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2013年12月29日 礼拝 

 

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2013年12月29日 ゼカリヤ 14:1-21  「キリストの再臨」

◇序文)今年最後の礼拝において、創造世界にたいする、壮大な神の永遠のご計画が実現し、神の国の完全な出現をゼカリヤ預言の中に見ることができる。これらは黙示録19章以降にさらに究極の預言として詳しい確認がある。迎える新年に対する心備えを、再臨の主への希望をもってできますように、みことばを調べましょう

 

◇Ⅰ 1-7節  神の民への襲撃、神の介入、再臨の主

1 「見よ。主の日が来る。」正確には「その日が主のために来つつある」。エルサレムを襲撃する敵 それにもとづく大艱難。町の占領と惨事。そのただ中で彼らは神を呼ぶ。絶望的な状況にエルサレムは陥る。

2節 最暗黒の日 そのような日が、なぜ「主の日」と呼ばれるのか。このような日のまっただ中で、主の栄光と権力が現れる日となるから。この戦禍は、BC586年バビロニア帝国のネブカデネザルによってエルサレムが滅亡したときのことではない。またAD70年ローマ帝国のテトスによってエルサレムが焼かれた時のことでもない。ここには「すべての国々が」とある。終末期の最後のエルサレム攻撃を指している。

◇2 それは黙示録19章11節から21章8節にかけて詳しく述べられている、最後の戦いとキリストの勝利をさす。文脈は次の通りです。イ 最後の審判のためのキリストの顕現と、それに続く天の軍勢の出現 19:11ー16。ロ 最後の戦いと獣及びその軍勢の破滅19:17ー21。ハ サタンの幽閉20:1ー3。二 キリストの支配20:4ー6。ホ 最後の反逆とその敗北 20:7ー10。へ 死者のさばき20:11ー15。ト 新しい天と地21:1ー8

この一連の出来事全体は、良く整った統一が見られる。それは歴史の終わりにおけるキリストの再臨から始まり、彼の即位と聖徒のための雪辱を経て、死人の最後的審判から、神のパラダイスに至る。

◇ 3 黙示録19章11節から新しい展開がある。

キリストが義のために再臨する。それはローマ軍隊の凱旋行進の形に従っている。将軍が勝利を収めて遠征から帰ってくるとき、自分の軍隊、捕虜、戦利品と行軍して、ローマの大通りを通り、広場から神殿まで行進する権利が与えられていた。将軍は白い馬に乗り、軍の先頭に立ってくる。その先頭に最も重要な捕虜がおり、その後ろに戦った軍団が続く。神殿への道を登り戦利品を捧げ、捕虜を牢獄に入れる、そこで処刑する。神殿には感謝のいけにえが献げられる。キリストは、神のさばきを行い、主の正しい支配を確立するという明確な目的を持って地上に来られる。

◇ 4 ゼカリヤ14:3ー4は、この出来事を予言しているのです。主ご自身が介入される。それらの国々と戦われる。決戦の日に戦うように。主は見える姿でおいでになる。オリーブ山の上に立たれる。使徒1:11で天使たちが、語ったように、イエスはオリーブ山にお立ちになる。「同じありさまでおいでになる。」と彼らは言った。ゼカリヤはイエス様が天に昇られた場所に、再びお戻りになると言っている。岩石の多い雑草で覆われた場所。その日地震が起こり地殻は大変動する。彼の力と権威を示す証拠として、オリーブ山は割れて南と北に移る。その谷は神の民の逃げる道となる。

◇5節後半 そのとき、日、月、は光を失う。天地は暗くなる。そして、昼も夜もない。この日は特別の日 いまだかつてなかった日 24時間ではない日。

キリストの再臨は信者も未信者も全世界のものが注目すべき輝かしい出来事なのである。これは稲妻が東から西へとひらめくこと、全天体を照らすことになぞらえられる。再臨の前には太陽が暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ちるだけでなく、その他にもマタイ24章だけでなく、黙示録にいきいきと記されていることが起こる。これらすべての出来事のクライマックスがキリストの再臨である。力と偉大な栄光とをもって天の雲に乗り、聖徒たちを伴ってくるのである。

 

◇5 黙示録19:11-16 ここにイエス・キリストのもう一つの肖像を見る。1章では祭司のような主、次ぎに王 座の小羊を見た。ここでは、征服者としてのイエスを見る。三つの称号「忠実また真実」と呼ばれる。真正な者、真実・偽りの反対としての真、「神のことば」ヨハネ1:1ー3によれば創造者であるが、ここでは、人々を裁く方である。「天にある軍勢は真白な聖い衣を着て、白い馬に乗って彼につき従った。」14節。教会・聖徒たちと天使たちが従ってくる。地上の汚れた冒涜的状況が驚くべき神のさばきによって、きれいにぬぐい去られるときが来たことを示している。

◇キリストの口から出ている鋭い剣は、諸国民を打ち、彼らをご自身の支配下に置くためであった。神の義なる基準にかなうことが求められる。15節後半「この方は、神の激しい怒りの酒船を踏まれる。」もはや人間は神の哀れみを期待することはできない。「王の王、主の主」地上を支配する究極的権限、力と威厳が示され邪悪な世と裁かれる。

◇ 6 最後の戦いと獣及びその軍勢の破滅  黙示録 19:17ー21

マタイ24:28「死体のある所にはげたかが集まります。」獣の軍勢が滅ぼされる。この世の支配者たちと獣が一致して、キリストとその軍勢と戦う。主が栄光を持ってこられるとき、地上の局地戦争をしていた支配者たちが、自分たちの対立を忘れて、王の王、主の主に戦いを挑む。そして破れる。偽預言者も一緒に捕らえられた。この二人は、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。後にサタンもまた投げ込まれる所である。

 

◇Ⅱ ゼカリヤ 14:8-11節  霊的祝福と励まし

1 8節 ヨエル3:18「その日、山々には甘いぶどう酒がしたたり、丘々には乳が流れ、ユダのすべての谷川には水が流れ、主の宮から泉がわきいで、シティムの渓流を潤す。」

いける水がエルサレムから流れ出る。「半分は東の海(死海)に流れる」半分は西の海(地中海)に流れる」。黙示録22:1-2「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。◇川の両岸にいのちの木があって、十二種の実がなり、毎月実ができた.」神と子羊とのみ座から出るきよいいのちの水の川に着いて語っている。イエスが再臨されるとき、水が東と西に湧きいで、祝福の流れがあふれる。死海は魚が住むようになる。塩水が薄められる。エンゲディ(死海の西)から、死海の東まで網を張る。川の西岸にうっそうとした樹木が繁る。

◇2  主イエス・キリスト様の提案 ヨハネ4:14 井戸端でサマリヤの女性にたいしてなさった、 「わたしが与える水を飲む者はだれでも、」例外なく、飲む者はだれでも「決して渇くことがありません。」なぜならば、わたしが与える水・神の賜物の水は、その人の内でいのちの泉となる。永遠に湧きてつきないいのちの水となり、あなたを潤す。いやそれだけではない。

◇「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」ヨハネ7:37-38。流れ出るいのちの水は、他の存在を潤すようになる。衰え滅び行く自分のいのちによってではなく、主イエスが注がれ、湧き出させて下さるいのちの泉によって、共に潤い、共に満たされ、共に祈る人生に変えられる。このお方のみが、神の賜物をくださる。

 

◇3 9節 主は地のすべての王となられる。生き残った神の敵はいなくなる。真の政治が行われる。それは生命の川の流れが、すみずみに行き渡るように、神の政治がうるおいをもたらす。主のみが、神として礼拝される。眞の王国 眞の礼拝。

 

◇4 12-19節 神の敵の罰 救いの完成

敵に対する完全な勝利 3節の敷衍

エゼキエル39章は、この日の預言です。天からの火による。

神の裁き12節「彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐らせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。」

13節「大恐慌がおこり、互いに手でつかみあい、互いになぐりかかる。」

14節 祝福された物を次々と失う。15節 伝染病で様々な家畜を失う。

◇16-19節 救いの完成 異邦人国民は、真の神の礼拝者となり、イスラエルは、主の「聖なる国民」という称号にふさわしいものとなる。「万軍の主である王」という称号にまさにふさわしいお方である。神を認める時、人類の救いは完成する。

仮庵の祭りを祝う。特別な喜びの祭りであった。荒野の放浪を覚え、収穫のめぐみをたたえた。過去と現在の祝福を喜びで祝った。反逆的な者は滅びる。神の正義は直ちに行われる。

 

◇5 20-21節 普遍的 聖潔

エルサレムが完全に捧げられた姿。

すべての物、人が主の目的のために捧げられ、すべてが全く聖い。馬の鈴まできよい

主の家の鍋と鉢も、神聖なものであったが、他のすべてのものがきよくなる。

 

主の宮に、商人がいなくなる。聖なる宮での商売はなくなる。カナン人 敵 けがれた不敬虔な人々。神の都は不敬虔な卑俗なものによって汚されることはない。

 

◇結び)ユダ書 24-25節

「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン」

 

 

 

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