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2012年6月10日主の祈りシリーズ7、マタイの福音書6章9-13節「試みに会わせず」

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主の祈りシリーズ7 招詞 ヨハネ17:15

マタイの福音書 6章9-13節 「試みに会わせず」

主の祈りの学びも、私たちに関わる最後の点になります。「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」

1 試みに会わせないで、と祈ります。会わせないでと祈るのですから、この試みは悪いことに相違ありません。新約聖書では「試み」と翻訳されたことば(ペイラスモス)は、二通りに意味に理解されています。

先ず良い意味です。試練とか訓練という意味です。訓練を受けた結果、私たちが強くなり、依然よりも高い水準に向上するのです。第一ペテロ1:6-7「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」

ヤコブ1:2-3.12「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。・・・・試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」

主の祈りは、このような訓練試練に会わせないでと祈っているのではありません。

次は悪い意味です。誘惑これは罪を犯させて以前よりも低い状態に人間をおいやってしまうのです。ですから、会いたくありません。誘惑は常に人につきまっとっています。罪に落ち込むようにひっぱりこむ試みです。エデンの園で、アダムとエバを罪にさそいこんだ悪魔の誘惑がありました。主イエス様も公の生涯にはじめに荒野で40日40夜断食をされたのちに、誘惑に会われました。これらのことは誘惑する存在がいることをはっきりと示しています。サタンは架空の存在でなく、実際の人格的な存在です。神様に敵対して働き、人間を巧みに中傷し、神様の目的の実行を阻み、罪から罪へと人間のを陥れるのです。聖書は悪の起源については教えていません。しかし現実に存在している悪への誘惑する存在については明白に教えています。それと戦うこと、また勝利を収めることを教えて、準備させようとしています。自分が寝ている間に、家が火事で燃えて、目が覚めたときに、人は誰でも火を消して家と自分を救おうとします。火事の原因について考えたり論じたりはしません。先ず火を消すのです。主イエス様は悪魔の激烈な誘惑に会われたので、その体験から、「試みに会わせず、悪からお救いください」と祈るようにと勧められました。試みに陥らないように、試みに負けないように、勝つように祈りなさい。主イエス様ご自身が弟子達のために祈っておられます。ヨハネ17:15「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします」誘惑や艱難や災難に会うとき、勝利することができるようにととりなしてくださっておられます。

 

2 次に「悪からお救いください。」といいます。試みに勝つと悪から救われます。ここに悪からとかかれている言葉は、私が悪をしないようにしてください、という意味と、悪い者からお救いくださいという意味の二通りがあります。この地上に悪の勢力があり、各界、各層にいます。このサタンの勢力から救われて被害を受けずに勝利をえるようにしてください。このみことばは私たちの魂、体、名誉、財産、子供たちを悪の勢力からお救いくださって、正しい道にあゆむようにしてくださいという祈りです。このような祈りは、自分の弱さを知っているものにとって真心から日々に捧げる必要があります。そしてこの祈りを捧げる者は「身をつつしみ、目を覚ましていなさい。」とあるように生活しなければなりません。こころみのくるところから遠ざかり身を慎んでいなければなりません。

 

試みはどこからくるのか。さまざまな道から試みはきます。

まず、物質を通して試みます。アブラハムのおいのロトは、ヨルダンの低地がよく潤っているのを見て選び取りました。その結果、青くの巣窟のようなソドム、ゴモラの街の近くまで天幕を張りました。ところがソドムの人々は邪悪な行為を積み重ね、その悪が満ちあふれて神様は滅ぼす決心をされ実行に移しました。火と硫黄をもって滅びました。ロトの妻は主の警告に背いて後ろを振り向いたために塩の柱にされてしましました。

主イエスを敵側に売り飛ばしたイスカリオテのユダは、銀貨30枚に目がくらみました。悪魔はこのように物質にたいする貪欲を通して常に私たちを試みます。ですから物質はどのように求め、どのように使うかを考えなければなりません。また、誘惑は男女の関係を通してきます。

イスラエルの平和の王といわれたソロモンは知恵に満たされた王であったけれども、最後は情欲によって愚かな者となリました。第一列王11:1-13「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」

サムソンもまた情欲の虜になり、敵対する国の計略により使わされた女性デリラにとらわれ身を滅ぼしました。情欲による試みによって倒れる人が、どれほど多くいるかはかりしれません。

さらにこの地上の栄光、名誉、権力、地位のために試みに陥る人が多いのです。主イエス様が悪魔から受けた誘惑は、地上の栄華のすべてを見せて、私を拝むならこれらはすべてあなたの物にしようというのでした。悪魔にひれ伏すことで世界帝国を与えるというのです。悪魔の誘惑にひれ伏して、この世での自分の優越性を確保するなら、いつの日か大変な滅びを刈り取ることになります。

これらの誘惑は、自分の外側からきます。友人や愛している者や仲間をとおしてきます。また自分の内側からもきます。ヤコブ1:13-16「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」

 

3 試みに勝つにはどうしたら良いでしょうか。

主イエス様が、今も生きておられて共におられると信じること。信じる者と共におられる主を仰ぐこと。あなたの傍らにおられる主を覚えること。誘に注意を集中するのでなく、主イエス様に注意を集中する。心が主に向けられると悪は魅力を失なうのです。私たちは主の恵みによって強められるのです。すでに十字架の上で罪に勝利を治められたお方によって、キリスト者は勝利を自分の者とできるのです。

この祈りが教えている大切なことは、人間があらゆる誘惑をのりこえられるほど強くないということです。うぬぼれてはなりません。試みにまけやすい弱い自分であるということを知って、神様に助けを求める必要があるのです助け主である聖霊は私たちを助けます。祈りましょう。

 

結び)この祈りを捧げることは、誘惑に勝つためであるよりは、そのようにして主イエス様を見上げることにあるのです。神様との正しい関係を保つことにあります。天の父と私たち子供たちとの関係の中に他のなに者も割り込ませないことが大切です。

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