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2020年6月7日礼拝 音声

6月7日の礼拝音声です。


2020.6.7  マタイ17章24−27節「神殿税納入問題」
   
(序文)今朝の教えの中心は神殿(宮)に納める税金についてです。ユダヤ人の20才以上の男性なら皆納めることになっていました。根拠の聖句は次の通りです。「あなたがイスラエルの子らの登録のためにその頭数を調べるとき,各人はその登録にあたり,自分のたましいの償い金を主に納めなければならない。これは,彼らの登録にあたり,彼らにわざわいが起こらないようにするためである。登録される者がそれぞれ納めるのは,これである。聖所のシェケルで半シェケル。一シェケルは二十ゲラで,半シェケルが主への奉納物である。二十歳またそれ以上の者で,登録される者はみな,主にこの奉納物を納める」(出エジプト記30:12,13,14)。


Ⅰ 神殿税背景
イエス時代の政治的背景は,イスラエルがローマ帝国の支配下にあり属国でした。ここは「神殿税」と言われているので,これはローマの取税人により強制的に厳しく取り立てられていた「市民税・人頭税」のことではありません。「神殿税」は神殿での奉仕する人々や,そこでの礼拝にかかる費用を賄っていたのです。別名「自分のたましいの償い金」とも言われており,イスラエル人の宗教的義務でした。イスラエルの中心地,神殿が立っている場所エルサレムと違い,ここは遠隔地ガリラヤ地方でしたのでそれほどきつい徴収をしていたわけではなかったようです。
本題ではありませんが,この記事からわかることがあります。それはエルサレムの神殿が,まだ建っていたということです。後になって,AD70年ローマ軍隊とユダヤ人反乱軍との間の戦いで,エルサレムと神殿は破壊されます。ですから神殿税を集めていたのは,まだ存在していたからで,マタイの福音書が書かれた年代がAD 70年より前であった根拠となります。

さて,24節 「彼らがカペナウムに着いたとき,神殿税を集める人たちがペテロのところに近寄って来て言った。『あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか。』」
イエス様の一行は伝道旅行中で本拠地にいなかったために,神殿税を納める機会を逸していたと考えられます。それで一行が本拠地に帰ってきた時を見計らって神殿税を集める人がペテロのところに来ました。なぜペテロを介したかと言えば,主イエス様の一行が活動の本拠地カペナウムいる時は,いつもペテロの家に滞在していた(居住地)と考えられています。神殿税は聖所のシェケルで半シェケルでした。スタテル銀貨一枚(2ドラクマ銀貨 半シェケル 労働賃金二日分に相当する)。
ペテロは「納めます」と即答しました。イエス様がこれまでも納めていたので,ペテロは即答したのです。イエス様も弟子たちも当時の社会制度を否定していなかった。守っていた。
ところで,これについてイエス様が改めてなさった見解はどのようでしたか。

Ⅱ 主イエス・キリスト様の見解 
25節『イエスのほうから先にこう言われた。「シモン,あなたはどう思いますか。地上の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか,それとも,ほかの人たちからですか。」ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと,イエスは言われた。「ですから,子たちにはその義務がないのです。」』 
 「あなたはどう思いますか。」この質問の仕方は,先生が生徒に比喩によって誘導尋問をして正しい答えを考えるようにと導く時の常套句になっているのです(マタイ22:17,22:42)。
質問は優しい。「地上の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか,それとも,ほかの人たちからですか。」
 
世の王家の人々は納税の義務がない。王の子どもは納税しない。「税や貢ぎ物」ここでは,税とだけ言っておられるので,物品税,通行税,関税,今だと固定資産税,所得税,事業税などでしょうか。  
この比喩は王は天の神様のこと。子は御子イエス様のことですね。神への納税の義務は神の子にはないのです。イエスと弟子たちは神の家族ですから,問題となっている「神殿税」を支払う義務はない。これまでも支払ってこられたのは義務だからというよりは,別の理由からでした。
その前にペテロは「あなたは生ける神の子キリストです」(マタイ16:16)と告白したことを思い出す必要がありました。今教えられた事柄とリンクして考えるはずでした。イエス様には支払う義務はないのです。しかしイエス様はこの自由を前向きに用いられました。
 
Ⅲ 主イエス・キリスト様の理由      
「しかし,あの人たちをつまずかせないために,湖に行って釣り糸を垂れ,最初に釣れた魚を取りなさい。その口を開けるとスタテル銀貨一枚が見つかります。それを取って,わたしとあなたの分として納めなさい」 (27節)。
 
1 主イエス・キリスト様の理由は、「つまずかせないため」納税義務はないけれども,それに勝る基準を示されました。それは「つまずかせることのないため」です。この行動原理は,将来にわたってクリスチャンたちの大事な原理となりました。なぜなら,神殿はいずれイエス様の十字架の犠牲により,建てられた使命を果たす,成就することとなった。犠牲のいけにえと主ご自身がなられたからです。贖いはそれによって成就した。さらには主は「宮よりも大いなるお方」(マタイ12:6)でした。神殿は不要となった。真理は真理です。あいまいにはしない。しかし譲歩をされた。義務からではなく,喜びからなされる譲歩。特権の行使を,愛と弱い人々への配慮から来る制限をすること,つまずきを与えないために,と考えて行動された。これは御国の民の新しい生き方であるとペテロに教えられた。
 
2 「湖に行って釣り糸を垂れ,最初に釣れた魚を取りなさい。その口を開けるとスタテル銀貨一枚が見つかります。それを取って,わたしとあなたの分として納めなさい。」
神が用意された魚がおり,ペテロはそれを釣るようにと言われた。奇跡であるが,そこに焦点が合っているのではない。スタテル銀貨一枚は4ドラクマで,二人分の神殿税に当たります。イエス様はすべてを支配下に置かれている。しかし今はこの二人分を支払う現金を持ち合わせておられなかった。貧乏でした。多くの病人を癒し,開放されてきたが,ご自分は貧窮生活を続けられていた。伝道旅行で費用を使ってきて,帰ってきたところでした。「主は富んでおられたのに,あなたがたのために貧しくなられました」(第二コリント8:9)。
 
必要を満たすために,ペテロは湖に行き,釣りをしなければならなかった。勤勉が必要でした。努力も必要でした。イエス様の召命に与った者は,勤勉に職務に精を出す必要があります。主のみわざを見せていただき,経験するために。主は私たちにも,時には,湖に行くようにと求められている。ご自分と弟子たちの必要を満たし,救われる人々のために働きを示してくださるのです。
  
(結び)主のために全生活があります。神様中心の生活がありますので,地上にいる間はカイザルのものはカイザルに返し,神様のものは神様に返してゆきましょう。パウロが言っています。「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは,あなたがたのうちにおられる,神から受けた聖霊の宮であり,あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは,代価を払って買い取られたのです。ですから,自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」(第一コリント  6:19,20)

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