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2014年9月28日 礼拝

2014年9月28日 礼拝音声

どのように人生を生きるか:王に捧げる

マルコの福音書4章:34−41節

 

メッセージ: ネイサン・クラッパム
通訳: 真紀子・クラッパム

 

プレリュード:日本への旅路

 

日本への道のりのなかで、神が何度も私たちの人生に働きかけ、形作ってきました。私の最初の海外への旅行は2000年、日本でした。その時に私は日本のことを何も知りませんでした。多くの人がイエスのことを聞く機会がないことに、目を開かされました。

その時から神は、すべての国民が神の子のことを知るようにとされたご計画を私の心の中で働かせ始めました。聖書を読むうちに、神のご計画はいつも成り、神の福音は世界の全てのひとのためだとわかりました。

その時私はキャンベラの大学の講堂で集まる教会の夕拝に参加していました。ある日曜の寒い夜、私の心は温まりはじめました。それは愛でした。少なくとも私にとっては。真紀子が何席か前に座っていました。

真紀は大学の学生活動の働きを通してクリスチャンになりました。真紀と私の主への信仰と理解はキャンパスの学生運動の集まりを通して育ちました。

2002年、結婚した後に、KGK(キリスト者学生会)の主催する学生のキャンプに参加する機会が与えられました。KGKは日本の大学のクリスチャンを励ます学生主体のクリスチャングループです。また、国際的なIFES (国際福音主義学生連盟)という組織のメンバーです。

このキャンプを通して、クリスチャンの学生たちがそれぞれの大学のキャンパスで様々な悩みに直面していることがわかりました。他のキャンパスの同じような状況に置かれている同年代のクリスチャンと分かち合える時を持ち、ともに励ましを受けている姿を覚えています。

真紀も私も学生活動に関わってきて、それがクリスチャンコミュニティーにおいて価値のあるまた効果的な役割を担っていることをみてきました。大学という時代は、多くの人が人生について考え、重要な決断をする時期です。真紀も私もこの時期に、聖書を読み、神の御言葉を私たちの生活において優先するようにと励まされました。

日本でこのような学生活動に関わって行きたいというのが私たちの願いです。私たちの計画は(神の御心であれば)、私が日本語の勉強を2015年の終わりまで続けて、私の日本語が十分であれば、KGKのフルタイムの主事として関東地区で働くことです。主な活動は学生たちとともに複数の大学のキャンパスで教え、研修活動をし、学生伝道をしていくことです。

日本に来るまで10年以上かかり、今やっと始まったばかりです。その道のりのどの時点においても、神は私たちの人生を支配するために働いてきました。今日私がみなさんと分かち合いたい聖書箇所は、私がイエスに従うのが怖いと感じたときに助けてくれた箇所です。

序文

 

神がある働きを始めると、あきらめません。このことは世の創造の時から真実ですし、また多くの世代を通して、最終的に私たちの救いのため御子を犠牲になさったことにおいても真実です。私の人生においてもそうですし、あなたの人生においてもそうなのです。私たちの神は完全に信頼でき、始められた働きを達成されるのです。

 

私は17歳の頃、イエスに立ち返り、彼の支配の元にかえりました。服従の過程は 何ヶ月も前に始まり、私の人生は少しずつバラバラになっていきました。悪友を遠ぞけ、私の罪を現し、この世での望みを取り除きました。私は沈む舟で滅びていくように感じました。

 

神の恵みに100パーセント依り頼むようになるまで、キリストに委ねることはできませんでした。その前は、傲慢で、頑固でこの世への執着心に支配されていました。しかし、神の憐れみによって、私の人生の中の偶像を破壊し、救ってくださいました。神は私の罪を取り除き、私に新しい家族と、本当の希望を与えました。沈んでゆく舟に乗っているという気持ちより、神とともに本当に生きていると感じるようになりました。クリスチャンになることは、今まで持っていたいのちを捨て、キリストにある新しいいのちを得ることを意味します。

 

守りのない弟子たち

35節は「その日」と始まります。イエスが4章1節で教え始めた、その日の終わりの頃でした。イエスがしている偉大なことを聞いて、多くのの群衆が集まっていました。そこでイエスは小さな舟を用意して、それに座って教えられたのです。(3章9節参照)

その日、イエスは多くのたとえを話されました。弟子たちがたとえのことをイエスだけになったときに尋ねると、イエスは彼らにすべてのことを解き明かされました。33から34節である通りです。

“  イエスは、 このように多くのたとえで、 彼らの聞く力に応じて、 みことばを話された。 たとえによらないで話されることはなかった。 ただ、 ご自分の弟子たちにだけは、 すべてのことを解き明かされた。”

弟子たちは特別な権利をもったグループの中の人たちでした。一人一人がイエスによって呼ばれたのです。3章で12人の弟子たちは山の上で使徒として任命されました。彼らはイエスを助け、教えの時には群衆に仕え、多くの癒しの奇跡と、悪霊に対しての権力の目撃者で、パリサイ人がイエスを責めた時に彼の側に立ちました。使徒たちはイエスの親しい友でした。

 

その日、夜になったとき、弟子たちは疲れ果てていたことでしょう。一日中イエスの教えの働きを助け、大勢の人に仕えていたのです。イエスは35節で「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われます。

 

イエスがなぜ湖を渡ろうとされたのかは書いてありません。群衆に疲れ、そこから立ち去ろうとされたのかもしれません。これから起こる嵐の中の舟で眠っていられるほど疲れていたのでしょう。理由はなんであれ、使徒は急いで出発します。36節で、

“そこで弟子たちは、 群衆をあとに残し、 舟に乗っておられるままで、 イエスをお連れした。 他の舟もイエスについて行った。” とあります。

弟子たちがイエスを「お連れした」ことに注目してください。弟子たちが皆イエスと舟に乗り込み、湖を出発する様子が目に浮かぶはずでしょう。イエスが要望されましたが、弟子たちがその手配をし、その間にイエスは舟の後ろで眠りにつかれます。

ここで、話は急展開し、湖は大荒れになります。37節で、

“すると、 激しい突風が起こり、 舟は波をかぶって、 水でいっぱいになった。” とあります。

あなたは「湖」という言葉を聞くと何を想像するでしょうか? 静かで、穏やかな湖もあります。しかし、水が深い湖は大きな波を生み出すこともあるのです。ガラリヤ湖は、海面よりも低い所にあり、風がとても強く吹きつけることもある場所でした。このような湖はとても恐ろしいこともあるのです。

高校生のとき、私は舟に乗る人でした。冬で、氷のように吹きつける風の時も、私は湖にとんでいきました。風が強ければ強いほど良いのです。ある日友だちと舟に乗っていると、暴風になりました。最初は楽しかったです。帆が風でいっぱいになり、加速し始めました。トラピーズに捕まってボートをまっすぐにしようとしました。とてもすばらしい気分でした。

しかし、風はおさまらず、どんどん強くなっていき、波も高まっていきました。波上から下るときには、もう海岸は見えなくなっていました。空はどんどん暗くなっていきました。だんだん恐ろしくなり、ひっくり返ったらどうしよう、こんな古いボートは壊れるかもしれない、死んだらどうしよう、と思い始めました。

あなたならどう感じると思いますか?舟の中にどんどん水が入ってくるのです。波がどんどん高くなるのです。

イエスは眠っておられました。彼は冷静だったのです。

ところがイエスだけは、 とものほうで、 枕をして眠っておられた (4:38a)。”

もしあなたが私のようであるのなら、イエスと全く違った反応をしたと思います。恐れに捕われ、38節にある弟子たちのように反応したでしょう。

“弟子たちはイエスを起こして言った。 「先生。 私たちがおぼれて死にそうでも、 何とも思われないのですか。 4:38」”

ストレスのかかったとき、時に意図せぬことを言ったりしますが、それでも心の奥底にある本当の気持ちが表れます。弟子たちは苛立って叫びました。「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか?」

私たちは弟子たちがイエスの親しい友であることを知っています。彼らはイエスの権威と人々の癒しの目撃者です。イエスが彼らのことを気にかけていらっしゃることなど知っていたはずです。彼らが死ぬことを恐れていたことから、彼らがこの状況に恐怖していたこともわかります。

彼らが恐れて叫んだことはわかりますが、彼らはなぜイエスが気にかけていないと責めたのでしょう? その叫びは彼らの心の状態を曝け出しました。

人が他人を責めるのはいつでしょう?それは自分を守ろうとしているときではないでしょうか?弟子たちは自分たちを守ろうと必死でしたが、ついにイエスが彼らを気にかけていないと責めたのです。イエスは眠っておられ、私たちが死んでも何とも思われない!

心の底から全く希望がないと思えるとき、絶望の中から責める叫びが出てくるのです。私たちが必死に頑張っているのに、あなたは何とも思わない。あなたの人生がうまく行かないとき、あなたはイエスに対しどのように感じるでしょう。イエスの弟子たちのように、私たちは私たちの心と思いがあらわになる瞬間が必要です。このようなときに、イエスは語りかけてくださるのです。

 

イエスの力

弟子たちの叫びによって目覚めたイエスは被造物に向かい、救いの力を現します。弟子たちは自分たちを救うことができないことを感じ、イエスが彼らの必要に応えるために介入します。39節で

“イエスは起き上がって、 風をしかりつけ、 湖に「黙れ、 静まれ」と言われた。 すると風はやみ、 大なぎになった。” (4:39)

とあります。だれがこのように自然を支配することができるでしょう?

創世記の8章1−2節で神は洪水の中の箱船に居たノアを覚えられました。神は風をおこし、水がひくようにされました。詩篇の74章13−14節は神が水を別けて地球を創られた神の力について語っています。

被造物に命令できる方は一人だけです。神のみがその力、強さ、権威を持っているのです。弟子たちが湖を渡るために舟の用意をし、イエスをお連れしましたが、イエスこそがその全てを治めていることが今わかります。

私たちの日々の生活の中で、私たちとともにおられる方が、その力を持っているということを忘れがちです。私たちとともにおられる方が救うことができるのです。日常に起こる小さな出来事のことを言っているのではありません。もちろんイエスはそのようなことに働かれることもできます。あなたの死の間際、突然パニックが起きる時に、何とも思われないとイエスを責めるかもしれない その時にもイエスに力があることを覚えてください。

御言葉で、あなたのからだの全ての部分を創られた方。言葉によってあなたを存在するものとされた方。彼があなたを死の力から救い出すことができるのです。

今日の多くの人は死から逃れようとします。科学と医学の発展により、救われることができると信じている人がいるのです。しかし、死を逃れることはできません。死に関してはだれもどうすることもできないのです。

イエス以外には。舟の上でイエスが言われた後、“大なぎになった。” (4:39)とあります。

 

命を失うことは、それをもっと得ること

なぜイエスはそんな絶望的な状況に陥るまで彼の力を示さなかったのでしょう。それは弟子たちが、イエスが救うことができて、彼らにはできない、ということを知る必要があったからだと思うのです。

彼らの心をさらけ出した、自分たちが無力であるという気持ちを覚えていますか?人はそのような気持ちを押さえつけようとしますが、だれもが神なくしては無力なのです。神はこのことを様々な方法でいろいろな人に示されます。このような気持ちは人を2つの道へ追いやります。最初の道は自分の命を自分で守ろうとする道です。人はこれを、自分自身の安全を作り上げることによって成し遂げます。安定した仕事を持ち、お金をため、地位を確立し、他の人から尊敬され、多くの所有物を持つことによってです。

2つ目の道はあなた自身の安全をイエスに信頼する道です。イエス以外に守ることはできないと認めることです。言い換えると、全ての決断をイエスに託し、彼に治めてもらうのです。自分自身のいのちを失い、王によって支配されるという新しいいのちを得る。

イエスは彼らを正しい方向へと導くため、2つの質問をします。「どうしてそんなにこわがるのです」その後に、その恐れの問題に対する遠回しな答えである「信仰がないのはどうしたことです。」という質問が続きます。

これらの質問を通してイエスは恐れに対する特効薬は信仰であると言っているのです。弟子たちの恐れは、彼らに信仰がないことを浮き彫りにしました。イエスは彼らに、イエスは信用できるし、信用するべきだと言っているのです。イエスがそこに存在するとき、恐れる必要はないのです。弟子たちは自分のいのちを手放して、イエスに守ってもらえばよいのです。

しかし、ご存知のように、私は自分で物事を支配したいと思うのです。それがテレビであれ、コンピューターであれ、車であろうとも。前に車をもっていた時に、真紀が運転して、私が補助席に座ることもありました。あなたにも同じような経験があるでしょうか?信号に近づく度に私の足はブレーキを踏もうとするのです。前の車に近づくと、手がハンドルをぎゅっと握るのです。心配し過ぎだと言われるかもしれません。この心配を追いやるためには、真紀を完全に信用するべきなのです。

イエスは彼の力を示しました。イエスは彼らに、恐れに対する薬をわたしたのです。イエスは、彼らが自分のいのちを守ることをやめ、イエスを信頼することを願っているのです。彼らに、イエスに従うという意味を、イエスを信じるという意味を教えているのです。

弟子たちの反応から 彼らが一緒にいる方がだれかということをまだ完全にわかっていなかったことがわかります。ですから、41節で、

“彼らは大きな恐怖に包まれて、 互いに言った。 「風や湖までが言うことをきくとは、 いったいこの方はどういう方なのだろう。 」” (4:41)

彼らは正しい質問をします。私たちもこの同じ質問をする必要があります。この人はだれでしょう?一言で荒れた波を静まらせることができる人。私たちの死の恐れを打ち破ることのできる人。あなたがもしこの人を知らないのであれば、是非同じ質問をしてください。

結び

マルコの福音書ではイエスに近い関係にあるのに関わらず、弟子たちは理解できません。8章29節で、ペテロがイエスをメシアだと認識するまでその状態は続くのです。その直後にイエスは彼についていくために何が必要かを説明します。8章34節で

“それから、 イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、 彼らに言われた。 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、 自分を捨て、 自分の十字架を負い、 そしてわたしについて来なさい。 いのちを救おうと思う者はそれを失い、 わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。” (8:34–35)

この聖句を理解するのは一生涯の奉仕が必要かもしれませんが、日本に行くために祈っていく上で わたしにとってとても重要な聖句でした。マルコの4章38節で弟子たちはイエスが8章35節で使った同じ言葉を使います。舟で弟子たちはいのちを失うことを恐れていましたが、イエスは彼と福音のためにいのちを失いなさいと言っているのです。私たちがイエスと福音のためにいのちを失おうとするときに、私たちは救われるのです。イエスは私たちに、からだと知性と心を彼が支配するよう 捧げなさいと言っているのです。

ではわたしたちはどのように人生を生きればよいのでしょうか?王に捧げるのです。

クリスチャンになったとき、それはただ神の恵みによってでした。私自身の努力では、神を知ることもイエスを信じることもできませんでした。しかし、イエスが彼の愛と慈愛を現されたのです。私は沈んでゆく舟の上にいるように感じましたが、イエスが完全に彼に依り頼むということが必要であることを示してくださったのです。これさえも神の賜物です。

神がわたしたちのことをあきらめないということは素晴らしいことです。神は私たち一人一人がイエスを知り、彼について行くことを望んでおられます。私たちは失敗もしますが、神の恵みにより、支えてくださります。神が私たちが何もできないものであることを現わし、私たちが100パーセントイエスに頼ることができるように祈りましょう。私たちの心がこのようになったときにこそ、神の栄光の救いを知ることができるのです。

How to live your life: Give it to the King

Mark 4:34-41

Prelude: Journey to Japan

There were many times on our journey to Japan that God has been at work to shape our lives. My first overseas trip was in the year 2000 to Japan. At that time I knew nothing about Japan. My eyes were opened as I saw so many people who did not have an opportunity to hear about Jesus.

From that moment God began to work in my heart about His plans for all nations to know His Son. As I read the Bible God opened my eyes to see that His plans always succeed and that His gospel was for all people in all nations.

At that time I was attending a church at University in Canberra. On a cold winter Sunday night, something began to warm my heart. As I looked across the room; it was love at first sight. At least for me! Maki was sitting a few rows in front.

Maki had become Christian through the work of the student ministry at University. Both Maki and I grew in our understanding and trust in the Lord as we attended student meetings and camps.

In 2002, just after we married, we had the opportunity to attend a student camp in Japan. It was run by KGK – キリスト者学生会. KGK is a student lead Christian group that supports Christians on Japanese university campuses. It is part of an international group called the International Fellowship of Evangelical Students.

At this camp we could understand some of the struggles that Christian students faced on the many University campuses. We remember some students that were so happy to be able to identify with other Christians their own age in similar situations.

As both Maki and I have been involved in student ministry we have seen the valuable and strategic role it can play for the Christian community. University is often a time of life where people begin to think about life and make important decisions. During this time Maki and I were strongly encouraged to read the Bible and prioritise God’s Word in our lives.

Our hope is that we might be involved in supporting this strategic student ministry here in Japan. Our plan, God willing, is for me to continue in language study until the end of 2015. If my language has progressed enough I will work full-time with KGK in the Kanto area. This will involve working alongside students at different University campuses to teach, train and evangelise.

We have been in training and preparation for over 10 years. And we are still beginning. At each point along the way God has worked to ensure He ruled our life. The passage that I want to share with you today has been helpful for me when as I’ve felt scared to follow Jesus.

Introduction

To loose a life,
such a pity
life cut away,
oh the pain
He didn’t stop,
just kept on
Whose am I now,
but yours
To loose a life,
such a gain

When God begins a work, He doesn’t give up. This has been true from creation, through many generations, and ultimately in the sacrifice of His own Son for our salvation. It is true in my own life as it is in yours. Our God is totally trustworthy and will complete the work he has begun.

I was about 17 when I turned to Jesus and surrendered to His rule. The process of surrender began months before as God slowly broke my life apart. He took away friends, revealed my sinfulness, and left me without hope in this world. I felt as if I were perishing on a sinking boat.

It wasn’t until I was 100 percent dependent upon God’s grace that it was possible for me to let Christ rule. Before that, pride, stubbornness, and love of the world ruled me. But by God’s mercy, He broke down the idols in my life and saved me. He gave me a new family, took away my sin and gave me true hope. Rather than perishing on a sinking boat, I felt truly alive with Jesus. Becoming Christian, means loosing our own life to gain new life in Christ.

The defenceless disciples

Verse 35 begins with ‘On that day’. It was the end of a long day of teaching that began in 4:1. There were many people gathered because they had heard about the great things Jesus was doing. So Jesus had a small boat ready that he might sit in to teach from. (cf. 3:9)

That day Jesus spoke many parables. His disciples would ask him privately about the parables and Jesus would explain everything to them. Verse 4:33-34 says:

“He would speak the word to them with many parables like these, as they were able to understand. And He did not speak to them without a parable. Privately, however, He would explain everything to His own disciples.” (Mark 4:33–34 HCSB)

“  イエスは、 このように多くのたとえで、 彼らの聞く力に応じて、 みことばを話された。 たとえによらないで話されることはなかった。 ただ、 ご自分の弟子たちにだけは、 すべてのことを解き明かされた。” (Mark 4:33–34 SHINKAI)

The disciples were insiders; they had a privileged position. Each one was called by Jesus. In Chapter 3, the 12 were all taken up the mountain and appointed apostles. They helped Jesus attend the crowd while teaching; they were eye-witnesses to many miraculous healings and to his authority over evil spirits; they stood by Him when being rebuked by the Pharisees. The disciples were Jesus’ closest friends.

That day, when evening had come, I imagine they were tired. They had been supporting Jesus’ teaching ministry and attending to the large crowds all day. Jesus then tells them in verse 35, “Let’s cross over to the other side of the lake”.

We are not told why Jesus wanted to cross the lake. Perhaps he wanted to escape the large crowds as He had become weary. He had obviously become so tired as to sleep in a boat through the coming storm. Whatever the reason, the disciples quickly set off. Verse 36 says:

“So they left the crowd and took Him along since He was already in the boat. And other boats were with Him.” (Mark 4:36 HCSB)

“そこで弟子たちは、 群衆をあとに残し、 舟に乗っておられるままで、 イエスをお連れした。 他の舟もイエスについて行った。” (Mark 4:36 SHINKAI)

Notice that the disciples “took” Jesus along. The picture here is that the disciples all gathered into the boat with Jesus and set off into the lake. Jesus gave the request but the disciples took the lead in organising the logistics, during which Jesus began to sleep in the back of the boat.

Here the story takes a rapid turn. The lake becomes chaotic. Verse 37 says:

“A fierce windstorm arose, and the waves were breaking over the boat, so that the boat was already being swamped.” (Mark 4:37 HCSB)

“すると、 激しい突風が起こり、 舟は波をかぶって、 水でいっぱいになった。” (Mark 4:37 SHINKAI)

What do you imagine when you hear the word “Lake”? Some lakes can be calm, the water remains flat. But others, with deep water, can produce large waves. Lake Galilee was lower than sea level and a place where wind could become very strong. On those lakes it can be scary.

During high school I was a sailor. Even in the winter, when the wind was at times like ice, I would rush to the lake. The bigger the wind, the better. One day I was sailing with a friend and a windstorm arose. At first we enjoyed it, our sails filled with wind; our speed increasing. I was hanging out on the trapeze keeping the boat level. It was a great feeling.

But the wind didn’t stop. It kept increasing. The waves also kept increasing. As we went down the wave, we could no longer see the shore. The sky became darker. Fear started to creep into my heart. What if we capsize? What if something breaks on this old boat? What if we die?

What would you have felt? More and more water coming into the boat. Waves getting bigger and bigger.

Jesus was asleep. He was calm:

“But He was in the stern, sleeping on the cushion.” (Mark 4:38a HCSB)

“ところがイエスだけは、 とものほうで、 枕をして眠っておられた。” (Mark 4:38a SHINKAI)

If you are like me, I would probably react differently than Jesus. Gripped by fear, I would probably react like the disciples in the second part of verse 38:

“So they woke Him up and said to Him, “Teacher! Don’t you care that we’re going to die?”” (Mark 4:38 HCSB)

“弟子たちはイエスを起こして言った。 「先生。 私たちがおぼれて死にそうでも、 何とも思われないのですか。 」” (Mark 4:38 SHINKAI)

In times of stress, sometimes you say things you don’t mean, but still have some truth to your feelings deep inside. The disciples called out in frustration “Don’t you care that we are going to die!”

We know the disciples are Jesus’ closest friends. They are eye-witnesses to Jesus’ authority and his healing care for people. They must know that He cares for them. We also know that this situation made them terrified, as they were afraid to die.

We could understand why they might cry out in fear, but why did they accuse Jesus of not caring? I think the cry exposed the state of their own hearts.

When do people usually accuse others? Isn’t it when they are trying to protect themselves? The disciples had been trying hard to protect themselves, but now it was time to accuse Jesus of not caring. Jesus is asleep, He doesn’t care if we die!

From the bottom of their heart, when it seemed as if there was no hope, in desperation came a cry of accusation. We are doing our best Jesus, but you don’t care. How do you feel towards Jesus when your life doesn’t work out? We need this revealing moment, just like the disciples. A moment when our hearts and feelings are exposed. These moments are when Jesus can speak.

Jesus’ power

Awoken by the disciples cry, Jesus turns to the creation and displays His saving power. The disciples have felt their own incapacity to save themselves and Jesus steps in to answer their need. In verse 39:

“He got up, rebuked the wind, and said to the sea, “Silence! Be still!” The wind ceased, and there was a great calm.” (Mark 4:39 HCSB)

“イエスは起き上がって、 風をしかりつけ、 湖に「黙れ、 静まれ」と言われた。 すると風はやみ、 大なぎになった。” (Mark 4:39 SHINKAI)

Who can exercise control over nature like that?

In Gen 8:1-2, God remembered Noah, who was still on the Ark in the flood. He moved the wind and caused the water to subside. Ps 74:13-14 talks of God’s strength in parting the sea as He formed the earth.

There is only One who can command creation. God alone has the power, strength and authority. Although the disciples took Jesus along, organising the boat to cross the lake, it is clear now that Jesus is the one in control.

It is easy to forget in our daily lives that the one present with us has this power. The one who is with us is able to save. I’m not speaking of little things in our lives, although Jesus can work in those also; it’s when you are about to die, and suddenly a moment of panic arises, perhaps to accuse Jesus of not caring – in that moment know Jesus still has the power.

The One who spoke, and formed every part of your body. The One who brought you into existence with His Word. He can catch you from the power of death.

Many people today seek to avoid death. Advances in science and medicine make some believe that they have power to save. Yet still they can not avoid death. Everyone is helpless when death comes.

Except Jesus. On the boat, after Jesus spoke, it says:

“there was a great calm.” (Mark 4:39 HCSB)

“大なぎになった。” (Mark 4:39 SHINKAI)

To loose your life, such a gain

Why did Jesus wait until such a desperate time to display His power? I think it was because the disciples needed to know that Jesus saves, not them.

Remember their feeling of helplessness that exposed their hearts? Although people try to suppress this feeling, everyone is helpless without God. God reveals this in different ways to different people. Such a feeling can drive people one of two ways. The first is to seek to protect one’s own life. People do this by building security for themselves: A stable job, excess money, status and admiration from others, greater possessions.

The second way to respond is to entrust your protection unto Jesus. People do this by admitting that protection is found no where else but Jesus. In other words, submitting every decision in your life to be governed by Jesus. Loosing your own life and gaining new life ruled by the King.

Jesus points them in the right direction as he asks two revealing questions. He asks “Why are you fearful?”, and follows up with an indirect answer to their problem of fear, “Do you still have no faith?”

Through this question Jesus implies that the antidote to fear is faith. The disciples fear exposed their lack of faith. Jesus’ hint to the disciples here is that they can and should entrust themselves to Him. There is no need to be fearful when Jesus is present. The disciples should let go of their own lives and allow Jesus to protect them.

You might not guess, but I like to control things. Wether it is the television, the computer or the car. When we had a car there would be times when Maki would drive and I would sit on the passenger seat. I wonder if you have had a similar situation? Whenever we come towards traffic lights, my foot wants to press the break. As we get closer to the car in front, my hand grips the handle tighter and tighter. You might say I was worried. To release that worry, what I needed to do was to completely entrust myself to Maki.

Jesus has displayed His power. He has given them the antidote to their fear. He wants them to give up their lives and entrust themselves to Him. He is teaching them what it means to follow Him. What it means to have faith in Him.

The disciples response reveals they still don’t comprehend who is standing with them. So their fear increases:

“And they were terrified and asked one another, “Who then is this? Even the wind and the sea obey Him!”” (Mark 4:41 HCSB)

“彼らは大きな恐怖に包まれて、 互いに言った。 「風や湖までが言うことをきくとは、 いったいこの方はどういう方なのだろう。 」” (Mark 4:41 SHINKAI)

They ask the right question. We need to ask this same question: Who do you think this man is? A man who can silence chaotic waters with a word. A man who offers to conquer our fear of death. If you don’t know this man, please ask this same question.

Conclusion

In Mark’s gospel the disciples continue to lack understanding despite their closeness to Jesus. It’s not until chapter 8:29 that Peter recognises Jesus as the Messiah. Shortly after that, Jesus outlines what is required to be His follower. In 8:34 he says:

“Summoning the crowd along with His disciples, He said to them, “If anyone wants to be My follower, he must deny himself, take up his cross, and follow Me. For whoever wants to save his life will lose it, but whoever loses his life because of Me and the gospel will save it.” (Mark 8:34–35 HCSB)

“それから、 イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、 彼らに言われた。 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、 自分を捨て、 自分の十字架を負い、 そしてわたしについて来なさい。 いのちを救おうと思う者はそれを失い、 わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。” (Mark 8:34–35 SHINKAI)

Understanding this verse will take a lifetime of service, but it has been an important verse for me as we prayed about moving to Japan.

In Mark 4:38 the disciples use the same word Jesus uses in Mark 8:35. The disciples were afraid to loose their life, but Jesus asks His followers to loose their life for Him and the gospel. It is only when we seek to loose our life for Jesus and His gospel that we will be saved. Jesus is asking us to submit our minds, our bodies and our hearts before Him, and let Him rule.

So how should we live out lives? We should give it to our King!

When I became a Christian it was only because of God’s grace. By myself I could not know or trust Jesus. But Jesus revealed to me His love and kindness. I felt like I was on a sinking boat but He showed me I need to be 100 percent dependent on Him. Even this was God’s gift.

It is good to know that God doesn’t give up on us. He wants each of us to know and follow Jesus. We make mistakes, but by God’s grace, He supports us. Let’s pray that God might reveal our helplessness and turn our hearts to be 100 percent dependent upon Jesus. It is only when our hearts become like this that we can know God’s saving glory.

 

 

 

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