだけではなく、信じる者を旧約時代から新約時代も、そして今もなお、おこし続け、宣教の聖霊によって有効召命を与え、ご自身の永遠の選びを確かなものとされています。主イエス・キリスト様は、完全に贖いを成し遂げられて、元おられた天に帰られるにあたって、弟子たちに福音宣教を命じ、助けぬし聖霊を降される事を約束し、み父とともにそのとおりなさいました。伝道をするのは、弟子たちです。私たち信じている者たちですが、救われるのは神様です。聖霊のお働きなのです。強調点は、信じる私たちにあるのではなく、救おうとされる神のご計画の実現にあるのです。教会の伝道のわざのすべては、神から、神中心に展開されるという確信を持って取り組んでいるのです。私たちは失敗しますが、神は決して救おうと選ばれている人々を見過ごされる事はありません。必ずその人の生涯のどこかで、魂をとらえ、み言葉と聖霊の内的なお働きによって改心を与え、信じる心を導き悔い改めさせて、救われるのです。ですから、私たちは、「この町には多くの選びの民がいる」というお言葉を信じて熱心に伝道を続けます。  2 神様が伝道に際して一番焦点を合わせて大切になさったのは、「十字架のキリスト」です。原福音においてそれは既に暗示されていました。十字架のキリストの流された血潮と裂かれたからだは、私たちが本来そうなるはずの身代わりでありましたし、それ意外に救いの道はなかったという、唯一の方法だったのです。永遠に通用する救いの道だったのです。それを準備なさり、実行されたのは神です。  3 神の伝道対象は、広い世界すべてです。主の十字架が勝ち取られた勝利は、全世界にたいしてです。あの時、悪魔は大敗北を喫したのです。世界を悪の支配下においていたすべての企ては究極において敗北したのです。福音は全世界に伝えられなければなりません。それは勝利の福音であって、勝つか負けるかわからないようなものではないのです。罪の責めは消し去られました。すべての信者は神の子としての身分をうけました。聖霊は神の民である教会にいのちと聖めを与え続けられています。神は小さな箱庭の教会を立てようとしておられるのではなく、天の御国を立てようとしておられるのです。福音は偉大であって、主イエスの前に、誰一人として中立であることはできません。福音は一般的に提供されなければなりません。特殊ではないのです。十字架はすべて全世界の人々に提供されているのです。それは、神の啓示されたお心なのです。神が秘めておられるおこころに従って伝道をするのではありません。それは私たちに知り得ないのです。分かっていることは、全世界に伝道することです。その時、神は救いの永遠から選ばれている人々を確実に救われるのです。「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:17)。「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(第一テモテ2:4)。神はご自分が愛する人類の滅びる事を願われないのです。  4 神中心の伝道は、伝道における神の大胆さを見習います。神が始められた伝道のわざは、それを担う者にあかしの力を増し加え、恐れを閉め出し、伝道への誤解を取り除きます。主イエス・キリストを信じたときに、私たちは神の子とされました。新しく生まれ変わったのです。罪が清められ、とがめから解放されたのです。聖霊が私たちのうちに住んでおられるのです。あかしの御霊は、私たちのうちに既に住んでおられるのです。イエスの血はすべての罪から私たちを清めるのです。それをあかしするのが伝道です。祈るとき、聖霊は大胆さという賜物をくださいます。神中心の伝道の大胆さは、悔い改めと確信と対決をともないます。救いの確信を持っているあかし人は、自分が罪の深みから悔い改めて救われたことを知っている人です。罪の悲しみを経験した人です。激しく悔い改めた人ほど、大胆に福音を語ります。パウロしかり、ペテロしかりです。あなたも然りでしょうか?ならば、大胆に十字架をあかしできます。聖霊が罪の悲しみを悟らせ、悲惨さを知らせるように働かれるからです。  確信は大胆さをあたえます。疑いつつ、まよいつつ、自信なさげにあかしして人が信じるように説得されるでしょうか。中途半端な信じ方で、中途半端なあかしをして、相手の人は信じないのです。心から悔い改めた者に神が与えてくださる確信は、伝えている相手に伝わります。  福音のメッセージに相手を対決させます。主イエス・キリストは全宇宙の主です。主権者です。十字架は敗北の死ではなかったのです。勝利の十字架だったのです。わすれてはなりません。伝えている十字架の救いは勝利のメッセージなのですよ。「語るべきときに、大胆に語れるように祈ってほしい」(エペソ6:20)とパウロは要請しました。  5 ですから、伝道にさいして、私たちは宣教の神様に、まず祈り求めます。途中でもいのります。救われる決断を人がするときも祈ります。それからの成長についても祈ります。神が始められ、神が推進され、神が刈り取られるのです。栄光が神にありますように。 C「改革主義神学」  1 私たちの信仰の内容は、救い主イエス・キリストが弟子たちに与え、教え、伝え るように示された、聖書的福音であります。それは歴史的には使徒によって伝えられ、 宗教改革時代に再発掘されて、発展した信仰内容で、「改革主義」信仰といわれている。 その特徴は、第一に「聖書のみ」ということばに示されているように、全て教えであれ、 実践であれ、訓練であれ、旧新約聖書に立脚して証明されることのみを信じ、教え、実行 することにあります。第二は「恵みのみ」ということばに示されるように、人が救われる のは、ただ神の一方的な恵みにのみよるのであって、人は信じるだけで救われる=「信仰義 認」、人間のいかなる善行という功績によるのでもなければ、律法を守ることによるので もない=「行為義認」ということにある。そして信仰の全体を統一している根本的な姿勢 は「神の絶対主権」を認めて、神のもとに人はへりくだることにあるのです。  私たち日本長老教会は、このような改革主義の信仰内容を最も見事に論理的に集大成している信仰基準として、「ウェストミンスター信仰基準一すなわち信仰告白、大教理問答、小教理問答」を教会で採用して、聖書という土台の上に立ちつつ、これらの基準に則って信仰生活を進めております。  2 マタイ16:15−18 信仰告白の大切さ  イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン。 ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」するとイエスは、 彼に答えて言われた。「バルヨナ。シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明ら かに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言いま す。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門も それには打ち勝てません。」  教会はキリストのからだです。主イエス。キリスト様がかしらです。それぞれはからだ の部分です。中心に主イエス様の復活のいのちがながれています。それぞれが何を信じて いるかについて、教会の一人一人は信じている内容を告白します。「あなたは生ける神の御子キリストです。」というようにです。それでは勝手に自分の思い思いのままに告白するのかというとそうではありません。神の生きたみことばである聖書を信仰と生活の唯一の基準としていますので、聖書に教えられている信仰内容をより正しく告白するように務めます。歴史的に教会は初代から聖書に啓示されている真理をまとめて告白してきまし た。  信仰の告白は、キリストの教会の要になり、いつでもそこから出て、そこに帰ってくる のです。そうしないとキリストの教会でなくなります。聖書に啓示されていないことがら を教会員が信仰として告白したり、生活したりし始めると教会は教会でなくなるからです。それで、歴史的教会は、先人が聖書から発見した真理を大切にして、文書にまとめ、受け継いできました。それも断片的にではなく、体系的に受け継いできました。内容的には、聖書そのものではありませんが、聖書に啓示されている真理を、みことばの裏付けのもとに、まとめていますし。歴史的に誤りの教えが起こって教会を破壊してきた事柄については、それらが誤りであることをも告白しています。  それで、地域教会を設立するときは、どのような信仰告白をするかについて明確にし て、その旗印のもとに教会形成をするのです。信仰問答書(私たちの場合はウェストミンスター大。小数理問答)は、対話形式によって信仰告白の内容を教えるために造られました。主要な役割は受洗準備の者に信仰を教えるためです。また、受洗後の信仰生活を指導するため、さらに牧師や教師の指針としても役立てるため、礼拝などでも用います。教会の信仰を育てるために基本的な役割を果たします。  そういうわけですから、是非、皆様に大。小教理問答を読んでいただきたいのです。特 に大教理問答は生活面でも詳しい指針が信仰内容に即して示されています。  D「神中心の弟子生活」  主イエス・キリストを信じて、神の子とされている、わたしたちは、全生活が主である神を中心に展開しています。弟子となることは、主の命令であります。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によって洗礼を授け、また、わたしが、あなた方に命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:19〜20)   1 主イエス様による模範  「伝道のマスター・プラン」(いのちのことば社油井義昭訳)の中で、著者ロバート・E・コールマンは次のようなことを言っています。「主の計画を熟考すれば、基本的理念が教会のそれとあまりにも異なっているので、その意味あいは全く革命的であるといえる。・・・イエスの関心は、群衆にふさわしいプログラムにではなく、群衆が従おうとする人々にあった。・・・これらの人々は、世を神に獲得するイエスの方法になるはずであった。・・・イエスの計画の最初の目標は、イエスの生涯をあかしし、ご自分が御父のもとに戻られた後に、その働きを続けることができる者たちを募ることであった。」  開拓伝道者達は、福音の宣教に携わる時、イエスに似る者となることが大切である。教会の将来の働きのために重荷を持ち、大きな責任を担って行く人々と共に過ごす時間が、何よりもまず第一に大切だということを念頭に置かなくてはならない。リーダーシップ成長の哲学を発展させ行くための良いモデルの一つは、イエスが12人の弟子を訓練したというところに示されている。教会開拓伝道者たちは、これから述べることがらが、教会の様々な成長段階における原理だということを覚えておく必要がある。 ① 選択(人間が主の方法であった。)  イエスが大変真剣に訓練すべき人々を選んだように、開拓伝道者も人を選ぶに当たってそうすべきです。忠実で、役に立ち、教えられやすい人たちを探すのです。真実な心から「イエス・キリストにあって成長したい」と願う人たちを探すのです。そのような人たちにリーダーシップ訓練を受けるように呼びかけるとき、開拓伝道者はイエスの模範に習い、イエスに従うに当たって支払う代価についてはっきり説明する必要がある。また、リーダーシップ訓練に参加する人々が、互いへの義務や責任を果たす強い覚悟を持って訓練されることを望むように励まして行くことが大切である。  ② 親交(イエスは弟子達と共にとどまられた)   イエスが弟子達の人生に深く関わりを持たれるように、開拓伝道者は訓練しようと思う人々との関わりを深める日々を実践しなければならない。開拓伝道者にとって大切なことは教会での事務的な時間以外に、訓練を受けるリーダー達と過ごす時間をもうけることである。毎週定期的に昼食を共に取るプランを作ったり、家族がある人であれば、家族同士で一緒に食事をしたり、リーダー訓練修養会を実施したりする事がその一例である。開拓伝道者にとって、リーダーの働く職場を訪ねることも大切な時間の一つである。リーダー達の仕事、ゴール、抱負、そして生活する中での大きな誘惑について尋ねることも、彼らのことをよりよく理解するために大切である。また、彼らにとって良い聞き手となることも開拓伝道者の大切な役目である。  ③ 献身(主は従順を望まれる)  イエスは弟子達に従順な態度を持つように望まれた。従順な態度を、身に付けるために一番大切な方法は、開拓伝道者達がリーダーたちのために、またリーダー達と共に祈るということである。彼らと祈る時を持てば持つほど彼らの本当の必要がわかるからである。将来、教会のリーダーとなる人たちのために祈る時間を特別にもうけることは、リーダーシップが成長するために、欠かすことができない重要なことである。    ④ 分与(イエスはご自身を与えられた)   イエスは弟子達を訓練するに当たり、クリスチャン生活における霊の真実を伝えることによって、ご自身を彼らにお与えになった。これに習い、開拓伝道者もリーダー達がクリスチャン生活を生きていく中で基礎となる様様なことについて教えなくてはならない。日々みことばを読み祈ること、個人的に、また家族や他の人々と共に神を賛美する時をもうけること、教会の中で彼らの霊的賜物が何であるかを見極め、成長させて行くことなどがその基礎である。    ⑤ 模範(主は弟子達に如何に生きるべきかを示された)   イエスが弟子達の人生に、永続する偉大な影響を与えたのは、教えられたことを自身で実行されたからである。これは当時、他の指導者の生涯に決してみられないことであった。忠実なリーダーを育てる上で、大きな影響となるものは、牧者自らの神に従って歩む毎日の生活である。牧者たちの毎日の生活の中に、イエス・キリストに従う態度を見ることこそ、明白で力強いメッセージはないのである。  ⑥ 派遣(イエスは弟子達に働きを指定された)   イエスは弟子達に重要な働きをまかせることによって、彼のチームを育てられた。イエスの模範に習い、開拓者達が決して忘れてはならないことは、自分一人ではなく、他の人が福音の働きに与るときにもたらされる大きな力である。中国に「教えてください-忘れますから、見せてください-覚えますから、やらせてください-納得しますから。」ということわざがあります。一人一人が少なくとも一つ重要な責任を任せられるべきである。このような大切な働きを任せることが、リーダーたちの霊的な成長に大きな影響を与えるのである。  ⑦ 監督(イエスは弟子達の真偽を確かめられた)   イエスは弟子達の仕事の後、彼らの働きの報告を聞き分かち合うことを常にされた。このことからも分かるように、奉仕の仕事の後の適切な監督をフローアップの大切さが分かる。適切な監督なしでは、時に仕事が終わらないことがある。リーダー達に仕事を任せたままにしておかず、仕事がきちんと終わるまで、その課程を監督しなくてはならない。仕事が遂行されていないのは、任された人たちが忠実であったかなかったかの問題ではなく、仕事を任せた指導者の監督が行き届いていなかったことが影響しているからである。    ⑧ 結果(イエスは弟子達が実を結ぶことを期待された)   イエスはご自身のビィジョンを弟子達に与えられた。イエスは弟子達が彼らよりも大きな何かの一部になったかのような気持ちにさせた。イエスは弟子達に、彼らの人生が他の人たちに影響を及ぼし、実を結び、さらには世界中あらゆるところで多くの弟子が増えて行くことを期待された。これに習い、世界に向けてキリストのため代々限りなく続く影響力を保つために、リーダーたちがまわりの人たちの人生に影響を及ぼしていくというビィジョンを持つように導いてゆくことを忘れてはならない。  (再生産 教会の再生産のために弟子を増し、弟子をつくる弟子を生まなければならない。救われる者の人数を増やす教会は、弟子を増やす教会である。)Ⅱテモテ2:1-2 開拓伝道者の模範であるパウロの原則がここに示されている。多くの証人の前で、私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」            以上 まとめ引用 終わり 2 「弟子としなさい。」 命令は一つだけ。行きながら(現在分詞)   キリストの命じておいたことを守るように教えなさい。   弟子とは、イエスについて行く者 キリストに似る姿に変えられつつある        キリストとの関係に活きる イエスの人格に似て愛の実践        主から受けた教えを守る 訓練を喜ぶもの 師から全部を学び取る        主から聴く 共に活きる 小さいキリストになる       真似る 模倣する 寝食をともにする 生活を見る 同じ釜の飯を食べる                         師のライフスタイルを身につける   イエス様は、公の生涯で、徹底して弟子訓練をした。それを弟子達が受け継いで、初代教会を建てあげた。パウロは、「第二テモテ2:2」と言っている。それは私パウロがテモテをイエスの弟子とし、テモテが教える力ある人をイエスの弟子とし、その人が他の人をイエスの弟子とする。それで忠実な人にゆだねる。  それは「互いに〜〜しあう」という命令を実践することにつながる。聖書に50箇所以上ある。この究極の弟子化の手段は、セルグループによる弟子訓練につながる。    F「キリストに似る者となる」 弟子化の目標が、キリストに似るものとなることです。クリスチャン品性の目標。第一ヨハネ3:2第一コリント11:1[私がキリストに見習っているように、あなた方も私にみならってください。」完全でない私たちとしては、不完全な姿のまま、養育者としてイエス様に見習おうとする姿勢が大事です。養育を受ける者も、養育者も完全な姿を要求しません。 ヘブル人への手紙13:7 「伝道のマスター・プラン」(いのちのことば社油井義昭訳)の中で、著者ロバート・E・コールマンは、効果的な訓練方法を得るために3つの基本的な事柄がバランス良く保たれなければならないといっています。  1 敬 虔   まず大切なことは敬虔を身に付けることです。これは個人の神にある歩みを成長させるものです。この分野での訓練は、神の人らしく生きるための性質や性格(Ⅰテモテ3章、テトス1章)、個人礼拝、家庭での礼拝、クリスチャンの夫、また父としての責任、個人伝道、暗唱聖句、黙想などについて学ぶことである。  2 健全な神学の学び   次にリーダー訓練おいて大切なことは、リーダーとなる人が、しっかりとした神学知識を身に付けてゆくことである。改革主義の主要なキリスト教教理、たとえば啓示、霊感、神、人、罪、キリスト、救いなどについての教理をしっかりと習得していくことである。  3 実践的な働き   第三に、個人的な福音の働きを助け、成長させて行くことである。実際に福音の働きに携わるにあたって、一人一人の霊的な賜物が何であるかを発見し、それをさらに成長させていくのを助けることも大切である。  4 宣教の理念  牧師と共に長老、信徒リーダーたちが宣教の理念の一致を得るように 以上 引用終わり 以下宣教の理念の説明 研修会で既に学びましたが、再録します。  現状理解のために「宣教の理念」の確認  Ⅰコリント9:19-23「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」  「宣教の理念」とは、「その教会がどのような特徴を持ち、信徒をどのように養い育て、地域にいるまだキリストを知らない人たちにどのように福音を伝えるかなど、教会の進む方向性を示すものです。この理念が教会の全ての活動計画の基準となり、宣教スタイルを形成する源となります。」「ある特定の牧師・教会によって採用される、宣教のわざを果たすための優先順位と、伝道形式の独自な組み合わせのことをいいます。」どの牧師・教会でも意識的にか無意識的に教会の進む方向性を決めています。いわば宣教の理念を持っているのです。あなたの教会ではどのような理念が採用されているでしょうか。 1 宣教の理念の基本的要素  A 目的における優先順位(教会の賜物と  召命に基づく)  教会が採用する五つの聖書的な優先事項   ① 礼拝 ② 学び(教育)    ③ 交わり(共同体) ④ 伝道    ⑤ 憐れみの行為(対社会)  あなたの教会で優先されているのは①〜⑤のうちでどれとどれでしょうか。二つまで絞ってみる。  B 形式における強調点  五つの基本的な宣教形式  ① 礼拝の形式 現代的な形式   ⑴ 全く現代的なやり方  ⑵ 伝統的なやり方を取り入れた現代的   やり方 伝統的形式    ⑶ 現代的なやり方を取り入れた伝統的   やり方  ⑷ 全く伝統的なやり方     ② 交わりの形式   ⑴ 概念的    ⑵ 直感的   ⑶ 関わりによる         ③ 指導形式      ⑴ ピラミッド型   ⑵ 指導力分担  ④ 基盤組織形式(内部組織構造)   ⑴ 一個または多数の細胞グループ   ⑵ グループの目的を何におくか  ⑤ 伝道形式    ⑴ 「フロントドアー」コンタクト作り  ⑵ 「サイドドアー」コンタクト作り C 宣教の理念のひな型  ① 教える教会    教会は内容の充実した説教と教育的なプログラムで計画されている。聖書研究会、研修会、聖書修養会など多数。学びを強調し、そのほかの働きはあまり重要性を持たない。  ② 教え、礼拝する教会  内容の充実した講解的な説教と礼拝、教育的なプログラムのある教会。礼拝は一つのイベントであり、教育についやすと同じぐらいの時間、努力が礼拝の計画、形成に費やされる。   ③ 教え交わる教会  内容の充実した講解的な説教と礼拝、メンバーの個人的な必要を満たすグループ生活を強調することを兼ね備えた、教育的なプログラムを持つ教会。教育は優れており、牧会者の配慮、小グループを形成して男性、女性、独身者、離婚者老人などの必要のために優れた配慮がある。  ④ 教え、福音伝道を強調する教会  内容の充実した分かりやすい説教と教育的なプログラム、信徒のあかしのために必要なものを身につけさせる備えを教える。信徒の効果的なあかしは人々を教会へともなう。外部伝道はイベントで構成されたネットワークにもとづいている。  ⑤ 教え、奉仕する教会  内容の充実した分かりやすい説教と教育的なプログラムは、地域社会の中のさまざまなグループへの必要を深く感じて奉仕をする教会を目ざす。  ⑥ 礼拝する教会    喜びに満ち溢れた礼拝であり、高められるようにプログラムされている。通常多くの人々が参加し、説教者が中心になることなく、やさしい説教がなされる。祈り合いをとおして個人的ないやしがある。  ⑦ 礼拝と交わりの教会  非常によく計画され、魅力的な礼拝は、集団の生活とメンバー個人の必要と満たしを強調することを備えている。これらの教会は普通よりオープンに感情や自発性を公にあらわすと共に、非常に深い関係をもってすべての交わりを組織だてる。悩み苦しみの中にある人は歓迎されていることを感じる。  ⑧ 礼拝と伝道する教会   非常によく計画され、魅力的な礼拝を持つ教会、信徒のあかしのために良く整え成長することを強調する。伝道についてはしばしば対決戦術(路傍伝道、街頭説教)を用い、礼拝の中では新しい回心者があかしをすることがある。祈りを伴ったカウンセリングが重要視されている。  ⑨ 礼拝と憐れみのある教会   非常によく計画され、魅力的な礼拝とともに、地域のさまざまなグループの必要を察して奉仕することを強調する。しばしば困窮者で溢れている。実質的な礼拝は常に形式ばらず、自発性があり、組織中心ではない。反伝統的である。  ⑩ 交わりがある教会   信者の必要を満たすようにプログラムされ、建てられている教会。非常に洗練されたカウンセリングの奉仕、小グループ、家族、独身者、老人、などとの優れた交わりのスタイルと強調がある。奉仕よりもグループを通して新しい人に届くことを目指す。  ⑪ 交わりと伝道する教会   信徒のあかしに重点をおくことを強調し、グループ生活と共同体を大切にすることを強調する教会。グループは交わりのために用いられ、伝道にために用いられる。グループは教えたり、学んだりすることよりもあかしのために用いられる。新来者を歓迎し一員として受け入れることに有能である。  ⑫ 交わりと憐れみのある教会   社会の中の必要を察知し、外部に奉仕し、グループ生活と共同体を強調する教会。最も親しみがあり人に愛される教会。傷ついた人々に良く世話をし忍耐する傾向をもつ。奉仕の発展にために制約されることなく、大いに自由が許されている。  ⑬ 福音宣教中心の教会   キリストに対して改心する人々を刈り取るために、人々を備えている教会。すべてのプログラム(礼拝、教育、交わり)を伝道の目的を達するために充てており、新しい人々をもたらすかどうかという観点から評価している。  ⑭ 福音伝道、憐れみある教会   共同体の中に必要を察知し満たすことを強調しつつ、信徒のあかしのために備えることも大切にする。必要と困窮で溢れている。伝道に、より積極的に取り組み改心者をより熱心に指導し仲間入れする。  ⑮ 奉仕教会      実質的にはすべてのメンバーが貧しい人々や傷ついた人々に共感を持つように向けられており、地域社会の奉仕に力を注ぐ。ほとんど常に都市にあり、高い水準の献身とメンバーのすべての人の具体的な奉仕が要求されている。  ①〜⑮のうちであなたの教会に最も近いすがたはどれでしょうか。  D 宣教の理念を明確にする    どのような優先順位で、どのような形の教会形成を行うかのために、自分たちの賜物 と地域的な特徴を良く考えなければなりません。その上で理念を考え祈り求めて表現することが大切です。  例えば 伝道中心の教会を始めるとしましょう。  「私たちの教会は聖書的な優先順位の五つを全部同じに果たして行きます。」と考えることは間違っています。開拓教会が最初から全部同じに優先して果たせることはありません。同様に「私たちの教会はすべての人たちのための教会になります。」という漠然とした期待をもつことは過ちです。全ての人に仕えることのできる教会はありません。どの教会にも特徴があって、特定のタイプの人々に仕える何かがあります。「あらゆるタイプの人々に福音を伝えるには、あらゆるタイプの教会が必要である」と言うことは本当です。  まず、するべきことは自分たちの地域の人々をよく調べて、福音を伝える特別対象グループを決めることです。このことは神が、あなたにどのような重荷が与えられるかということと関係します。個性ある一教会として形成して発展させて行くために、どのような人々を宣教の対象にまず選ぶかをはっきりとさせる必要があるのです。  その次ぎに、宣教の対象となる人々の必要は何であるか、どのように満たして行くのか礼拝や教会のさまざまな計画で何を優先して大切にするかを書いてみるのです。一つか二つの段落におさまるように書きます。教会に集う者たちが共有できるような正確で簡潔で分かりやすく、皆が信じることが出来て、やる気持ちになるように書くことです。   海浜幕張めぐみ教会の宣教の理念は、今解説している、「海浜幕張めぐみ教会」が「大切にしていること」(Our Core Values)に表明されております。礼拝の式順、教会の雰囲気、セルグループによる推進、あらゆる機会の教理(ウェストミンスター小教理問答、信仰告白)と聖書の学びなどで実践中です。     これを指導するにあたって、廣橋嘉信が表明している「宣 教 声 明 文」は以下の通りです。これは1995年に初版作成して、のちに幾分かの改訂をしています。この声明文に従って、わたしは毎年の歩みを続けています。この教会の開拓は、その表明の一項目の実践です。  生涯の目的  私の生涯の目的は、みことばに基づく宣教を神の民に教え刷新をもたらすことです。    刷新とは、      ⑴ 救い主イエス・キリストを宣教すること      ⑵ 神が私たちの生き方に求められている献身を理解すること      ⑶ 神の民がその求めに応え、真理に基づいた積極的宣教を展開して、               神を崇め、喜ぶことです。  私自身は、助け主聖霊によって、日々キリストに似る者へと刷新され、確信をもって語ることを追い求めます。 主要な役割   私の主要な役割は4つあります。     ⑴ 私は神の召命により、日本長老教会の教師であり、職務に由来する       霊的権威が授けられています。     ⑵ 私は日本長老教会 海浜幕張めぐみ教会の開拓伝道の計画、推進、       を行います。東関東中会所属の開拓伝道所への応援、コーチ、協力を       行います。       また、宣教協力団体である諸国からの宣教チームの開拓伝道への       協力も行います。     ⑶ 弟子訓練者として、開拓伝道志願者の発掘、若い伝道者への相談       コーチ、訓練、バルナバミニストリーを行う専門家を養成します。     ⑷ 私は日本長老教会の宣教の刷新のための変革者です。               御国建設のため、広く、深く、高く、長い、宣教視野へと教会の刷新        を求めています。 独自の方法     ⑴ 私は聖書的宣教について、一心に学び日本長老教会方式を       主から与えられます。     ⑵ 私は自ら模範を示す必要に気付きました。模範的指導教会を建て上げて、             刷新された宣教の取組を示し、見せることにします。     ⑶ それによって、日本長老教会の民に理解できることばを用い、       明確かつ平明に宣教の変革を促します。     ⑷ 私は宣教の各機関の要請に基づき、宣教の刷新に関わるセミナーを       定期また随時に開催してリーダー養成をします。     ⑸ 特に、開拓伝道志願者には、アセスメントを実施して、       本人のタイムラインを明確にし、自分を召された主に応える奉仕の場に       遣わされて行ける備えをし、その技能を訓練し、メントー ルします。     ⑹ その際、バルナバミニストリーを実施します。      ⑺ このことにより、開拓伝道者と教会の再生産を目指します。 究極的貢献     ⑴ 私が後世に遺したいと願うのは、栄光の主の大宣教命令に積極的に従い、      また、大命令に生きる聖められた民です。     ⑵ 私は日本長老教会を手始めとして、牧師、長老、民たちと協力し、彼らが      宣教の視野のさらなる拡大のために援助します。      ⑶ 私は後世への遺産を通して、教会を再生産する教会の基礎づくり      と、将来への発展の人材養成をしたいと思います。     ⑷ 将来、宣教の主のみわざに用いられる備えのある民を遺したいと願ってい      ます。 G「セルグループによる教会形成」これと次の項目はセット H「その結果としての礼拝所(家の教会)の増殖」 2008年3月2日 リーダー研修会 「神のオイコス」   第一テモテ 3:15「それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家(オイコ- the household)でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」 エペソ 2:19〜22「 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族(オイケイアイ・members of the family)なのです。 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。 この方にあって、組み合わされた建物(オイコドメー・building)の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ(スンオイコドメオー・are being bult together)、御霊によって神の御住まい(カトイケリオン・a dwelling-place)となるのです。」  ガラテヤ6:10「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族(オイケイアス・the member of family)の人たちに善を行ないましょう。」 セルグループによる教会形成は、初代教会の家の教会形成の手順を採用しています。神様の家族としての真の共同体を造ることによっています。それは地域の人々の間に効果的に神様の祝福を浸透させることができます。クリスチャン達は何と愛し合っているのだろうとの姿を見ている人々が、多く教会に引きつけられました。主イエス・キリストを信じることになりました。  新約聖書で、オイコスは普通「家」と翻訳されています。使徒16:31では「家族」と訳しています。クリスチャン社会学者は「オイコス」を普通一日に60分は話すことがある関係と定義しています。教会の兄弟姉妹、何人ぐらいとこのような関係があるでしょうか。夫婦は社会的に家族ですが、信仰による夫婦は神のオイコス関係にあります。このようなオイコス関係を6人ぐらいと持つことが出来ると、どのような心の痛手に出会っても、キリストのからだである教会から離れることはありません。痛手を話し、わかちあい、祈り支え、共にかしらである主イエスさまから回復の恵みと力と忍耐をたまわるからです。このようなオイコス関係が少ないと、負い合う前にいなくなってしまう危険があります。  セルグループは神の家族であり、キリストの身体であることを互いに生きる場です。主イエスを頭とするいのちの共同体です。ルカ12:42オイコス(家)の思慮深い管理人(オイカーナマス)は主からしもべに任されている財産を一人一人に分配します。忠実に!一人一人に分配するチャネルです。そして食事時(適当な時)には、食事を(たべものを)与えます。家の教会に基本であるセルグループは、互いに食事時(適当な時)には、食事を(たべものを)与えあいます。自分のためにだけ学びをするのではなく、互いの益のために徳を立てるために、愛し合うために、重荷を分かちあうために、祈り合うために、オイコスの一員であることを確かめます。これらは出来る限り毎週することが大切でしょう。今は二週間に一回かも知れませんが、それぞれが主の家族として、自分の生活を関心を主イエス中心に変えることで、毎週出来るようになるでしょう。連続講解説教はセルグループを育てるために大切です。その時そのときだけの主題説教は、人が育つためには不十分です。聖書の全体をしるためには、連続講解説教が大事なのです。主日礼拝での説教はセルグループが集まる時に適用を分かち合うことで身につくようになります。  組み合わされてゆくには、互いに信仰の徳を立てる(オイコドメオー)ために賜物を用いあうときにおこります。「コリント第一14:12 あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。」  参加している「それぞれの人」が大切です。「コリント第一14:24 もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、 心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。 兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。」    あなたのセルグループは、グループ内の個人個人の必要を無視するような単なる週ごとのグループ集会であってはいけません。セルグループは小さなクリスチャンの共同体なのです。イエス・キリストこそがこれらの生きた細胞を形成された方であり、その真のかしらであられます。「イエス様はあなたを愛しています。」という良い知らせは、あなたのグループにおいては言葉だけの真理であるべきではなく、生きた現実であるべきです。愛なる聖霊がグループの信者一人一人の人生のうちに住まわれる時、互いに仕え合い、犠牲を払って愛し合う姿が明らかになるはずです。「今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族(オイケイアイ・members of the family)なのです。 」クリスチャンの家族を創り出すということは、真のクリスチャンの共同体を創り出すことなのです。  以下 SHEPHERDS GUIDEBOOK BY BEN WBNG 10章からの抜粋 引用です  神がクリスチャンの家族を創造されたのです。主は私とあなたが自分たちの友人や仲間や家族の人たちにご自身の愛と共に福音を伝えてほしいと願っておられます。家庭が崩壊し、本来家族の中で体験できるはずの愛情を多くの人々が体験していないというこの時代において、クリスチャンの共同体における「家族」はますます重要であるといえます。それゆえに、あなたのセルグループにおいて「同じ家族のメンバーである」というアイデンティティーを創り出すことはきわめて重要です。一般的に言って、人は仲間のクリスチャンたちから愛に溢れたケアをしてほしいと願っています。この愛を互いに分かち合うことは私たちの特権であり、責任です。人間関係はメンバーの間で相互に成り立っているということを心に深く刻み込むことは、リーダーとして必要不可欠です。メンバー同士でケアし合うことをさせずに、リーダーが全てのメンバーをケアすることの方がリーダーにとっては簡単なことがしばしばあります。良い家庭では家族の一人一人が互いに互いをケアし合います。これこそあなたが自分のグループの中に建て上げなければならないものです。メンバーの人たちが、お互いにお互いへの責任を感じあえるように助けましょう。  グループのメンバーたちがお互いに愛に溢れたケアを示し合っている時、グループの外にいる人々をも引き付ける何かがそこにはあります。私たちの教会やセルグループに一度来てもらうようにすることは、たいていの場合それほど難しいことではありません。しかし、人々を自分の教会やセルグループに引き留める秘密の第一は「グループの中で表される愛である」と成長している教会のすべてが言うでしょう。あなたのセルグループには、(結婚はさておき)他の全ての人間関係をしのぐ特別な愛の絆がある必要があります。  クリスチャンの仲間からのケアとは、まるで自分の家族からのケアのようです。ケアを与える人も受ける人も、同じ家族の一員であるため、初めから信頼関係が確立されています。この「一つの家族の一員である」という感覚が、メンバーの内にどんどん形成されていくように、努力をする必要があります。しかし、あなたのグループの人間関係はゼロからスタートするわけではありません。ある程度の結び付きは、イエス・キリストにある共通した信仰を通してすでに存在しています。  家庭とは、過去から現在においてどんなに愚かな決断をしたとしても、あなたがいつも歓迎されるところです。そこは気むずかしく気まぐれで、とっつきにくく、あまり人から感謝されそうもない罪人たちが歓迎され、それぞれの内にある要塞から解放されるようにとチャレンジを受けるところです。賛美と礼拝がその人たちの人格を形ち造ります。恵みの手段である「主の聖餐と祈りと神の御言葉」は、その生活に欠かせません。そして、キリストが教会に与えられたご命令に従います。「そのグループが増殖するまでグループの外にいる人たちに福音を伝え、グループが成長して、新しく二つの細胞に増殖する」というかたちで主のご命令に従っています。  人がグループを形成するために集う時、どのようにして共同体生活に適応するかについての確固としたパターンは一つもありません。ある人は、共に生活し共に働くという経験をある程度もっていますが、その一方で共同体の生活の全てが自分にとっては全く新しい経験であることを発見する人もいるでしょう。温かい家庭に属したことが一度もない人や何十年も何不自由なく自立した生活をしてきた人、あるいは過去に信頼していた人に裏切られたことのある人は、特別な励ましが必要です。あなたがこの人たちを成長させることはできます。しかし、この人たちは自分自身で聖霊の助けを得て成長していかなければならないのです。あなたにできることは、それが起こるための環境を提供することです。下記に挙げたのは、あなたのセルグループにおいてそのような環境を発達させるためのいくつかの提案です。 1.セルグループに来る全ての人に、すぐに具体的な奉仕や働きを与えることは大切です。  このことを覚えてください。成熟した人になっていくということは、責任を自分でとれるようになっていくということです。何かの役にたっている人は、自分に価値があると感じています。人は自分の家族に貢献できる時に、いっそう自分が家族の一員であることを強く感じるものです。「そこにいる」ことだけしか期待されていない人は、すぐに消え去ってしまうでしょう。 2.あなたのクループのメンバーがつけている、いくつもの仮面を少しずつとり、人々の生活の背後にある防衛を取りのけていくようにしましょう。このことによって、次第に心を開き、相手を受け入れ、自分をさらけだせる雰囲気になっていき、キリストの体における真の共同体という感覚が強くなっていきます。  今日の「痛みの世界」においては、安心感をもつことができる共同体、特に「避け所」という神の国の特質を現している真の共同体への必要が高まっています。悲しいことに、この必要を満たす教会があまりにも少ないのです。その大きな原因の一つは、「ふりをする」ことです。私たちはいくつもの仮面を悠々と故意につけるように教育される社会に育ってきました。「他の人に自分の感情を悟られないようにしなさい。」「体裁を保ちなさい。」「面目を失わないように気をつけなさい。」「家の問題を外の人には知られないようにしなさい。」「必ず家族の良い評判を保つようにしなさい。」  このような数々の習慣は、私たちの教会生活にも組み入れられてきました。これらの習慣があまりにも日本文化の一部となっているために、私たちはそれが聖書的でないことに気付かないのです。それ以外のことが異常に見え、恥とすら思えてしまうのです。真理や自分をさらけだすことや心を開くことの代わりに、いくつもの仮面をつけ、うわべだけを取り繕うことが日々の自分への命令となっています。「ふりをして」本当の自分ではない自分を演じているのです。    キリスト教会がこれとは異なった価値観をもつ社会を、緊急に立証していく必要があります。Ⅰヨハネ1:5〜7でヨハネはこう語っています。「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」互いに正直に、心を開いて共に歩むことによって神の国の人間関係と交わりが生まれてきます。真の「家族としての交わり」が非常によくある「ふりをする」ことにとって代わるのです。    もしあなたのセルグループが、私たちが皆渇望する「避け所」となり、「安息の地」になろうとしているのであれば、グループのメンバーは痛みの防壁を突破して、本当の自分になる必要があるでしょう。あなたのグループのメンバーが互いに心を開き、ありのままの自分になるように励ましましょう。  3.時に神はある一人の人を用いて、人々が自分の心の壁を突破してセルグループの中でお互いに本当の自分であれるように導かれます。たいていの場合、このことが起こるためには、この役割を担う人がグループの中で重要な人物である必要があります。そう簡単には無視できない人物です。しばしばこの重要人物とは、セルグループのリーダー自身です。まず第一に、あなたが自分を正直にさらけだして、他のメンバーをあなた自身の個人的な世界へと導き入れましょう。あなたが自分のグループのメンバーに対して、ありのままの姿で、真実かつ正直である時に、その人たちもグループ内で自分をさらけだし始めます。あなたのグループのリーダー候補者もまた、もう一人の重要人物となりえます。 4.セルグループ集会の間に、お互いのために祈りましょう。他の人が自分のために祈ってくれている時に、どのように人が自分の心をさらけだすかは、驚くべきものです。祈りにおいては非常に個人的になりましょう。最も祈りを必要としていることについて、人々がありのまま分かち合えるようにしましょう。その人の内にある傷を聖霊が明らかにしてくださるようにし、その人が涙を流せるようにしましょう。泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ時、強い愛の絆が創り出されます。 5.あなたのセルグループで、愛情と優しさを示しましょう。愛情は、様々な方法を通してコミュニケーションをすることができます。愛情のこもったまなざしを通して愛情を伝えることができます。相手の肩をボンとたたいたり、相手を抱きしめたりすること(ハグについては日本文化のの中では普通の習慣ではないので、同姓同士にすることが誤解を招くことから助けるでしょう。)を通しても愛情を示せます。また私たちが語る言葉を通しても、愛を伝えることができます。これらのすべてを通して、私たちはこう相手に伝えているのです。主にあって、「あなたは私にとって大切な存在です。」「あなたの存在は私にとって重要な意義をもっています。」「あなたのことをいつも想っています。」「あなたを愛しています。」「あなたは私の兄弟です。」「あなたは私の姉妹です。」「私はあなたの重荷を負います。」 6 あなたの愛は、言葉だけではなく行いにも現れる必要があります。グループ内で必要が分かち合われた時、あるいはグループのメンバーが危機的な状況を通っている時に、グループのメンバーを動員してその人のケアをする行動に出ることは非常に重要です。  結婚と同じように、ハネムーンの後あなたのグループは関係を築き上げる努力をする必要があります。あなたのグループにある金銀や様々な宝石は、地上に座っているだけでは見つかりません。それらを発見するためには、深い霊的なかかわり合いから掘り出していかなければならないのです。      セルグループのリーダーとして有すべき最高の特性は何か知っていますか。それは「一貫性」です。グループの幾人かではなく全員を愛すること、自分が先週したのと同じように今週もこの共同体生活のケアをできるだけすること、率直に自分の足りないところを告白しもう一方で自分の信仰の成長を明らかにすること、こういった事が「一貫性」のあるリーダーの特徴であるといえます。  その人たちをありのままに受け入れる、その人たちが成長するようにチャレンジをする、その人たちが成長するのに適した共同体を造り上げるようにする、いつ、その人たちを自分からあえて離れさせて成長してもらうかを知っている、これら全てのことが一つの家族の中に組み入れられるのです。 以上 抜粋 引用 終わり  E「神中心の社会更新」  これは神による創造の秩序の回復を目指しています。新しくされた神の民による社会更新です。

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海浜幕張めぐみ教会 - Kaihin Makuhari Grace Church