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2018年10月21日 礼拝 説教 マタイの福音書8:5-13「ただ おことばを」(録音音声あり)

2018年10月21日 マタイの福音書8:5-13 「ただ おことばを」

 

序文)主イエス様がガリラヤ湖のほとりの町カペナウムに弟子達一行と入られました。そこで主を非常に感心させた信仰の勇士に出会いました。ローマの傀儡政権に仕えていた百人隊長が自分のしもべを巡る出来事を通して「立派な信仰の持ち主」であると主イエスに誉められているのです。選民ユダヤ人でない異邦人の百人隊長に、ユダヤ人には見ることができなかったほどに驚きの信仰が宿っていた。それほどの信仰とはどのような信仰だったのでしょうか?私たちも異邦人でありますが、彼と同じような信仰によって主イエス・キリスト様が働いて下さることを期待しましょう。

 

Ⅰ 出来事の背景

百人隊長はユダヤ人達に嫌われていたローマ帝国の傀儡政権ヘロデ・アンテパスの軍隊に属しており、100人の兵士の隊長としてカペナウムの町の警護にあたっていました。彼はユダヤ人ではなく異邦人でした。使徒ペテロは、使徒の働き10:28に当時のユダヤ人と異邦人の関係について書いています。「あなた方が知っている通り、ユダヤ人は他国人と交際したり、出入りしたりすることは禁じられています。ところが神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと私にお示しになりました。」異邦人は、汚れている、悪い者、迫害する者と同一視されており、神に近づけない者、救い主と関係のない者、失格者と見られていました。

 

このような時代背景の中で、百人隊長が、その頼みにしていたしもべが死に至る病に直面したのでした。しもべの病気はマタイ福音書で「中風」であったと記されています。人は誰でも頼みにしていた身近な者が、このような死の危機にさらされると、本人はもちろんの事、家族、友人、同僚、つながりの中にある者たちを重大な危機に陥ります。百人隊長にとっては、この僕に死なれると、自分の家を取り仕切ってくれる大事な者を失う事になります。切実な悩みを持って、どうしたら彼を救えるかと悩み考えました。

 

彼は日頃、ガリラヤの通商の中心地であるカペナウムの町に入ってくるニュースを役目柄、治安維持のためにも注意深く心に留めていました。そのニュースの中で主イエスというお方が多くの病んでいる人々を癒しておられるというのもありました。彼はこのお方ならばきっと僕の病をいやしてくれるに違いないと思いました。でも自分のような者の家にお招きすることはできない。異国人でもあるし。しかし、せめておことばでもいただけないだろうか?と考えました。「主よ。私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます。」といったのです。

 

主イエス様は、それを聞いて「行って彼を治そう」と言われました。イエス様は信仰に関して人種の障壁を認めなかった。軽々と超えて、お働きになるのです。

 

Ⅱ 百人隊長の信仰

百人隊長は、自分の意図に反して、主イエス様がただちに自分の家に向かい「しもべを治そう」と言われましたので、驚きました。「あなたを私の屋根の下に入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば私のしもべは必ず癒されます。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』といえば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」(8〜9節)

 

1 彼の信仰の素晴らしさの第一は、信仰の態度のへりくだりにありました。

この百人隊長は、はっきりと「私の屋根の下にお入れする資格はありません。」と自覚していました。神様の前に、そのような値打ちがない。救いを受けるに値しない罪深い者なのだというのです。彼が謙虚に主イエスの前で自分をしらべたとき、このへりくだった告白をせざるをえなかったのです。キリストに家に入っていただく値打ちは私には無い。そう感じて告白しました。そのとき主イエス様は、彼の心の中に入られました。

さて、人間は自分が、神の恵みに値しない者だと言いながら、一方では恵まれない、恵まれないと言うことがあります。私にはその資格が無いのですと本当に謙遜に自覚しているのならば、神が恵みをくださらなくても何も不満、不平を言うことはないのです。ましてや高慢になって、他の人々をさばくことはできないはずでしょう。

神は真にへりくだる者に、恵みを賜うお方なのです。

 

2 第二に、彼の信仰の素晴らしさは、百人隊長は、自分には資格が無いが、それにもかかわらず主イエス様は助けてくださる力があるお方だということについて疑わなかった。

「ただおことばをいただかせてください。そうすればしもべは必ず癒されます。」これほどはっきりとした確信の表明は、他にないのですね。「わざわざおいでくださいませんように。」では、どうするつもりなのか。「おことばだけで十分です。」

自分も権威の下にいる者です。また自分の下にも兵士がいます。兵士は私のような者の言葉ですが、隊長としての権威の故に聞き従います。行けと言えば行きます。来いと言えば来ます。せよといえばするのです。自分のような者でもこれぐらいのレベルの権威なら発揮できます。そのとおりすることができるのです。しかし、主イエス様あなた様はこのような政治向きの権威とは違って、神の権威をお持ちです。私は死にかかっている者に「生きよ」と命じることはできません。しかし、あなた様はできます。それはあなた様に属する権威だからです。この世の権威はもとはといえばすべて神様から出たものです。

「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)。主イエス様は復活されて天に帰られるとき「わたしは、天においても、地においても一切の権威をさずけられた」と宣言しておられます。百人隊長の時代に、主イエス様が「いのち」にかかわる権威を発揮しておられる事を正しく認めたので、百人隊長は「おことばをいただかせてください。」と申しました。それは実行されるに違いない。病の霊は出て行けと言われれば出て行くでしょう。主イエスが、「生きよ」と言えば生きるようにしてくださる。いったん、主イエスさまからおことばが出れば、距離も時間も妨げる事ができません。それは最高の権威あることばです。言われた通り力を発揮するのです。

 

神が光あれと言われれば光があったのです。人の子よ。生きよと息を吹きかければ、アダムは生きた者となったのです。ですからイザヤ55:10〜11と約束されているのでした。「雨や雪が天から降ってもとに戻らず。必ず、地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔くものには種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出る、わたしのことばもむなしくわたしのところに帰って来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げわたしの言い送った事を成功させる。」

「おことばをいただかせてください」とは、具体的には、主イエスのみこころを賜りたいということです。主のおこころならばしもベは治る。イエス様がこの百人隊長のしもべを救おうとお考えくだされば救われる。何ものも妨げることはできない。

 

ですから私たち一人一人が自分の生かされている日々を本当に感謝し、恵みを数えるなら、その人は主イエス・キリスト様から、どれほど多くを既にいただいていたかを知るでしょう。

主のおことばが解き明かされるとき、それを「いただく者」謙虚に受け取る者の中に、恵みは注ぎこまれるのです。一人一人がやしなわれるのです。主のおこころは、主を信じたすべての者が、全うされることにあるからです。

私たちは日々に「おことばをいただかせてください。」と祈りましょう。

 

Ⅲ 主イエス様の反応

1 主イエス様は、これを聞いて驚かれました。

異邦人の口から、これほどみごとな信仰告白が行われた事への驚きでした。選民ユダヤ人の中に見出せなかった信仰告白を、異邦人の中に見出した驚きです。この異邦人の中にユダヤ人以上の立派な信仰を見出した事への驚きです。そして主は、これほど立派な信仰を見習って、一人一人に持ってもらいたいと願っておられるのです。そのために地上に来られたのです。

 

2 しもべの病は直ちに癒されました。13節「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」と言われたとあります。このようにして、すべては主イエスご自身から出て、そのように成るのです。主は、今朝も私たちに「わたしのもとに来なさい」と招いておられます。その上で「信じて救いを得よ。いのちを得よ。」と言われます。

「重荷を負って苦労している者はわたしのもとに来なさい。」です。このお心とお言葉を信じて、いただいて、その信仰によってしっかりと立ち続けましょう。信仰の耳をもって、主のお言葉を聞き、受け続けましょう。

 

3 マタイはここで、イエス様が天の御国にはどのような人たちがいるのかを付け加えて教えられたことを書き記しています。「あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。しかし御国の子らは外の暗やみに放り出されます。そこで泣いて歯ぎしりするのです」(11-12節)。天の御国はユダヤ人(御国の子ら)だけの領分ではなく、この百人隊長のような異邦人のためにも解放されていることを教えられました。世界中の信仰の人々が招かれている。信仰が神の国の一員となるための基準であると教えられたのです。

 

結び)ヘブル人への手紙 4:14〜16

「さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折りにかなった助けをうけるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

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