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2019年3月3日 礼拝音声




2019.3.3  マタイ10:16-23「宣教は迫害と共に進む」
 
序文)主イエス様が世界宣教の責任者で、遣わされる者が聞くべき約束と警告が伴っている。「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」(16節)。今朝のみことばに聴きましょう。
 
Ⅰ 狼の中に羊を送り出す 16節
[警告1]  宣教に遣わされるにあたって、使徒たち、聖徒たちが、覚えておくべきことがあります。それは神の国の王イエス・キリストの使者が、実に狼の中に送り込まれる小羊だと初めから言われています。イエスの使者は、敵に対してなすすべを知らない羊である。遣わされる場に待ち受ける危険の数々、福音の使者を飲み込み、荒らし、掻き裂こうとしている存在がある。世界中には、キリストの福音を信じられると困る人々や組織が溢れている。キリストの福音の広がりを阻止しようと働いている。使徒ヨハネは、「私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、知っています。」(第一ヨハネ5:19)と宣教の実体験を書いています。福音の最大の敵対者は悪魔です。その手下たちです。だから、牧師、伝道者、宣教師の働きを弱らせ惑わそうとしている人々はその影響下に働くのです。遣わされた者の精神と勇気をくじこうとする人々もいる。無力、無抵抗、素朴、単純な小羊のような存在は、ひとたまりもなくやられる。
 
 しかし、「ですから、蛇のような賢く、鳩のように素直でありなさい。」「賢く」だけだと悪に走る罠がある。「素直」だけだと騙されやすい。両方相まってこその弟子たる精神です。聖書全体に通じる賢さ、混じり気のない純真な信仰、祈りにおいて勇気を支えられ、聖霊によって霊性を鼓舞されてゆくならば、あなた方を受け入れてくれる平安の子らを発見するでしょう。主は、狼に対決するのに、虎を用意されなかったのです。「小羊」だと言われる。そのことは伝道の働きが生きておられる神によって、豊かに推進されてゆくことを示します。人間の力や勢い、権力によってではないのです。「わたしの霊による」と神は言われているのです。
  
[警告2] 「人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちます。また、あなたがたは、わたしのために総督や王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります」(17-18節)。
  「人々」とは文脈的には、高い地位にあり権威を振るうことができる人々です。ユダヤ人の最高議会、地方議会と、異邦人ヘロデ・アグリッパや国主たち両方です!ローマ帝国の総督・ローマ軍の指導者、彼らの中に存在している、教会の敵対者たち。主の十字架の裁判過程や「使徒の働き」に再三登場するような敵対者に宣教地で、同じように遭遇することになります。国家の政治的、軍事的、宗教的傾向により、キリストを主と仰いでいることが法律に触れることとなり、分裂をもたらす。律法の違反者と決めつけられる。
 
 弟子たちが宣教地の行く先々で、捕らえられ、ムチ打たれました。パウロが「ユダヤ人から39のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度」(第二コリント11:24)と自分の経験を書いています。主は、それは「わたしのためである」と言われる。神や信仰のためにというよりも「わたしのため」である。イエス・キリストを信じ、崇拝する聖徒たちであるゆえに、人々が迫害する。自分の意思に反して連れて行かれることになる。しかしそれは同時に証しする機会となります。神のはかりしれないご計画が摂理的にあるのです。その時にどのようにすれば良いか。「人々があなたがたを引き渡した時、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です」(19節)。
 
 弟子たちの心の準備として、約束をされることで、具体的にどのようにしたら良いかを教えられました。 その時、何を言おうか、どのように弁明しようか、と心配するには及びません。思い煩いは不要です。言うべきことは、その時聖霊が教えてくださるからです。語る内容、いいまわし、順序までもはっきりと教えてくださるからです。
 
 話すのは、あなたがたでなく、「あなたがたの父の御霊です」。この表現は聖書では、ここだけに出てきます。父なる神は、神の子どもたちとしてくださった私たちのために、真理の御霊によって証ししてくださる。ペンテコステの時以来、聖徒たちには助け主御霊が注がれて宿ってくださっているのです。
 
 これらのお言葉は、実際に迫害の下に裁判をかけられた人々に大変な励ましの言葉です。クリスチャンたちは信仰のために裁判にかけられたときに驚くほどに強められました。殉教者たちの裁判の記録を読むとき、我々は、彼らが無学の徒であっても、裁かれているのはクリスチャンではなくて裁いている人々であったという印象を受けます。
 
[警告3] 「兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます」(21節)。家庭の中に生じる分裂の警告です。十戒に従えば、両親を敬い、子どもたちを愛することは、当然のことである。しかし、「わたしのゆえに」そうした関係さえも犠牲にしなければならないことが起こると警告された。教えられたのは主イエスさまです。
 
 現代のモスレム世界で、ヒンデゥー教世界で、仏教世界で、共産主義世界で、起こっている事態でもある。家族に裏切られる。これは韓国のクリスチャンたちの証しで聞いたことがあります。共産軍が侵入してきた課程で、北から南にのがれたクリスチャンがいました。北、すなわち今では北朝鮮ですが、その混乱の中で家族の密告で捕らえられて、親、兄弟、親類、友人が次々殺されたクリスチャンたちが多くいたのです。現代でも共産中国では、数千万人以上の密かなクリスチャンたちがいて、密かに礼拝を守り、密かに福音を伝えており、信じる者が増大していますが、未信者の家族が密告して、集会している所に官憲が乗り込んで逮捕し、牧師、指導者を投獄することが度々あるのです。
 
 クリスチャンが憎まれる。初代のクリスチャンばかりでなく、現代でもクリスチャンが憎まれることは日本でも、都会の激しい宗教(新興宗教、例:創価学会など)にある家族の中では、起こります。キリストの十字架の犠牲の愛を理解できない家族は、それを信じている者たちを密かに憎らしいと思うのです。
 
 私たちが仏教徒の家族や、新興宗教の家族から、また無宗教の家族から、日頃に小さな迫害や、大きな迫害を受けます。私の場合は18歳の時に神学校に入学することで、勘当されたのです。戦争の時代、一世代前の牧師たちは日本政府により投獄され、殉教したりしました。
 
 敗戦後、釈放された牧師の教会に私が奉仕神学生として行った時、よく、投獄中の取り調べで、主イエス様について質問を受けてみことばを用いて答える形で証しをしたことを聞きました。一番聞かれたことは「天皇とイエス・キリストとどちらが偉いか?」というのだったそうです。
Ⅱ 約束 最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます」(22節)。
 
  主の話は、すべての人があなたがたを憎む、と広がっている。主イエス様を迎え入れたユダヤ社会の様相のように、今や、主イエス・キリストの恵みの福音が全世界に宣べ伝えられるに従い、反キリストの霊も最後のあがきを激しくしているのです。しかし、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。このことばは、世の終わりの前兆を主が話された時に、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ24:13)にも出てきます。
 
 世からの迫害と、内部からの迫害が、著しく神の国の栄光を汚し、福音伝道を妨げているように見えます。にもかかわらず、マタイ24:14「この御国の福音は、すべての国民に対して証しするために全世界に宣べ伝えられる。」という驚くべき事実があります。福音の宣教が世界に行われること「証しするため」と言われています。必ずしも証しを受けた全員が信じるとは言われていません。また全世界が福音を信じたならば迫害する者も背教者もいるはずがありません。私たちは福音を広めるために、できるかぎりの事をし続けましょう。それは常に非常な忍耐と努力のいることであります。報いられないことが多いのです。しかし、この福音が世界に証しされている時、終わりが突如としてやってくるのです。最後まで堪え忍ぶ者、信仰を保ち続ける者は救われるのです。
 
 
結び) 
神の守りと最後の受け入れの保証と、勇気と知恵を与えられる聖霊の故に、慰めを得て、神を畏れる方を選ぶ。これらのことをすべて包んで表現している神の約束は「ローマ8:35-39」に示されています。
 キリストの深い愛と私たちとの結びつきにあります。私たちのために日々ほふられる小羊となってくださった、キリストの愛に守られています。人を恐れず神に従う。偽善的な芝居をする必要は全くない。キリストの愛に支えられて、ますます、内なる人を豊かに成長させ力強くしていただくのです。

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