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2013年4月28日 礼拝

 

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2013年4月28日 ルカの福音書16章1〜13節 招詞 第一テモテ6:17後半-19

 説教題      「忠実な管理人」

 序文)主イエス様は、ここで、弟子たちにキリストにある人生の管理人として、どのように対処するべきかを、「富」を例に引いて教えられました.自分の未来のために永遠の住まいを確保する生き方は、どのような生き方であるかを譬え話しによって示しておられます。

 Ⅰ 1-9節 抜けめのない管理人の思慮深さと、その教訓

1 金持ちの主人に、一人の管理人がいた。彼の仕事は、主人の全財産の管理であった。ところが、彼は、主人の財産を乱費して、それがばれてしまった。主人は彼を呼びつけて首切りを宣告した。そのために家計報告を提出せよと命じた。少し猶予がありました。

 彼は突然、自分は他にできる事が何も無いことに気づいた。財産は自分の物ではない。当然、主人の所有である。土地を掘る力も無い。乞食をするには恥ずかしい。危急の時になって、本当の自分に気づいた。何もない! そして、私たちもそうでありますが、自分の全てが、明らかになることはショックですね。喜ぶ事はできません。

 彼は、考えを巡らして、自分の立場を最後に最大限に用いる事にしました。主人の債務者たちを、一人一人呼びつけました.油百バテ、すなわち、約3,000リットルの借りのある人に、50バテ、すなわち半分に証文を書き換えさせました。小麦百コルすなわち36,000リットルの借りのある人に、80コルすなわち20%引きにした証文を書かせました。

 ある学者の研究によると、当時オリーブ油や小麦の貸借は、年によって作物の出来、不出来のリスクがあるため、利子を取る事になっていた。油は利子が80%でリスクとして20%を上乗せし返済の時は借りた物の二倍を返すことになっていた。小麦は利子20%でリスクは5%で、25%をプラスして返す事になっていました.大変な高利がまかり通っていました。したがってこの管理人がしたことは、債務者たちの利子を無しにしてやったことなのです。

 主人があとになって、この事を訴えても、この高利を普段にむさぼっていたことで、主人の立場の方が悪くなったのです。管理人は、自分に有利になるように友を作り、また、主人につけこまれないように振る舞ったので、主人はこの[抜けめのなさ]に脱帽しました。

2 8節 主イエス様は、譬え話しで、この管理人の抜けめのなさを用いられました。いわば、みごとな犯罪の手口を見て、刑事が感心するようなもので、犯罪を奨励し、ほめたたえているわけではありません。不正は不正です。不義は不義です。この世の子の生き方の現実例を見て、主イエス様は光の子らである弟子たちに、神の管理人としての奮起を促そうとして、その「抜けめのなさ」に注目するようにと教えておられます。その判断に目を留めるように。

3 9節 不正の富で、自分のために友をつくれ

 この抜けめのない管理人は自分の富でない主人の富を用いて、自分のために友をつくりました。「不正の富」とは何か。「この世の富」のことです。11節では「弟子たちが不正の富みに忠実でなかったら」と主は言われました。キリストの弟子たちは、この世の富を用いて永遠の住まいに自分を迎えいれてくれる友、つまり、迎え入れるのは神様なので、ここでは神様がなさることを婉曲に表現しているのです。この世の物を用いて、神様を友達にするような管理をしなさい。「人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まこといのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。」(第一テモテ6:18-19)

 良く言われることですが「天に宝を積みなさい」といった使い方、管理の仕方が、勧められているのです。私たちクリスチャンは主人である主イエス様からこの世の富だけではなく、様々なことがらを管理するようにまかされた管理人であります。生命の管理、霊性管理、信仰生活管理、健康管理、情緒管理、職業管理、財産管理、

福音の奥義の管理、賜物管理、財産管理、献金管理、時間管理、家庭管理などです。その上で、御国での決算報告の時があると教えられています。罪に関してはすでに主イエス様による身代わりの死によって贖いがなされており、キリストにあるものは罪に定められることはありません。しかし、神の子とされた人生で、どのように歩んだかを報告しなければなりません。決算報告があるのです。

 

 Ⅱ 10-12節「小さいことに忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」

1 管理者の基本姿勢は、「忠実」に管理することです。管理者・管理人と翻訳されているギリシャ語はオイコノモス、英語stewardshipスチュワードシップ、オイコス家+ノモス配剤・律法・配置 。その任務は、主君の財産・しもべ・仕事を委託されている。主君のために、自分の采配で指図、活用するのです。最後に決算報告をするのです。

 私たち自身に託されている主人の全財産、いわば私たち自身の全存在と生活の全ては、生まれたときから、主から託された人生であります。「この場合、管理者には忠実であることが要求されます。」(第一コリント4:2)

 2  光の子として、今のこの世の歩みで忠実であれば、来るべき永遠のみ国においても忠実を期待できる。この世の生活でたくされた福音のいのち、霊性、信仰生活、健康、情緒、職業、財産、福音の奥義、賜物、財産、献金、時間、家庭

などなどに不忠実であれば、永遠のみ国を任せる事ができるだろうか。物質的な事に不忠実な人に霊的なことを任せられない。この世の中でも、入社したての新人に小さい事から責任を取らせてみる。忠実かどうかを見る。テストケースを経験させないで、いきなり大きな責任を任せたりはしない。この世の生活で、光の子としての歩みがいい加減であるのに、霊的な大事をゆだねる事ができるかというと、それはできない。教会の奉仕についても、同様で、先ず賜物による小さい奉仕をテストケースで任せてみて、忠実かどうかを見る。その後に大きい責任を任せる。この世に関わる事は永遠のみ国にくらべて小さい事であるが、軽んじてはならないのです。地上の教会は来たるべき神の国のひな形である事を忘れてはならないのです。すでにそれぞれの立場で、さまざまな責任を任せられている者として、私たちは忠実に、主人イエス・キリスト様に仕えてまいりましょう。

 

 Ⅲ 13節 忠実とはどういうことか。

「しもべは二人の主人に仕える事はできません。一方を憎んで、他方を愛したり、または、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富みにも仕える事はできません。」

「しもべ」は「家の中の使用人」と言う言葉です。使用人は、その家で仕えるので他の家では仕えないのです。二人の主人に仕えることはできません。ましてや愛するとか憎むとか精神的に同等に二人の主人に配慮ができるはずはないのです。クリスチャンの仕えている家は天の父の家です。地上では地区教会です。クリスチャンにとっては、富が主人なのではありません。富は管理するために託されていますが、主人は天の神です。教会の主はイエス・キリスト様です。「神に仕える」ことを徹するとき、富をあるべき位置につけることができます。その時に管理をゆだねられている者として全存在を御前に用いて行く事になります。

いつの日か、決算報告を差し出す事になります。その日に福音のいのち、霊性、信仰生活、健康、情緒、職業、財産、福音の奥義、賜物、財産、献金、時間、家庭をどのように用いたかを報告します.主のために用いて、福音の前進のために生きましたといえるように、思慮深く(抜けめなく)ありたいものです。管理を託されているすべてを「主ために用いる」ときに、忠実と言われるのです。管理を託されている事柄が、主人となって、たとえば、富が主人であるとして、生活をする事は、不忠実となるのです。富は、しばしば、私たちの経済生活を奴隷のようにします。富の奴隷になるのです。パウロが度々言っておりますように、私たちは主イエス様のしもべ(奴隷)なのです。

 「忠実なしもべよ、よくやった。あなたはわずかな物に忠実であったから、多くの物をまかせよう」と主からいっていただきたいものです。

 

 結び)第二テサロニケ 1:3−12

 

 

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