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2018年5月6日 礼拝 説教 マタイ6:5−8 「祈るときには(その二)」(録音音声あり)

 

2018.5.6 「祈るときには」その二 マタイ6:5-8

 

序文)祈りは神との交わりであることを先に学びました。今朝の学びは、交わりにおける私たちの態度についてです。

 

1 交わりへの態度

1 私たちが友人と交わりをもつ時、いつも堅苦しい形式的なものに縛られてはいないでしょう。個人的な、友達らしいやり方があるはずです。ハレスビーは次のように言っています。「交わりは個人的であればあるほど、深く生命が生命に対して語りかける思想の相互交換である」と。 R・リンカーは、祈りは神様との会話であると書いています。普通のことばで親しく神様にお話しするのです。「天のお父様おはようございます。」「イエス様おはようございます。」といって一日を始めます。実に自由に応答をします。交わりの心でお話するのです。

 

2 ある人は「私は神と語り合うのには不十分な者です」と言うかもしれません。確かにそうです。私たちは誰ひとりとして、神と語り合うのにふさわしい者はいません。私たちはすべて、イェス・キリストを受け入れて、神に義なる者としていただくまでは、ふさわしくないのです。私たちは、なぜ神様が私たちに祈ることを要求しておられるのかを理解できないかもしれませんが、神はそうすることを求めておられるのです。

 

「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に」(エペソ3:2。)という聖句があります。私たちは祈りを通して神を知ります。祈りによって、神に私たちの人生の導きを示していただきます。祈りによって、私たちは神の御旨を求め、それに従うのです。また、祈りを通して、自らの必要を神に求めます。祈りは、神がご自身の忠実さ、愛、そして恵みを私たちに表示してくださる機会となるのです。祈りを通して、神は不可能を可能とされる御力を現わすことがおできになるのです。

 

3 信じない者たちは、祈りなどは時間の浪費であると考えるかもしれません。旧約聖書の中のヨブ記には、悪しき者が「全能者が何者なので、私たちは彼に仕えなければならないのか。私たちが彼に祈って、どんな利益があるのか」(ヨブ21:15)と尋ねたことを記しています。私たち祈りの力を信じている者も、自らの祈りの生活について、ヨブ記のような質問を考えてみるべきかもしれません。私たちの祈りの結果として、どのような利益がありましたか。神は、私たちの祈りを聞いてくださいましたか。それとも、私たちの祈りの不足から、敗北の結果しかありませんでしたか。

さてこれから、新約のマタイ7:7-8を見てみましょう。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」これらの聖句は、私たちが有益な祈りをするために、どうすべきだと言っていますか。「私たちは、求め、捜し、たたく」べきです。

 

4 聖書は、祈りの失敗についても教えています。ヤコブ4:2-3を見てください。「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」私たちは、どうして手に入れることができないのでしょうか。3節には、失敗のもう1つの理由が述べられています。何が失敗の理由ですか。

 

神に求めることの有益さについては、多くの証明があります。ある時、宣教師の医師が、重態の有名な北極探険家の生命を助けたことがありました。彼は約80キロも離れた病院へ、やっと運び込まれて来たのでした。一命を取り留めた探険家は、宣教師に対して「あなたが私のためにしてくださった偉大な事に対して、私は決して十分むくいることはできません。あなたは私の生命を救ってくださいました。でも、私に1つわからないことがあります。あなたは宗教的な働きをやめて、祈りなどにあんなに時間を使わなければ、もっと素晴らしい偉業を成し遂げられるかたでしょうに。」と言いました。宣教師は、それに対してこう答えたのです。「祈りがなかったなら、私はここにいなかったでしょうし、病院はここに存在しなかったでしょう。そして、あなたの命も助からなかったでしょう」と。そうです、祈りは有益なのです。

 

Ⅱ マタイ6:5-8 主イエス様の忠告

1 祈りは神様だけを意識して祈ること。人に見られたくて祈るのはダメです。

敬虔なユダヤ人たちは、朝9時、正午、午後3時に祈ることを習慣とし、どこにいても祈りの姿勢を取ったのでした。この時間に、わざわざ町の広場や、街角に出向いて祈りを捧げる人々がいました。それは自分がいかに敬虔であるかを示したかったからです。律法学者やパリサイ人は、「会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好き」と主イエス様は指摘されました。自己アピールが先にあって、神に祈るのではない、との指摘でした。「あなた方」と複数形なので、私たち、皆をさしての忠告です。

 

2 人に見せると偽善を避けるために、隠れたところで祈りなさい。ここは、「あなた」が強調されています。他の人はどうであっても「あなたの奥まった部屋に入りなさい」「あなたの父に祈りなさい」「あなたの父が」「あなたに報いて」と「あなた」に強調があります。「あなた」と神様の関係で祈る。神とあなたと二人だけで祈る。第三者が入ってきて邪魔をすることのないように注意して祈る。一人になれるところ、どこででも、祈ることができる。それぐらい大切なことである。イエス様は山に登られたり、ゲッセマネの園で祈られました。

 

3 信じて祈りなさい。同じことばをくり返さない。異邦人のように。仏教では、宗派により、念仏や、お題目を唱える習慣があります。多ければ多いほど、願いが聞かれるという教えがあるからです。私の家族は、朝、夕、家族揃って一時間近くお経と御題目を唱えていました。私の弟は、大腸がんで入院中、「御題目」を一日数万回唱えて記録していました。若くして、家族4人を残して、亡くなりました。悲しく残念なことでした。イエス様は、長く祈ることを否定されたのではありません。主はしばしば徹夜で祈られました(ルカ6:12)。ゲッセマネでは「三度、同じことを繰り返して祈られました。」

信じて祈るならば、くどくどと祈らなくても、簡潔明瞭に祈れば良いのです。神様に聞いてもらうために、要求を繰り返し、聞いてもらえるまで、くどくど祈ることをするのは、信頼していないことからくる不安があるのでしょう。神は、神の子供達のために、必要なものを与えてくださるお方ですから。

 

4 祈りは絶対に聞かれる。なぜ。願い求める先に、私たちの必要を知っておられるから。

私たちは、「神は、私たちの求める先に必要をご存知なのに、どうして祈るのでしょうか」と考えるかもしれませんが、ここに家出をした少年の話があります。家を出た少年は、空腹と寒さに震え、次の日、寂しく家に戻って来ました。家に入った少年は、テーブルの上に食物があるかどうかには目もくれず、ただ、まっすぐに母親の腕の中に飛び込んで行きました。神もこれと同じです。神は、私たちが、神からいただく物よりも、まず神ご自身を必要としていることをご存知なのです。ですから、私たちが祈りを通して、神と聖い交わりをもつことができるようにご計画されたのです。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。

神様が私たちに必要なものを知っておられる(マタイ6:32)から、必ず、くださるのです。マルコ11:24「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりなります。」

 

結び)祈るということは、信心深そうな声を出したり、美辞麗句を並べたり、特別な型に従うことではありません。祈りについてのいろいろなテクニックを知ることはできるでしょうが、真に神に語りかけるのでなければ無意味です。私たちは、祈りの技巧に専心するあまり、祈りの根本精神を見失うかもしれないのです。私たちは祈るために技巧を必要としないのです。

 

「私たちは、祈った後で祈り以上の事ができます。しかし、祈らないならば、祈り以上の事はできない」のです。祈りを学ぶ最善の方法は、祈ることです。

この祈りについての目的は、私たちの生活の中に、祈りがさらに重要な部分となり、毎日神と交わりをもつ願いを起こさせ、ただ、どのように祈るかではなく、祈ることを学ぶことです。エレミヤ33:3で、神は「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事をあなたに告げよう」と言っておられます。

「神よ、私に祈ることを教えてください」と求めようではありませんか。

祈りには証拠が必要なのではなく、実行が必要である。

 

へブル7:24-25

「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

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