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2020年3月28日 礼拝音声



2020年3月29日「特定の職務」マタイ16:18-19  エペソ4:11-16
序文)イエスは教会が地上で組織体として生き生きと機能するために、教職者を任命されました。今朝は教役者について―特定の職務、長老職、執事職について学びましょう
 
Ⅰ 特定の職務 
1 教会は、有機体であるとともに組織体であります。そこには役員がいます。人の集まりとしての組織にはどんな組織でも役員がいます。しかし、教会の役員はそれが主イエス・キリストを表わすという高い栄誉を担っています。そして、その権威はキリストにあってという限定を受けており、明らかに主に従属しています。
 教会は本来、会員がすべて普遍的に、万人預言者・万人祭司・万人王なのです。このことは聖書の支持があります(Ⅰペテロ2:9「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。」
 歴史的にプロテスタント宗教改革は、この点で本来信者が有していた栄光の座を回復しました。個人的な聖書研究、家庭における礼拝を指導し、子供のために祈り、公の礼拝で祈り奉仕し、証しすることは、すべてこれらの働きです。
 
2 キリストは教会に、特定の職務を立てられました。「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また、教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」(エペソ4:11-12)、「また彼らのために教会ごとに長老を選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた」(使徒14:23)。「よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです」(Ⅰテモテ5:17)。使徒6:6。使徒たちは教会に特定の職務を認めました。教会員は、自分たちの役員を自分たちの中から選びます。それは、信者の万人職務を前提にしているからです。そして、自分たちの同意のもとに、役員によって統治され、従います。牧師に関しては、各個教会は自らが属する教派の教師たちの中から選びます。
 
3 特定の職務を受けた者らは、キリストの代表者として、キリストが果たしておられる三つの職務、すなわち預言者・祭司・王の資格において、その権能をもって教会を治めます。そのように、王は統治のために人々を器として用いられます。それで、教会内には、預言者的権威をもって装われた者や、祭司的権威をもって装われた者や王的権威をもって装われた者を与えられました。
 預言者の働きは、神からの私信を人々に伝えます。神の言葉を宣言する人々は預言者の働きをしています。牧師の働きに象徴されています。祭司の働きは、あわれみを示すことにあらわされています。教会内の貧しい人々を助け、困難にある人々をとりなす働きです。執事の働きに象徴されています。王の働きは、統治にしめされます。長老たちは、キリストの集められた群れを監督するようにと命じられています。
 これらの働きは、キリストの王権に従属し、奉仕的なのです。「仕えられるためにではなく、仕えるため」といわれています。「民の支配者、ゆだねられた者たちの上に権力をふるう者」とならぬよう忠告されています(Ⅰペテロ5:3)。「私たちは自分自身を宜べ伝えるのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝える。私たち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない」とパウロは言っています(Ⅱコリント4:5)。
 
 キリストは教会の立法者であられます。その役員たちは教会のために法をつくるのではなく、キリストの法を教会に宣明することで満足しなければなりません。すべてのことが適宜に、秩序正しく行なわれるために、教会役員は実際上、ある規則を作成するでしょうが、そのような規則はキリストの律法とは比較になりません。キリストの律法は完全であります。人間の規則は変化し、また間違いうるのです。キリストは御自身の権威を行使されるときは無謬であり、教会の役員たちが権威を行使するときは誤りうるのです。
 
Ⅱ 教会の職務は三職とも高い尊厳を賦されていますが、牧師職は長老職や執事職と違って全時間的職務です。長老や執事たちは、その職務のために通常自分らの時間の比較的わずかしかささげませんが、牧師はその時間のすべてを自分の職務のためにささげなければなりません。もし忠実にその職務をはたそうとするなら、どんな小さな教会でも、彼の時間のすべてを要する仕事の山があります。勤務時間がいつからいつまでという、サラリーマン的な務めでは本来的には無いのです。全時間ですから、必要が生じれば真夜中でもかけつけます。でも、牧師も適度の休養の時間をもつ必要がありますので、それは身体をもっての奉仕ですから、休まなければなりません。
 日本長老教会・憲法総則・第七章30条教師の項に「教師はみことばの王であるキリストによって召され、按手をもって職に任ぜられた教職長老としてキリストに責任を負いつつみことばの務め全般にあたる。その務めは聖書において、監督、管理、教え、奉仕訓練、弁証、宣教などと表現されているように多様である。それ故、教師のうちには牧師のほか、特に宣教師として海外宣教にたずさわる者、および神学教師として本教会が認定する神学校において神学教育に専従する者がある。」
 策31粂 牧師「個々の聖徒の群れにつかわされて、みことばの務めを行なう教師が牧師と呼ばれる。牧師は、みことばの宣教、聖礼典の執行、教会訓練の励行、福音の弁証などの牧会の務めをもって教会を導く責任と光栄を有し、真の大牧者であるキリストにならって長老と共に忠実に群れを養い、教え、祈りとりなしを行なう。」
とあります。パウロの言った「よい指導をしている長老、特に宣教と教えとのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である」とは、まことに忠実に二倍の尊敬を受けるにふさわしく労してしてなければなりません。どれが本職かわからないぐらいに副業に励み、趣味や道楽に深入りして牧師とは名ばかりということがあってはなりません。それは、誓約違反なのです。
 
 牧師は何よりもみことばを教えます。成人会員にも、信仰の若い者にも、子供にも、講壇から語るだけでなく、牧会面接、電話相談、訪問において個人的にも教えなければなりません。実際的に適用して教えなければなりません。建設的に、また、論争的にも教えます。明快に真理を解説しなければなりませんし、同時代の過誤と対決しなければなりません。「神の御旨をあますところなく」伝えなければなりません。これらを果たそうとすれば、みことばの学習、人間性の学習、現代社会の出来事とその思想、社会問題について勤勉でなければなりません。福音の弁証において、また、救いを求めてくる者に伝道して、導くことは、公にも個人的にもできなくてはなりません。それは、他の牧会指導、訓練、養いの基礎的な働きとなります。他の者とともに苦しむ者であるゆえに、祈りにおいてとりなしに励んでゆきます。解決のために霊的な支援を神に求めます。牧師の尊厳はその職務に対してあります。それゆえに、牧師は自分自身が尊厳なのではないことをいつも忘れないようにしなければなりません。牧師職の有用性からくる誘惑は、忠実でないのに「自負心の強い尊大ぶった者」「能なしのイバリ屋」「横暴な権力者」「第一のことを第二にする者」となって、ついには失格者となるということです。そんなことのないように、この特有の危険から守られねばなはせん。
Ⅲ 長老職
日本長老教会憲法総則・第八章 長老 第35条 「長老は牧師と共同して長老職にあたる。長老は各個教会において聖徒の群れの指導者として選ばれ、按手をもって信徒長老の職に任ぜられる。長老はおもな務めとして、牧師と共に教会を治め、教会訓練を行い、教会会議を構成する。」
 36条 長老の責任 「長老は牧師と共に教会のかしらであるキリストに責任を負いつつ、みずからを選んだ群れ全体に対して責任を負う。よく指導の任にあたっている長老は群れの中で尊敢を受けるに価する。」
 37条 長老の資質 「群れの指導者としての長老は、その信仰生活において、みずからの群れの模範となるのみならず、群れの霊的成長と健全さのため祈り、奉仕、学習、宣教、集会に励み、教会訓練を行うにたる信仰者としての賜物を有する者である。」
 信徒長老は聖書の中で、長老とか監督と呼ばれています。パウロはエペソの長老たちに「あなたがたは、自分自身と群れの全体とに気を配りなさい、聖霊は−−あなたがたをその群れの監督にお立てになったのです」(使徒20:28)といいました。聖書によればすべての長老の働きは、教会の監督にあるのです。信徒長老は、牧師の働きと重複する部分があります。悩む者を慰め、誤れる者を正す働きは長老のものです。「群れを養う」(使徒20:28)ようにとの勧めは、長老も羊飼と考えているからです。神の言葉をもって養う責任を信徒長老も持ちます。牧師がいないとき長老は、公同の礼拝で会衆に「奨励」をしたり、説教を朗読したりすることがあります。牧師にだけまかせっきりにしてはなりません。信徒に対して長老はある意味で、牧師であることを忘れてはなりません。
 さらに、牧師の生活と働きを監督する仕事もあります。もしも牧師が模範的な生活をしていないならば、彼を是正しなければなりません。説教に情熱が欠け、牧会活動に勤勉が示されないならば、これを刺激して熱心へと促す役割を負っています。また、牧師の生活を支える責任があります。
 洗礼志願者を受け入れるか拒むかを決め、誤りを犯した会員たちに戒規を行使することも長老の任務です。教会財政の管理や、物質的問題の処理もしなければなりません。
 信徒長老にもとめられている徳は「謙遜」「神学に通じること―教理基準に精通すること」などです。
 
Ⅳ 執事の職務
 日本長老教会憲法総則 第九章 執事 第39条 執事 「執事は、牧師、長老とは別に新約の教会におこされた務めであり、主イエス・キリストの愛とあわれみの模範にならって慈善の奉仕にあたるために各個教会において選ばれ、その職に任ぜられる。」
 40条 執事会 「執事会は小会から付託された権限において、助けを必要とする者のための活動をはじめとして、聖徒の交わりを維持促進する奉仕について協議し、責任をもってそのわざにあたる。」
 41条 愛と奉仕「執事はその資質として『深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け』た愛の人であることが要求される。なお罪からの救いの福音は、隣人と社会への愛と奉仕をもたらすためのものであるため、教会は執事職を通じて教会の外にも働きかける。」
執事の働きは、自然的な面と霊的な面があります。自然的な面とは、初代教会の執事職の起源にはっきりとしめされています。エルサレムの教会員たちで、ヘブル語を話すユダヤ人と、ギリシャ語を話すユダヤ人の間で「物の配分」をめぐって苦情が生じました。使徒達がこの仕事をしていたのですが、そのために、本来の宣教と祈りの奉仕が十分できないほどに大変な仕事になっていたのです。このために執事が選ばれました。(使徒6:1〜6)。
 執事は、身体的、物質的、自然的な事柄に携わるのは、このような背景から明らかです。自然的な事柄は霊的な事柄と同様に、神の創造になるものであって、大切な役割を神は与えておられるのです。霊的な事柄は自然的な事柄に支えられているのです。主の祈りでも、パンのことを祈って後に、罪のことや、試みのことが祈られているのです。神はノアとの間に、再び洪水を起して人類を絶やしたりしない、と約束してのち、アブラハムに恵みの契約を鮮明に結ばれました。アブラハムとの契約も当初、土地や民族を増し加えるとの自然的祝福の内に、霊的な子孫の増加が含まれていたのです。サマリヤの女に主は、まず水を求めてから、いのちの水の話をされました。生まれながらの盲人には、身体的な目をまず開いてから、霊的な目を次に開けられました。霊的な事は、この世では、自然的な事を必要としているのです。
 「執事職は、キリストのおのが民に対する配慮と愛とに基づく。民の地上的必要に対する我等の主の思いやりは、深くやさしいゆえに、兄弟のいと小さき者のひとりになしたことを主御自身になしたこととお考えになる。なぜなら、そのいと小さき者に仕えた人々に、主は語られる。『わたしが空腹のとき、あなたがたはわたしに食べさせ、わたしがかわいていたときに、あなたがたはわたしに飲ませ、わたしが旅人であったときに、あなたがたはわたしを招き入れ、首を抱き、衣服を着せ、わたしが病気のときに、あなたがたはわたしを見舞いわたしが獄にいたときわたしを尋ねてくれた。』(マタイ25:35,36)と。」
 執事職の光栄を思うべしです。
 霊的な面について、執事の働きはキリストの憐れみをしめすことでありますから、憐れみのわざは悩む者を慰めるという霊的な面を必然的に伴っています。主は慰めのことばを憐れみのわざと結びつけて語っておられます。ナインの母に泣かなくてもよいと語りつつ、死んだ息子を生き返らせました(ルカ7:11-15)。
 執事はキリストの権威によって貧しい者、病める者を助けるのです。執事は困っている者をキリストの名において助けるのです。それでこそ、働きが謙遜に感謝をこめて受け入れられるのです。執事の働きは、また奉仕の職でもあります。マタイ20:25〜28のキリストの言葉は執事にもあてはまるのです。さらに、愛の務めということもできます。キリスト者の最大の務めであります。執事職は、教会の兄弟姉妹の愛を具体的に表現する役割を担っているのです。慈善活動は、それゆえに、この世の行なうこととは質的に違うのです。キリストの御名においてなされるからです。教会員がその捧げものをするのです。キリストの教会は、キリストの民にあわれみを施します。次に、教会にそのような人がいなければ、他の困っている教会を助けなければなりません。さらに、教会の外の貧しい人々に助けを広げてゆきます。その順位は、原則的に守られる必要があります。
 「執事として立派に仕えた人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つことができるのです」(Ⅰテモテ3:13)。
 
(結び)教会が、かしらである主イエス・キリスト様の宣教命令と大命令に応えるために、これからも使命を果たしてゆくためにそれぞれの役目に応じて、聖霊の助けを豊かに受けつつ、歩みを進めて参りたいと思います。
次回は受難週に入りますので、礼拝とイースター礼拝が続きます。終わると、長老教会の仕組み、小会会議、中会会議、大会会議について、説明をして、主が建てると言われた教会の説明を終わります。

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